【第三章:輪戻の光】三節

 夜が深まり、秋の冷たい空気が全身を包み込む。ろうそくの灯がゆらゆらと揺れる度、私の影が壁に揺れる。

 膝を折り、背筋をまっすぐに伸ばしていた私は、静かに瞼を閉じ、輪戻乃書に記載があった一文を思い起こしていた。


花綻びし輪戻石は、再び主の血を乞ひ求むるものなり。

されば、血を与ふれば、蕾の姿に帰ることあらむ。


 私は瞼を静かに開けると、目の前の台座に置いた輪戻石を見つめる。

 石は私が輪戻をした後、いつの間にか花弁が開いた状態になっていた。

 どういう原理でこの子の姿が変わったのかはわからない。でも輪戻乃書に記載のあった”花綻びし輪戻石は、再び主の血を乞ひ求むるものなり"という一文と、今の状態は一致していると思う。つまり、輪戻石はまた私の血を受け入れる準備が出来ているということだ。

 少し話は脱線するけど、多分、輪戻石は花が開いた状態になったのではなく、血を受け入れやすくするための器に自身の形を変えたんだと思う。その姿が、咲き誇った花の様子と似ていたんだと思う。

 そういえば五年前の継承の儀の時もそうだった。色褪せていた輪戻石は、私の血を受け入れた後とは少し姿形が異なるけれど、確かに花が開いたような見た目をしていた。あれは、誰かの血を受け入れるための姿だったということになるのだろうか……。

 話を戻そう。輪戻乃書に記載されている次の一文では"されば、血を与ふれば、蕾の姿に帰ることあらむ"とある。

 つまり、この石にもう一度血を与えれば、蕾の姿に戻る――そういうことなんだと思う。もしそうなれば、私がもう一度死ぬことによって、輪戻をすることができるはずだ。

「まずは……、この子に血をあげないと」

 一度、継承の儀を執り行った記憶を思い出す。あの時はお母さんとお婆ちゃんが付き添ってくれたけど、今は私一人でやり遂げなければならない。

 私は儀式の手順を思い出しながら儀礼刀を鞘から抜くと、紋様が刻まれた刀身を自身に向けた。刃先をしっかりと台座に置いた輪戻石に向けてから、その刃の根本をそっと握った。

 手のひらから伝わる鉄の冷たい感触は、何度感じても私を不安にさせる。儀礼刀とはいえ刃物であることは変わりない。それを握るという行為は、自らの命に手をかけているような錯覚さえ覚える。

 ……でも、不思議と怖くはなかった。連や理葩ちゃんを救うことができるのなら、私はいくら傷ついても構わない。その決意が、私から不安や恐怖を払いのける。

「――っ!」

 息を吸い込み目を見開くと、私は儀礼刀の刀身を強く握った。

 瞬間、刃が皮膚を裂くとともに痛みが走る。でも、私の目は刀身に注がれる。

 すぐにつうっと、手のひらから真っ赤な血が溢れ始めた。そして私の血は、刀身に刻まれた紫陽花と流星の紋様を満たしつつ、流れ落ちていく。その過程に何か間違いがないように、私は血の流れに集中していた。

 継承の儀を執り行った時の私はまだ幼く、ただ儀式の空気に呑まれているだけだった。そういえば、刀身を流れる血を見て『綺麗だな』なんて、呑気な感想を抱いたっけ。

 でも一度、輪戻を経験した今の私は、そんなことを考える余裕なんてなかった。

 今はただ、強く、祈るように儀礼刀を握り続ける。もしここで輪戻石が蕾の姿にならなかったら、過去に戻ることができなくなる。そうしたら、もう理葩ちゃんを救う手立てがなくなってしまうのだから。

 やがて、刃先から雫となった血がぽたり、ぽたりと垂れ始めた。一滴、二滴と血が落ちる度に輪戻石が赤く染まっていく。その様子を、私は祈りながら見つめ続けた。

 そうしてついに、変化が訪れた。

 石の全身が真っ赤に濡れたころ、突如輪戻石が小刻みに震え始めたのだ。花弁がまるで、そよ風に揺れる木の葉のように、ゆらゆらと揺らめき始めた。

 次に輪戻石は、自らに落ちる血を逃すまいと花弁でお椀のような器を作り始め、そのままゆっくりと花弁を閉じ始めた。いつの間にか私の血は輪戻石の中へ浸透していき、代わりに真っ白な表面が露わになっていった。そしてついに、石は私が一番見慣れた蕾の姿へと変貌を遂げた。

「――やった! 上手くいった!」

 左手の傷のことなんてすっかり忘れて、私は喜びの声をあげると同時に拳を握った。これでまた、過去に戻ることができる。

 儀式の余韻に浸ることもせず、私は傷を負った手をそのままに、儀礼刀の刃を首筋へ押し当てた。

「これで、私はまたあの空間にいくはず」

 一度目の輪戻の時、私は宇宙のような、深海のような、そんな不思議な空間へ誘われた。そこには無数の星が瞬き、その内の一つに、本来私が戻りたかった過去を内包した光の粒子があった事を覚えている。

 今度こそ、その光をつかみ取る。それで理葩ちゃんが事件に遭う前に戻って、彼女を救うんだ。

 私はゆっくりと深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着けると、勢いよく刀を振りぬいた。

 自分でも驚くほど、迷いはなかった。


◆◇◆◇◆◇


 次の瞬間、瞼を開けた私は闇の中にいた。そして底なし沼に沈むように、私は宇宙そらに落下する。

 私という存在そのものが、暗闇という水の中へ溶けていくような感覚。意識が混濁し、このまま身を任せて眠りたくなってしまう。……でも、それは許されない。

 私は落ち行く先に光を見た。いくつもの、無数に瞬く星の光だ。あの光のどこかに、私が帰るべき場所があるはずなんだ。

 やがて私は星の群衆に包み込まれる。この星雲を抜ける前に、過去をつかみ取らなければならない。気づけば、緊張で胸が苦しくなる。

 でもすぐに、私は胸の苦しさを忘れてしまった。なぜなら、声が聞こえ始めたからだ。

 それは誰かが泣きながら謝る悲しい声だったり、それは誰かが怒りに身を任せて怒鳴る怖い声だったり、それは誰かが狂ったように嗤う声だったり、それは誰かが笑い合う温かい声だったり……。それらの声は複雑に混ざり合い、無数にある粒子一つ一つからはっきりと聞き取ることが出来た。でもその声の中には、私が知らない女性の声も混ざっていた。

 この声のどれかに、連と理葩ちゃんが笑いあう温かい世界があるはずだ。

 だから私は必死に首を振りながら、星を探す。

「どれなの! どこにあるの!」

 あれも違う! これも違う! 沢山ある粒子にはそれぞれにがあり、そのどれもが私の求める世界とは違うと直感が働く。

 ――ふと、周囲から少し隔離された場所にある光に目がとまる。


『そういえば連。今週の土曜日は何時頃に行けばいい?』

『うーん、どうしようかな。せっかく翼の誕生日を祝う日なんだし、午前中から集まってもいいよね』

『じゃあさ、最初は買い物してその後に映画でも見ない? 最近出来たばかりのあの映画館に行ってみたいんだよね』


 ……これは、連と理葩ちゃんと一緒に登校したときの会話だ。と同時に、私は当時の色、音、温度を思い出していく。そして気づけば、私はあのときの景色を俯瞰していた。その間にもシーンは進んでいく。

 次の光景は、私を含めた三人が学校の校門へたどり着き、理葩ちゃんが中等部へ行くために別れた後のシーンだ。

 

『理葩は土曜日のお泊り会を楽しみにしてるの。家で何をしようかってずっと話してるくらいなんだから』

『そうなんだ~。去年も私の誕生日の時はおもてなししてくれたけど、まだなんかくすぐったい感じがするなあ』

『ふふ、初めて翼が家に来たときはちょっと挙動不審だったもんね。まるで子犬みたいで可愛かったわー』

『あの時は……仕方ないじゃん。私、人から何かをしてもらうのは不慣れだったんだから』

 

 ――ここで確信した。間違いなく、あの世界は私が戻りたい過去を内包した光だ!

「――っく! お願い、届いてっ!!」

 千切れんばかりに腕を伸ばす。指先が何度も光に触れそうになるけど、まるで悪戯をされているように、あと少しの所で届かない。

 どうして……! どうして届かないの! 私の何がいけないの!?

 諦めず私は手を伸ばし続けたけれど、やがて光が遠のいてくことに気付く。

「ま、待って! お願い!」

 それでも光は絶対に届かない距離まで離れてしまった。代わりに私の手は何もない虚空を空しく掴むだけだった。

 次いで私を襲ったのは、急激な落下の感覚だった。

 絶望と共に奈落の底へ落ちていくと、私の輪郭はだんだんと曖昧になっていき、最後にはゆっくりと溶けて消えていった。

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