第1話 空白の剣士 その一

 冒険者エインツ・クローシュの信念は、食べ物と悔いは残さないである。


 食べきれる量しか料理は注文しないし、仕事でも私生活でも。常に後悔しない事を念頭に置いて行動している。

 三ヶ月前に冒険者稼業を再開させたエインツは、新しく刻みつけた信念を胸に今ここにいる。

 我思う。故に我在りというやつだ。


「ニクス。いつになったら呼び出されると思う?」


 黒の短髪に青い目。白い鞘に収まる両手剣を背中に携えたエインツは、自分の右肩に向かって語り掛けた。


 エインツの頭部より一回り小さく。

 獲物を捉えやすいよう、顔の真正面に黄色い両目がついている。

 全身が燃え盛る火を思わせる、オレンジ一色の見た目をしている以外は、フクロウとしか言いようがない姿のニクスがエインツの右肩に止まっていた。


「ピイッ?」


 エインツの言葉に反応しただけでなく、ニクスは目を閉じて頭を左右に振った。

 人の言葉こそ話せないが、明らかにエインツの言葉を理解している仕草である。


 見た目以外はフクロウであるニクスがなぜ人語を理解しているのか?

 その意味をエインツは知らない。

 ニクスが常に自分の肩にいる理由も同様である。


 しかしエインツは、ニクスを気味が悪いだの。煩わしいだのと思った事はただの一度もない。


 愛玩動物同然の見た目もさる事ながら、ニクスがエインツをたしなめたり。

 信念に本気なあまり、突飛な行動に出るエインツに呆れた仕草を見せる事はあっても、ニクスがエインツを含めた人間に危害を加えた事例は一度もないからだ。


 エインツが、魔物が跋扈ばっこするダンジョンに入ったり。各種の依頼をこなす際でもニクスは、エインツの隣にあり続けた。


 任務をこなす人数としては一人であっても、エインツは決して単独ではない。

 エインツはニクスを家族であり、かけがえのない相棒として見ていた。


 そんな一人と一羽は今、護衛募集依頼の依頼書に記載されている、実力確認試験の受験者控室にいた。


 冒険者ギルドの掲示板に貼られていた、この件の依頼書。その依頼主の苗字を目にしたエインツは、ギルドの受付嬢に詳細を尋ねた上で、迷う事なく依頼を受けてこの場にいる。


 ニクスと和やかに歓談しながらも、エインツの心中では信念に付随する形で。

 それでいながら、今は亡き友二人へのよしみという、信念以上に果たしたい思いが炎のように燃え滾っていた。


 コンコンコン。


 部屋の扉が反対側からノックされ、扉が室内側に開いた。


「当方の用意が整うまで、こちらの室内でお待ち下さい。後ほど護衛選抜試験のご案内をさせて頂きます」

「ええ、ありがとう」


 姿を見せたのは男女二人の人物。

 一人はエインツを案内した、中年と思しき金の短髪に、中肉中背の作務衣さむえ姿の男性である。


 もう一方の女は、背中の中ほどまである赤髪を一本の三つ編みに纏め、その両目もルビーを思わせるくらいに美しい赤色をしている。


 肌は白磁のように白いが、病気とは程遠い健康的な艶と張りをしている。

 それでいて、細く鍛え上げられた筋肉質な体つき。


 細身の体型の彼女に合わせた、真紅に煌めく金属製の鎧を纏い。左腰には、これも赤い鞘に収まった片手剣があった。


 男であれば誰もが振り返りそうな、凛々しい美貌を授かった女である。しかしエインツはそれ以上、彼女について深く探らない事にした。

 彼女の左手薬指には、銀色に光る結婚指輪があったからだ。


「……」


 彼女に粉をかける事はしないが、エインツと同じく戦闘装備に身を包んでいるにも関わらず、結婚指輪を嵌めたままにしている。


 指輪やネックレスなど。

 戦闘の妨げになり得る物は外す。それが戦士の常識であるというのに。


 その事に違和感を覚えたエインツであるが、初対面でいきなりそれについて問い詰めるのも変だ。取り敢えずは心の中に留めておく。


 一礼した後、和装の男は部屋を辞した。

 音もなく扉が閉められる。


「あら。貴方も今回の護衛の募集を知ってやってきたのね?」


 今回の募集人員は一人だけ。

 一つの椅子を巡る競争相手に向かって彼女は優美に微笑む。その日暮らし。戦いに明け暮れるだけの女剣士とは思えない、育ちの良さを背景に感じさせる。


 二十代前半くらいに見えるが、見た目の年齢と釣り合いが取れないほど、成熟したしとやかさを備えていた。

 それに先程の男性の、彼女への対応もエインツは気になっていた。


 勘であるが、エインツと彼女への、男性の対応が違って見えたのだ。言葉遣いこそ同じだったけれど、そこに込められた思いが違う。

 エインツへの対応が仕事なら、彼女への対応は忠誠とさえ言える気がする。


 エインツは十八歳。

 六歳の頃から木剣を振り続け。

 十歳には大人同伴ながら、狩りの形で魔獣を討伐し。

 十三歳で初パーティーを組んだ。

 人生の大半を戦いに費やして来た中で磨き抜かれたエインツの洞察力が、声の無い形で告げる。


「あ、申し遅れたわね。私はチェルシー・ライトヘルム。よろしくね」


 ウインクしながらチェルシーは、右手をエインツに差し出した。

 二人と一羽がいるのは、標準的な宿泊施設の、一室ほどの広さの室内。

 彼女の手は数歩で届く距離にある。

 

「エインツ・クローシュです。……お手柔らかに」


 この人は強い。

 直感で彼女の強さを悟ったエインツは、あながち場違いとは言えない言葉を口しながら握手を交わす。

 試験の成り行き次第では、エインツはチェルシーと戦うかもしれないからだ。


「へぇ……」


 エインツがチェルシーと握手した瞬間、チェルシーは感心したような笑みを浮かべる。それはエインツも同様だった。


 でごつごつした手が重なり合う。エインツが思った通り、チェルシーの手のひらは、長年に渡って剣を振るい続けた者のそれだった。

 佇まいからしてチェルシーは、武の達人以外の何者でもない。


 果たしてどんな剣を振るうのか?

 彼女と同類のエインツは、大いに興味をそそられた。


「エインツ・クローシュ、ねぇ。……貴方ほどの腕前なら、少しくらい音に聞こえても良さそうなものだけど。……武人としての君の名を私は全く知らないわ」


 あごに手を当て、考え込む仕草をしながらチェルシーは語る。


 一人を除き、長い時間を共に過ごした仲間の二人はもういない。

 その事実を受け止めたエインツは、それまでの名前を完全に捨て、カタギだった男の名前を受け継いで生きようと決めた。

 武人として無名なのは当然である。


「ま、そこは詮索しないわ。……君はどうして今回の、長期の護衛募集の依頼に応募したのかしら?」


 部屋に入ってきた時のやり取りから判断する限り、チェルシーはエインツと同じ受験者の立場であるはずだ。

 なのに面接試験における、これだけは聞いておかなければならない、志望動機を聞き出す質問。

 これをなぜか、試験官のような口調で問うてくるチェルシー。


 その顔には純粋な好奇心と、エインツという人物を深く読み取ろうという探究心が浮かんでいた。


「……居場所が欲しいんですよ、俺は。この世界で生きていく為の。今回の護衛の仕事は一生の仕事にならないかもですけど、それでもその期間は生活できますし」


 口にしたものより遥かに強い理由はあるけれど、この答えもまた偽りの無い志願理由である。

 迷うことなくエインツは回答した。

 この時代におけるエインツの、確固たる居場所はまだない。


 仕事や役目と置き換えてもいい。

 この時代で生きていかなければならなくなった以上、エインツには生きる為の手段と場所が必要なのだ。


「ふぅん……君の剣の腕は間違いなく達人レベルだと思うけど、どうしてその若さでここまで鍛えようと思ったの? 地獄のようなシゴキを自らに課さないと、君の若さでその手にはならないと思うけど?」


 愛玩動物の見た目をしたニクスに惑わされることなくチェルシーは、エインツの実力を的確に見抜いている。

 大抵の者は、ニクスを肩に乗せたエインツを見た瞬間、背中の剣と鞘は飾りだと侮るものだが彼女は違うようだ。


「皆が幸せに暮らせるようになる為には、冷酷かつ強大な悪を打ち倒す力が必要だったんですよ。だから身につけた。それだけですね」


 どういう立場かまでは分からないけど、彼女はエインツがどんな人間か見極めようとしている。それは間違いない。

 抜き打ちの面接試験としか思えない質問の連続に、エインツは確信した。


 戦場で生き残るには、刻々と変化する状況を的確に把握する洞察力も必要となる。


(今は彼女の質問に、嘘偽りなく答えるのが正解だな)


 戦場であるかないかの違いしかない。

 五感を総動員して変化を捉え、最適な行動や言葉を選択する。数え切れない戦いの中で培ったその力。研ぎ澄まされた集中力をエインツは遺憾なく発揮した。

 

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