【第八章:冴華の狂気】三節

 お母さんの作ってくれた朝食を堪能したあと、手早く身支度を整え、私は学校へ向かっていた。

 朝日が眩しく、秋空の冷たい空気が頬を撫でる。すれ違う人達に交じって、同じ制服を着た人達が、目に見えて増えていった。

「翼ー! お待たせ―!」

 制服姿の人達に紛れて、連と理葩ちゃんが小走りでやってきた。

「ごめん翼。待ったよね?」

「全然待ってないよ。さっき来たばかりだから」

「ほらお姉ちゃん、だから言ったじゃん。翼は絶対に『待ってない』って言うに決まってるって。それで……本当はどのくらい待ったの?」

「いや……本当に待ってないよ?」

「ふーん。……まあ、そういう事にしておいてあげましょうっ!」

 何故か理葩ちゃんが腰に手を当ててフンと鼻を鳴らした。そんな愛らしい姿を見て連が笑っている。

 なんだか連と理葩ちゃんのこのやり取りが、遠い昔のように思えて、懐かしさを感じずにはいられなかった。

 ……あの頃は何も知らなかった。連の私に対する想いも、理葩ちゃんが枝葉家の養子だったことも。

 そのせいか、私は以前よりも、二人と強い絆を築くことができたと感じていた。それを連と理葩ちゃんも感じていてくれたら、嬉しいんだけど。

 私達は、互いに笑い合いながら、学校へ向かい始めた。

「そういえばあの時は、翼のお誕生日会について話していたわよね」

 おもむろに連が口を開いた。

「うん……懐かしいね。確か買い物したり、映画を見たりしようって話したよね」

「そうそう。お姉ちゃんが『ホラーを見たい』とか言ってね」

 私達は三人は、ここに至るまで何度も輪戻を繰り返してきた。でも、あの日の出来事はちゃんと覚えているようだ。

「理葩ちゃんはホラーは嫌だったんだよね?」

「え? 嫌だったの?」

「嫌だったよ! 翼の誕生日を祝う日なのに、なんでわざわざ暗い映画なんて見ようとすんのっ!」

「そ……それは、確かにそうかも」

 理葩ちゃんのごもっともなツッコミに、連がしおらしくなっている。

 なんだか、二人がこうして遠慮なく意見を言い合う光景は、とても健全に見えた。

「私は何でもいいんだよ? 二人が楽しんでくれればね」

「翼はもうちょっと自分の意見を主張してよっ! いっつもお姉ちゃんか私のことを気遣うけど、自分のことは後回しにし過ぎだってっ!」

「……ごめんなさい」

 理葩ちゃんの矛先が今度は私に向いた。……でも、その言葉がちょっと嬉しかった。

 正直、今までの理葩ちゃんは、どこか影を帯びていた。屈託のない笑顔に見えて、裏では別の事を考えていそうな、そんなミステリアスな雰囲気が漂っていたからだ。

 でも、今目の前にいる理葩ちゃんは、私に本音をぶつけてくれている。その変化が、私には信頼の証のように感じた。

「……なんでニヤニヤしてるの?」

「ううん。なーんでもないっ」

 理葩ちゃんに怒られたのに、嬉しそうにしている私を見て、連が不思議そうな顔をしていた。

 そうして学校が近づいてくるにつれて、私は後回しにしていた問題を話し合う決心をつける。

「それで、冴華さんについてなんだけど」

「――ねえ翼。その『冴華さん』って言うの、やめてよ。あんなヤツを『さん』付けする必要はないって」

 理葩ちゃん嫌悪感を露わにする。

「でも私は、理葩ちゃんから話を聞いただけで、冴華さんとはまともに話したことはないの。だから相手の事を知らないのに、最初から敵意を向けちゃいけないと思ってるの」

「甘いよ翼は。輪戻前にも言ったけど、冴華は皆を殺すつもりなんだよ? 翼はアイツと話し合いたいとか言ってるけど、正直、私は絶対に無理だと思ってる。だから翼が殺されるくらいなら、私が冴華を殺してやるから」

 理葩ちゃんの心には、まだ冴華さんに対する憎悪が渦巻いているのだろう。

「そうさせないために、まずは冴華さんの事を知らなきゃいけないの。連や理葩ちゃんの時も、話し合って解決することができたでしょ?」

「……でも、御影冴華の場合は違う。さっき翼も自分で言ってたけど、翼とあの人はほぼ初対面なんだよ? 最初から友達だった私達とは、訳が違うよ」

 連が深刻な顔をする。

「そこなんだよね……。私は理葩ちゃんから話を聞いてるから、なんとなく冴華さんの輪郭はわかるけど、冴華さんからすれば『お前だれ?』みたいな状態から始めるわけだもんね」

 私は比較的、初対面の人と話すことに抵抗はない方だと思うけど、冴華さんはわからない。もしかしたら最初から、私の話なんて聞く耳持たないかも。

「ただでさえ、初対面の人と信頼関係を築くのは難しいのに、相手が最初から敵意を持ってるとなると、なおさら難易度が高いね」

「そうなんだよねぇ……」

 とか言いつつ、私の脳内では一つだけ案が閃いていた。でもあんまりそれを話すと、きっと連や理葩ちゃんに『自分を大切にしろ』と怒られそうだから、隠したままにしておく。

 そうして話していると、ついに学校の正門前に到着してしまった。

「ひとまず、本番は放課後の帰るとき。それまでは普通に学校生活を送ろう」

 私の言葉に、連と理葩ちゃんが頷く。

 ぶっちゃけ、冴華さんとの話し合いがどう転ぶかは、まったく予測できない。だから各々が心構えをしっかり持っておくことが大切だと思う。

 そういう意味では、連も理葩ちゃんも、瞳に決意の光が宿っていた。ある意味、これは戦いなのだと、実感が湧き上がってきた。


◇◆◇◆◇◆


 全ての授業が終わった放課後の教室の隅にて、連が同じ委員会の人と話している姿を見つけた。

 連が上級生に対して何度も頭を下げているのがわかる。

「ごめんなさい。今日はどうしても外せない用事があって……」

 どうやら委員会の仕事を断っているようだ。そんな連の姿を見て、私はかつての記憶を遡る。

 あの日、連は委員会の仕事が忙しくて、一緒に帰ることが出来なかった。一緒に帰れないことを悲しそうに報告していたっけ。だから理葩ちゃんと二人きりで帰った。

 連は本当に申し訳なさそうに、何度も頭を深々と下げたため、委員会の人達も諦めて去っていったようだ。その後ろ姿を見届けたあと、連が私の元へやってきた。

「ゴメンね翼。さ、行きましょう」

「……なんかごめんね。私のせいで」

「翼のせいじゃないよっ! 全ては、御影冴華のせいなんだから」

 確かに今は、そう結論づけるしかないかもしれない。

「とにかく、理葩ちゃんが待ってるかもしれないから、行こうか」

「ええ」

 二人で教室を出て、その足で校門へと進む。

 すると既に、理葩ちゃんがスマホをいじりながら待っている姿を見つける。

 待たせたかも、と駆け足で理葩ちゃんのもとへ向かうと、彼女は私達に気付いて腰に手を当てた。

「遅いよ二人とも。これから命を懸けるんだって自覚はあるの?」

「ごめん理葩。委員会の人に呼び止められちゃって」

「む……。確かにお姉ちゃんはいつも忙しそうにしてるし、仕方ないか」

「というか理葩ちゃん。命を懸けるのはやり過ぎだよ」

「ううん。絶対にそんなことはないもん。冴華とは、喧嘩になるよっ!」

 やっぱり理葩ちゃんは闘志が漲っている。

「そうならない事を祈ってるわ」

 対する連も、口ではそう言ってるけど、戦う気が満々だ。

「二人とも、そんな喧嘩腰だと、話し合いをすることができないよ」

「翼の意思は尊重するけど、考えれば考えるほど、正直無理じゃないかなって思う」

「私は話し合いにすらならないって思ってるからね~」

 連と理葩ちゃんのそれぞれの反応が冷たい。それほど、冴華さんを信用できないってことだ。

 当然と言えば当然だ。連は冴華さんに殺されたことがあるわけだし、理葩ちゃんも家族が殺されるのを覚えている。たとえ輪戻をして、以前の記憶を忘れてしまったのだとしても、『殺された』という事実がある以上は、相手を信用する事なんてできない。

 むしろどうにかして、冴華さんの事を理解しようとしている、私が異常なだけかもしれない。……それでも、私にはどうしても、冴華さんが最初からそうだったとは思えなかった。

 それから私達は、自然と帰り道を歩き始めた。

 三人で一緒に下校するのも、なんだか久々な気がする。

 沈みゆく太陽が、道を赤く染め始める。遠くでカラスが鳴く声が響く。そんな多少の寂しさを感じつつ、私達は無言で歩き続けた。

 輪戻する前までは当たり前だった日常の一つ。 本来ならここで、楽しくお喋りしながら帰るんだけど、流石にこれからの事を考えるとそうは言ってられなかった。

 だってこれから、理葩ちゃんが入院する原因となった御影冴華と、直接対面するからだ。その現実が、私達の間で、緊張の糸を張る。知らずの内に、鼓動が早くなる。

 そして特に会話もなく、私の家の前に到着した。

 思い出す。あの時は、このまま私は家に帰って、お母さんとお婆ちゃんに誕生日を祝われた。

「……ここで理葩ちゃんと別れた後に、冴華さんに襲われたんだよね?」

「うん、そうだよ」

 険しい表情の理葩ちゃんは、強く握った拳を震わせている。そんな彼女の肩に、連がそっと手を置いた。

「行こう、理葩。安心して。あなたの事も、お姉ちゃんが守るから」

「……ありがとう、お姉ちゃん」

 私達は顔を見合わせ頷きあうと、私の家を通り過ぎた。ここから先は、私が知らない世界が待っている。

 もう日は沈みかけ、空に夜の気配が漂い始めていた。心無しか風がいつもより冷たく、木の葉が道を滑るように舞う。

 無言のままさらに歩き続けていると、やがて沈みゆく太陽を背に、ポツンと佇む黒い影を捕らえた。それは人の形をしていて、こちらをじっと見ているとわかる。

 理葩ちゃんの足が止まる。彼女は目を見開き、その唇がわずかに震えていた。彼女の反応から、黒い影の正体が誰か、すぐに察することができた。

 影がゆらゆらと、ゆっくりと近づいてくる。そして私は、の外見を認識できるようになった。

 の歩みが止まる。そして顔をカクッと傾け、歯茎を見せながらにたぁと笑った。

「やっと……見つけた」

 喉から絞り出すように出てきた言葉には、喜びの色が感じ取れる。

 御影冴華は、両手を理葩ちゃんに向けて広げ、言葉を続けた。

「一緒に帰ろう、理葩」 

 彼女の視線は、理葩ちゃんだけに注がれていた。まるで、私と連が最初からいないかのように。

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