第9話 記憶と炎(2/2)

 ストリックランドは幼いころから村一番の怪力だった。そのことと、彼の喧嘩っ早い性格が原因で、他の子供と喧嘩になることがよくあった。


 そんな風に彼が問題を起こすたびに、穏やかでいられなくなるのが彼の両親、とくに母親であった。

 ストリックランドが喧嘩をするたびに、母親は相手の子供とその親に謝り倒すのが、恒例になっていた。

 幼いころのストリックランドは、力加減がまだ上手くいかず、ついやりすぎてしまうことがあったのだ。


 母親は、自分の子供に対して、もっと大人しく振舞うことや、力加減を学ぶことなどを求めていた。さらに言えば、将来は役場勤めなどの安定した仕事に就いてほしいと考えていた。そのため、ストリックランドが彼女に、将来の夢として冒険者になりたいと語ったときには、彼女はひどく憤慨した。

 ストリックランドの母は、彼のことを愛してはいたが、彼の生来の特性を中々認められないでいたのだ。


 母親の記憶に思いを馳せると、右手の炎は再び形が乱れはじめた。中々抑えられないのを見て、やはり問題はこの辺りの記憶なのだとストリックランドは確信した。


 彼は母親との関係をめぐるいくつかの出来事を思い出していた。

 ストリックランドが中々勉強をしようとしないことに、苛立ちを覚える母の姿。

 将来の夢が冒険者であることについて、かつて冒険者だった父の影響があると、自分の夫を責める姿……


 母が父と衝突する姿を思い出して、再度、炎が大きく乱れはじめた。だんだんと抑えるのが難しくなってくる。

 ……そしてついに、彼は思い出した、自分にとって致命的な記憶を。


 それは、両親の喧嘩がいつも以上に激しい日だった。

 毎度のことストリックランドが外でいさかいを起こしたことについて、母は父に対してもっと関心を持ってほしいと懇願したが、父は事態を過小評価して、取り合わなかった。その態度が油に火を注ぎ、母は大きく怒り出した。

 呼応する様に父も怒りをあらわにした。不毛な言い争いがしばらく続いた結果、父は母に嫌気がさし、怒りながら外に出ていった。


 家にはストリックランドと母が残された。そして、「あなたのせいでこんなことになるのよ!」と母は叫んだ。


 父が出ていった後も苛立ちを隠せない母に対して、幼いストリックランドは自分に原因があるのだから、罪滅ぼしとして何かしようと考えた。

 そうして彼は、自分が「良い子」であると証明するため、母の家事を手伝おうとした。キッチンにたまっていた食器を洗おうとしたのだ。


 炎が大きく膨張しはじめた。自分の身長の倍くらいの高さにまで火が立ち昇り、顔に熱を感じる。

 ストリックランドは意識を集中しようとするも、過去の記憶が邪魔をする。


 幼いストリックランドは、ピリピリとした空気が部屋を包むなか、キッチンへと移動した。流し台にある皿を手に取り、洗いはじめた。

 しばらくして、パリンという音が家の中に響いた。ストリックランドが皿を割ってしまったのだ。


 母は「どうしたの!?」と驚いてストリックランドに近づいた。割れた皿を見て、彼女はそれまでの怒りを何とか抑えつつ、怪我はないかと彼を心配した。


「ごめんなさい……」


 ストリックランドは割った皿を両手に呟いた。

 母は破片を片づけると、ため息をつきながら、洗うなら皿を割らないように気を付けなさいと言った。

 その後しばらくして、再びパリンという音が響いた。

 母はその様子を見て、怒りを通り越して呆れた様子で言った。


「もう、何もしないで」


 ――膨張した炎は不安定な形で暴れはじめた。

 ストリックランドが目を開けると、轟々と音を立てて燃え盛っているのがよく分かった。

 そうか、この記憶なのか、この言葉なのか、と彼は自覚した。


 ストリックランドの人生に根付いていた深刻な記憶とは、まさに今と同じように皿を割ってしまい、母親から呆れられるという出来事だった。

 客観的な見れば、それはささやかな子供のミスであることは明白だった。

 しかし幼い彼にとって、皿を割ってしまったことは、家族の関係修復に対して自分が無力であることの暗示のように思えたのだ。その無力感が強烈に心に突き刺さり、起こったこと自体がおぼろげな記憶になっていたとしても、無意識下で彼に影響を与えていた。


 気が付くと、炎は最初に呪文を唱えて発生させたときと同じくらいに大きくなっていた。


「この辺にしておくか……」


 そう言って、ストリックランドは魔法を解除した。巨大な火炎は跡形もなく消えた。


 右手を見ると、かすかに震えているのが分かった。

 ストリックランドはその場でしゃがみ、川原の中からできるだけ平らな石を一つ見つけ、手に取った。

 そして川に向かって投げつけた。水きりである。石はパアンという破裂音と共に水面を一度だけ跳ねた後、対岸の木に凄まじい勢いでぶつかった。木は石の当たった場所から、内部から爆発したかのように弾け飛んだ。


「なるほど、力加減が出来ていないな」

 

 ため息まじりに言った。

 

 空を見ると、すでに太陽は真上に来ている。いつの間にか数時間も経過していた。

 この日はこれで終わることにした。

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