第6話 置いてきた心と得た心 その一

 護衛が雇い主に一目惚れ。

 その雇い主の手によって、雇ったばかり護衛が川の手前で引き返す夢を見る。

 ベルティス家長女ハルナの護衛任務は前代未聞の幕開けとなった。


 剣士にとって剣は欠くべからざる物。

 一日遅れでのエインツの初任務は、ハルナの護衛と、実技試験で壊れた剣の調達である。


 剣が無い状態でも生き延びられるようにとの理由から、実戦でも通用するくらいにエインツは徒手格闘もこなせる。

 だが、エインツが最も得意とする武器はやはり剣であった。


 試験で砕け散った剣は、エインツのために造られた特別な一振りであったが、蓄積した損傷と劣化には勝てなかった。


 ハルナの命も掛かっているが故、今のエインツに求められる剣には、特に強度の面で高い信頼性が求められる。


 惚れた女を守るための、絶対に折れない剣がいる!


 エインツの高すぎる要求に応えられる剣が市販されている可能性は極めて低く、オーダーメイドの一択しかない。

 特注生産の伝手があるエインツはこれから、その伝手を担っている男に会いに行こうとしていた。

 ハルナを連れて。


「エインツ君、ハルナのことをお願いね。あの子は、私の大切な人の忘れ形見なのだから……」


 娘を想う母親の顔でチェルシーは、カトレアと談笑しているハルナを見た。

 ハルナの父親が故人であること。

 ベルティス家のみならず、平和を尊ぶ全人民にとって、不倶戴天と呼べる敵がこの時代にも存在していること。

 そしてハルナが抱えている事情など。


 護衛としてエインツは、ハルナを取り巻く環境についてチェルシーから一通りの説明を受けていた。


「任されました。俺の力の限り、ハルナを守り抜いてみせます」

「うん。エインツ君の信頼しているわ」


 試験の時とは違い、簡素な白いドレス姿のチェルシーは柔らかく微笑んだ。が、次の瞬間には、


「だ・け・ど」


 娘を想う母親としてチェルシーは、薄皮一枚の笑顔をエインツに差し向ける。

 ゆっくりと区切る物言いは、一言ひとことが鋭利な鉄杭のようであった。


「二人きりだからといって、まだつき合っていないハルナに手を出そうものなら、宇宙の果てまで追い詰めてあげるからね」

「ま、任せてくださいよ……」


(ハルナに手を出さないっていう契約書まで書いたのになぁ……)


 汗だくのイメージの心中でエインツはぼやいた。

 エインツはまだ、ハルナから明確な告白の返事をもらえていなかったのだ。


 ごめんね。告白の返事はもう少し考えさせて……


 ハルナの返事に衝撃を感じなかったと言えば嘘だが、反論の余地が無いくらいに拒絶された訳でもない。また、自分の思い通りにことが進まないのは許さない。という考えをエインツは持ち合わせていない。


 明日晴れろと願ったところで、雨が降る時は降るように、この世は最初から、自分の思い通りにならないように出来ている。

 エインツはその真理。世界の有り様を身を以て体験したのだから。


「その言葉が聞けて良かったわ。でも、勘違いしないでね。双方が合意した交際であれば、私は大歓迎なんだから。早く孫の顔も見てみたいし。……エインツ君には期待しているわよ」


 エインツに釘を刺したことで、鬼女きじょの如き気迫は鎮火した。何かの含みは感じるものの、ウインクするチェルシーの顔に人当たりの良さが戻った。


「その意味で私はエインツ君の味方よ」

「……もちろんです! 一日でも早く、チェルシーさんに孫の顔を見せられるよう、努力しますから」

「ええ。お願いね」


 他の者。特にハルナに聞こえないよう、二人が顔を寄せ合い小声で話す様は、明らかに怪しかった。


「むぅぅ……」


 そんな二人を恨めしそうに、頬を膨らませながらハルナが睨む。どちらかというとチェルシーの方を。


「お・か・あ・さ・ま!」


 流石は母娘と言うべきか?

 母親とそっくりな口調でハルナは、チェルシーに食って掛かる。


「エインツに変な事を吹き込まないでください!」

「だってぇ、ミシェルはあれだしね。私は早く孫の顔を見てみたいのよ」

「う……お、お兄様だってその内、素敵な女性を見つけて来ます。お母様は焦り過ぎです! 私はまだ十六歳なのですよ!」


 初対面の時はスタイルの良さと、再興を諦めない貴族令嬢としての威厳もあって、成熟した大人のような印象をエインツは抱いていた。

 しかし、こうして見ると年相応の、同じ年齢の女の子にしか見えない。


 ハルナの実の兄ミシェルのことは気になるが、チェルシーの説明によれば、魔法の修行兼人格矯正(?)でこの場にいない人物について考えても仕方がない。

 今はハルナの身の安全と、剣の調達のことを考えるべきだ。

 エインツは気持ちを切り替える。


「もうこの話はお終いです!……い、行きましょうエインツ」


 自分の人生を勝手に語られた。

 それへの不満を隠さないハルナはエインツに顔を向けるも、何を考えたのか。瞬時にその顔は朱に染まり、目を背けた。


「ううう〜〜〜〜」


 ハルナは目のやり場を体の正面ごと、エインツ所有の航宙帆船アンバーセイル号へと向ける。


 その名の通り、琥珀色をした帆を持つ帆船は、赤く光る魔法の綱でビットに係留されていた。

 鉄と木で造られ、浮遊魔法の力で宙に浮いているアンバーセイルへの乗り降りは、垂らされた縄梯子で行う。

 一目散にハルナは大股で歩を進めた。


「お、おう……それでは行って来ます」

「ええ。……しつこいようだけど、ハルナをよろしくね。私か、カインとカトレアも同行させたいところだけど、そうも言っていられないのよ。最近どうも魔帝の杖の動きが怪しいみたいだからね」

「分かっています。ハルナには絶対に、連中の指の一本も触れさせませんから」


 連中にはなんの遠慮もいらない。

 エインツは世界最大のならず者の集団に対して、ありったけの闘志を言葉に詰め込む。


 今から二百年前。魔帝と呼ばれていた冷酷かつ強大な独裁者がいた。


 魔帝の本名は不明。

 魔帝自身が、自分の名前と出自を忌み嫌っていたからだと言われている。男であること以外は、全てが謎の人物だ。


 魔帝は二百年前、エインツらがいる惑星ヤイーロを二分する大戦の引き金を引いた人物である。

 暴虐の限りを尽くす魔帝軍と、それに抗うヤイーロ自由同盟。


 二つの陣営との間で繰り広げられた大戦は、同盟側の剣士ジェイド・ログファーが刺し違える形で魔帝を討ち取ったのをきっかけに、同盟側の勝利で一先ず終結した。

 しかし、完全に争いが終結した訳ではない。


 魔帝軍の残党で結成されたのが、魔帝の杖を名乗る狂信集団だった。

 現在はヤイーロとは別の、一つの惑星全土を支配下に置き、魔帝の復活を願っているのだとか。


 ジェイドのパーティーメンバーの一人だったグラハム・ベルティスは戦後、同パーティーの一員エマ・クレイトンと結婚。四人の子供を授かった。


 グラハムとエマは、ハルナの先祖にあたると同時に、魔帝の杖からしてみればベルティス家は最も憎く、この世から根絶やしにしたい血筋の一つである。


 無論、こちら側からすれば、断固阻止しなければならない話だ。

 ベルティス家が、ハルナの護衛依頼を告知した理由の一つである。


「反吐が出るくらい忌々しいけど、連中はベルティス家を目の敵にしているからね。それに組織だって動いている。常に私たちの動きが把握されていると思って行動する必要があるわ」

「肝に命じておきます」

「ええ。頼んだわよ」


「お嬢様に何かしようものなら、奥様だけでなく俺たちもお前を追い詰めてやるからな」

「その時は、あたしの魔法であんたを氷漬けにしてやるんだからね!」

「……来ると良いな。そんな未来が」


 チェルシーと、カインとカトレアの兄妹の敵意に見送られたエインツは、オリハルコンと同様、伝手で譲り受けたアンバーセイル号に乗り込んだ。


 ニクスは定位置を離れ、自らの翼で甲板上に先回り。相棒が登って来るのを待つ。


「……航宙帆船がそんなに珍しいのか?」


 甲板まで登りきったエインツは、縄梯子を両手で引き上げつつ、物珍しそうに甲板を見渡しているハルナに声掛けした。


「うん。昔は持っていて。私も乗せてもらったこともあるらしいけど。あんまり記憶に残っていないから」


 エインツはチェルシーの共犯。

 それを理由に怒っていたとしか思えないハルナの腹の虫は、航宙帆船への好奇心が追い払ったようだ。

 今はただ、興味深そうにマストなどをハルナは見渡している。


「高価な物は全て借金の返済に充てたと聞いたわ。航宙帆船もその一つよ」

「そうか……」


 剣の振るい方なら体が覚えている。

 しかし、現状の立場を憂う、片思いの没落貴族を慰める。

 初めて直面する状況に、どう声を掛ければいいのか? エインツは一文字も適切な言葉を思いつけなかった。

 押し黙る間にエインツは、全ての縄梯子を甲板上に引き上げた。


「……だから余計に不思議なの」

「ん?」


 エインツはハルナに向き直った。

 そのタイミングでニクスがエインツの右肩に止まる。


「エインツには失礼な言い方になるけど、この航宙帆船もだし、先日のオリハルコンだってそう。一介の冒険者が持つにはあまりにも……」

「不釣り合いだってか?」


 自分がそう思う時もあるのだから、些かの怒気を込めずにエインツは、言い淀むハルナの言葉を補完する。

 ハルナは恐縮しながら頷いた。


「……俺みたいな得体の知れん人間を怪しむのは、人を雇う側からすれば当然の疑問だ。特に今回は事情が事情だ。気にしなくていい」

「……」


 申し訳なさが拭いきれない、どこか歯噛みしているような顔でハルナは押し黙る。


「このアンバーセイルは昔からの戦友が。今ではとてつもない大金持ちになったダチが、無償で提供してくれたものだ。もちろんこの前のオリハルコンもな。……嘘のようだが全て本当のことだ」

「……信じるよ」


 再度ハルナは頷く。


「エインツが嘘を言っているようには見えないから」

「ハルナにはすでに説明したが、俺の新しい剣について、ダチに相談するのも今回の旅の目的の一つだ。ギルドへ護衛契約成立の手続きをしに行くのもな」


「……ソーリア氏は凄い人なんだと改めて思うよ」

「まぁ、どう考えても凄くないとは言えんな」

「そのソーリア氏と知り合いであるエインツもね」

「……」


 エインツは内心で迷った。

 自分がどんな人間かハルナに説明し、わだかまりをなくしたい衝動に駆られるもエインツは、素の自分を好きになってもらいたいとの思いもあった。


 過去を話した結果、最悪大ボラ吹きや嘘つき呼ばわりされる可能性はある。

 信じて貰えたところでそれは、


 過去を捨てて生きる。そうエインツは強く決心したというのに、都合が悪くなれば過去の栄光を引っ張り出して来て、縋る。

 その時の都合で、信念を二転三転させる生き方などしたくはない。


 俺はエインツ・クローシュとしてハルナに愛されたい。


 そう強く思う一方で、ハルナに隠しごとをしているという事実はエインツの心に影を落としている。


 積み重ねてきた過去があるからこそエインツは、ハルナと出会えた。それは間違いない。

 過去も今の自分を構成している一部。

 その過去を含め、ハルナに愛されたい。


 昔を語るべきか否か。

 エインツは二律背反に陥っていた。


「エインツ?……どうしたの難しい顔をして」


 ハルナが上目遣いで、エインツの顔を覗き込みながら言った。


「ん?……あ、ああ。ちょっと考えごとをしてた」

「……ちょっとって感じじゃなかったように見えるけど……」


 鋭すぎるだろ。女の勘。

 ボロを出す前に。後悔する前に、今の内に言っておくべきか。

 その考えに傾きつつあった時だった。


「エインツ君? どうしたの。出発しないの?」


 いつまで経っても出発しない。

 そのことに疑問を抱いたチェルシーの声が船外から届く。

 これ幸いと言わんばかりにエインツは、右舷に駆け寄る。


「大丈夫ですよ。すぐに出発しますので」


 言ってエインツはまず、張り詰めた赤い魔法係留索を解除させる。

 無数の赤い光の粒となった索が空気中に拡散した瞬間、繋ぎ止めるものが無くなった船体は、ゆっくりと上昇し始めた。


「行ってらっしゃい。エインツ君……」


 エインツに声掛けするチェルシーは、どこか寂しげであった。

 彼女の心情をエインツは汲み取る。


「チェルシーさんにあいさつしなくて良いのか?」


 振り返りエインツはハルナに言った。


「残念ながら、宇宙の旅に百パーセントの安全はないんだぜ。…………言いたくはないが、ハルナの父親は宇宙で亡くなったのだろう」

「……」


 エインツはハルナの父親の死に、多くを語らないと決めた。

 ハルナは俯いたまま押し黙る。

 先ほどの二人のやりとりが尾を引いているのは明らかだ。

 そんなハルナにエインツは、続けて語り掛けた。


「……人間誰だって後悔する。それは仕方がない。しかし一番きついのは、そのままにしておくことだ。後で何倍にもなって責め立ててくる。……今チェルシーさんと話した方がいいと俺は思うぜ」


「…………何でだろう? エインツが言うと凄く説得力がある」

「それもハルナの勘か?」

「うん。勘……」


 濃橙の瞳で二秒ほどエインツの顔を見つめたハルナは、決心を固めたように右舷のへりに向かった。


「お母様……さっきはごめんなさい。感情的になり過ぎました」

「私の方こそごめんねハルナ。調子に乗り過ぎたわ……行ってらっしゃいハルナ」

「はい! 行ってきます。お母様」


 船体と地面を繋ぐ索が解除された今、上昇する速度をもっと上げても差し支えないが、今しかない母娘の時間に水を差す野暮をしたくなかった。


 先ほどエインツがハルナに語った通り、現在の航宙に百パーセントの安全はない。

 これが見納めになるかもしれない。


(行ってくるぜ。二人とも……)


 上昇する速度はそのままに。

 午前中にも関わらず、夕暮れ時のように琥珀色に染まる海。自身にとって追憶の地であるアンバーラグーンをエインツは見下ろした。

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