騎士の誓い

りゅーが

第1話騎士と街

放課後の剣道部の部室には、まだ夕焼けの光が差し込んでいた。

 床に並べられた防具からは、かすかに汗と竹の匂いが漂っている。竹刀袋を背負い、俺──藤崎湊は最後の片付けを終えようとしていた。


 ふと、風が吹いた。

 開いてもいない窓の隙間から入り込んだような、奇妙に冷たい風だった。

 風鈴が鳴るような音がして、視界の端がわずかに歪んだ気がした。


「……え?」


 瞬きした次の瞬間、そこはもう部室ではなかった。

 畳の感触も、夕焼けの匂いも消え去り、代わりに土の匂いと冷たい空気が鼻をつく。


 草の茂る小道、石造りの街、遠くに聳える石の城壁。


 どう見ても、日本ではない。

 ゲームで見たような、中世のヨーロッパ風の景色が広がっていた。


「……マジかよ。なんだここ……?」


 誰もいない風景の中で、俺の独り言だけが妙に響いた。


風が吹いた瞬間、世界が変わっていた。



 藤崎湊は、剣道部の部室にいたはずだった。だが次に目を開けたとき、そこに畳はなかった。代わりに、足元には草と土と、遠くに見える石造りの建物。そして異国のような、どこか幻想的な街並み。


 人々が行き交い、馬車が石畳を軋ませて進んでいく。湊は、まるで中世ヨーロッパを模した映画のセットに迷い込んだような錯覚を覚えた。


「……マジで異世界……ってやつか……?」


 背中の竹刀袋だけが、唯一自分の世界のものだった。


 とりあえず街の中へと歩き出す。物売りの声、焼きたてのパンの匂い、鍛冶場から響く金属音──。すべてが現実とは思えないほど異質で、それでいて妙に生々しい。


 そのときだった。人混みの先で、女の叫び声が上がる。


「きゃっ、財布がっ!」


 一人の男が人をかき分けて走り出す。黒いマント、浅くかぶったフード。すぐに「ひったくりよ」という声があがった。


 湊は、ほとんど無意識に走り出していた。


「待てっ!」


 男が振り返る。目が合った。だが、ひるむ暇はない。

 湊は路面を蹴った。身体が自然に反応する。肩を沈めて距離を詰め──。


 「止まれ!」


 掛け声とともに右手を伸ばし、男の腕を掴む。

 竹刀袋の重みをうまく利用し、体ごと男を地面に投げ倒した。


 ドサッという鈍い音。男は呻き声をあげた。


 「はあっ……はあ……」


 湊が呼吸を整えていると、甲冑の音を響かせて数人の騎士が駆けつけてきた。

 先頭の男は、肩まである黒髪に鋭い目つき。青と銀の外套をまとい、他の騎士たちよりも格段に威厳を備えている。


「……見事な捕縛だな。名を聞こう」


 湊は立ち上がり、姿勢を正した。

 周囲の視線が自分に集中しているのを感じながら、口を開く。


「……藤崎湊です。ちょっと、見かけたので、体が勝手に……」


「そうか。私は〈ローエン騎士団〉隊長、グラハム・ロシュフォール。この街の治安を預かる者だ」


 その男は一歩近づき、湊の肩をじっと見つめた。


「剣の心得があるようだな。見かけぬ装束だが、もし差し支えなければ、その腕を確かめさせてもらえないか?」


「……確かめるって、勝負、ですか?」


「そう堅くならずともいい。ただの試し合いだ。君のような者をこのまま見過ごすには惜しい」


 周囲の騎士たちがわずかにざわつく。

 異国の少年が、隊長直々に声をかけられるのは異例のことなのだろう。


 湊はしばし考えた。だが──


「……いいですよ。俺も、どうすればいいか分からなかったんで」


 そう答えると、グラハムは口元にわずかな笑みを浮かべた。



「では、稽古場へ案内しよう。君の剣がどれほど通じるのか、興味がある」



〈ローエン騎士団〉の訓練場は、城壁のすぐそばにあった。石造りの建物の裏手に広がる広場には、木剣を振るう音と掛け声が響いていた。


 「相手は騎士団員の一人だ。全力でかかってくれて構わない」


 グラハム隊長はそう言い、湊に木剣を一本手渡した。

 握ってみると、やや重いが違和感はない。竹刀とは違う感触だが、構えに入ると自然と呼吸が整った。


 相手の騎士が一礼する。湊もそれに倣い、視線を合わせる。


 試合開始の合図と同時に、騎士が踏み込んできた。素早く、的確な剣筋。だが──


(浅い)


 湊は身を沈め、斜めに踏み出しながら腕を払う。木剣が空を切り、相手の体勢が崩れた瞬間、喉元に剣先を添える。


 「……ここまでだ」


 騎士が目を見開いたまま、動きを止める。


 静寂の中、訓練場にいた者たちがざわつき始めた。

 だが、グラハム隊長は無言で歩み寄ると、湊の前で足を止めた。


「どこで、その剣を学んだ?」


 真正面から問われ、湊は少しだけ言葉を選んだ。


「……日本って国の、剣道です。どこで、って言われても……気がついたらこの街にいて、訳が分からないまま……」


 グラハムの瞳がわずかに細まった。


「異国からの来訪者、か。君のような剣の才を持つ者を、ただの通りすがりとして放っておくのは惜しい」


 グラハムは静かに言った。


「湊、騎士団に入らないか? 最初は見習いからとなるが、いずれは正式な騎士団員として迎えられるだろう」


 湊はわずかに目を見開いた。

 戸惑いと、しかしそれ以上の安心が胸に広がる。何の手がかりもないこの世界で、やっと与えられた居場所のように思えた。


「よろしくお願いします。」


 頭を下げる湊に、グラハムは頷いた。


「では、まずは身の回りを整えよう。この前、新人が一人入ったばかりだ。彼に街を案内させよう」



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