神々の即興 ~空中戦の果てに~
楽屋通路は、本番前の熱気と静けさが混ざり合い、奇妙な湿度を帯びていた。ベテラン照明スタッフの汗が、額から一筋、顎へと伝い落ちる。カメラマンは、重い機材のファインダー越しに舞台袖を見つめ、指先でズームリングを微調整した。その指先には、ベテランならではの微細な震えがあった。何十年と芸人たちを撮り続けてきた彼も、この二人の「始まり」には、いつも張り詰めた緊張感を覚えるのだ。
スポットライトの真下に座るさんまは、まるで狩りに出る肉食動物のように、座り心地の悪いパイプ椅子の上で微動だにしない。隣の鶴瓶は、白いタオルを首にかけ、水を口に含んでから静かに嚥下した。水の味が、いつもより苦く感じられる。
「間もなく、どうぞ!」
スタッフの声と共に、二人は立ち上がる。舞台袖の暗闇から、客席の光はまるで銀河の淵のように遠く感じられた。彼らの鼓動が、静かに、だが確実にリズムを刻んでいる。
その瞬間、軽快で高揚感のあるBGMが鳴り響き、客席から万雷の拍手が一斉に沸き起こった。カメラマンの手に、一瞬だが確かな力がこもる。ここから先は、彼ら二人だけの世界。予測不能な「笑いの空中戦」の幕開けだ。
静かにマイクの前に立つ二人の間に、一瞬の「間」が生まれる。それは、嵐の前の、息をのむような静けさだ。
さんま: いや、あのな、鶴瓶。お前最近また健康診断で変な数値出たんちゃうか?
さんまの言葉は、まるで軽やかに投げられた毒針のようだった。笑顔の下に隠された、相手を動揺させようとする明確な意図がある。客席から、既に笑いの兆候が漏れ始めていた。
鶴瓶: 誰がや!誰が変な数値出しとんねん!おかげさんでな、全部基準値や! むしろお前や!お前みたいに無理して若い子の真似してんのが一番体に毒やろがい!
鶴瓶は顔をしかめ、観客に向かって両手を広げた。その仕草は、**「私は理不尽なイジメを受けている」**と観客に訴えかける無言のサインだ。客席から微かな笑いが漏れる。鶴瓶の小さな勝利だ。
(鶴瓶の心理) ふっ、いつもの手やな。俺が理不尽にキレることで、会場はまず俺に味方する。この小さな流れはもらったで。
さんま: あぁ?何言ってんねん。俺は若作りちゃうねん。俺が標準やねん。お前が老けすぎやねん!お前、昨日もラジオで言うてたやんけ。「最近、階段上るだけで息切れする」って。
鶴瓶: それはな、正直な話やろ!お前みたいに**「息切れなんかするわけないやん!」**って強がってる方がよっぽど危ないねん!な、お客さん。
さんまの高速トークに、鶴瓶も負けじと声を張る。マイクに、わずかに唾が飛ぶ音がした。
さんま: 違う違う。俺はな、正直に言ってるねん。「息切れ?するわけないやん」って。だってな、俺最近、歩かへんことにしたから。
さんまは身体を揺らし、突然話題のトーンを変える。この予期せぬギアチェンジこそが、さんまの真骨頂だ。鶴瓶は一瞬、次の手が読めずにマイクを握る指先に力がこもるのを感じた。
鶴瓶: (えぇー!?と大げさに目を見開く) あほかいな!歩かな健康診断どころちゃうぞ!歩かな死ぬわ!
さんま: せやから言うてるやん。もう歩かへん。俺の家、部屋と部屋の間が全部スケボーやねん。
鶴瓶: (爆笑ツッコミ) そんなことあるかいな!!誰がスケボーで移動するねん!なんやねんその御殿!家の中、常に『プッシュ!プッシュ!』て滑っとんのかいな!(観客、大爆笑)
客席全体が一斉に破裂したような、腹の底から出る笑い声に包まれた。マイクが湿気を帯びるほどの熱量だ。カメラマンの口元が、わずかに緩む。
(鶴瓶の心理) よし、もらった!しかし... (くそ、おいしいところ持っていきやがって) 俺がツッコミという名の「着地」を用意してやらな、あいつのボケは宙ぶらりんのままや。今のは完全にさんまのペースやな。
さんま: (ニヤリとしながら)せやろ。だから息切れなんかするわけないやん。お前こそ、毎日毎日変な健康グッズ買って。この間、お前が変なベルト巻いてるの、誰かが見た言うてたぞ。
鶴瓶が笑いをかっさらった直後、さんまは間髪入れずに次の「毒」を放り込んだ。鶴瓶の勝利の余韻を許さない、光速のカウンターアタックだ。
鶴瓶: (机を叩きながら、椅子から半分立ち上がる) そんなことあるかいなアホ!!ベルトが家出するかっ!!誰がそんな悲しい朝を迎えんねん!(大爆笑)
二度目の爆発的な笑いの中、さんまの瞳は輝いていた。
(さんまの心理) よし、ベルトの家出で爆笑もらった。これでもう一回ペースを握ったぞ。
鶴瓶の肩で息をする音が、マイクを通してかすかに響く。舞台上の熱気は、客席の熱気と混ざり合い、呼吸するたびに肌に張り付くような感触だ。
(鶴瓶の心理) あかん、さんま兄さんの目が笑ろてない。また何か仕掛けてくる...! (それなら、今度はこっちがいくぞ)
さんま: まあ、ええわ。ベルトのことは。あのな、お前も株とかやってるやろ?最近、日経平均が5万超えた言うて、景気のええ話があるやんけ。
さんまは、先ほどの私的なイジリから一転、全国民が知るニュースへと話題を大きく転換した。これは、より大きな「毒」を仕掛けるための準備だ。
鶴瓶: (体勢を立て直し、落ち着いたトーンで) ああ、株はやってるけど、お前と違ってコツコツ堅実や。この間、大きく反発したのはええことやけど、俺みたいな庶民には関係ないわ。お前みたいに資産がデカすぎるやつだけやろ、恩恵あるんは。
鶴瓶はあえて共感を誘う庶民派の意見で、さんまの金持ちぶりをイジるカウンターを入れた。
さんま: 違う違う!俺も庶民派や!あのな、俺はこの好景気に乗って、ある会社に大金ぶち込んどるねん。
鶴瓶: ほう。どこや。
さんま: ベルトが家出した会社。
鶴瓶: (間髪入れず、全力で) また、そこ戻るんかい!! アホ!その話で客は爆笑したやろがい!二度目は笑わんぞ!時事ネタから、なんでベルトの家出に戻んねん!
客席から、「もう一度戻ったか」という驚きと諦めが混ざったような笑い声が湧く。
(さんまの心理) (ニヤリ)そうはさせるか。大きな時事ネタでフリを作っておいて、一番くだらない、さっきのボケに戻る。この*「落差」*で笑いを取るのが、俺のやり方や!
鶴瓶: (全身の毛穴が開くような、ゾッとした感覚を覚える。さんまが、自分のツッコミを狙って、あえて話の本筋から外れていることに気付いたからだ) そもそもな、株で儲けても、お前また変なファッションの店にぶち込むんやろ。この前、**「公明党のニュース」**で誰かのファッション見たけど、お前の方がよっぽど変態やで!
鶴瓶は突然、直近の政局ニュースとさんまの有名な**「ファッションの欠点」を強引に結びつけた。これは、さんまの話題を私的な欠点**に戻し、主導権を奪い返そうとする、渾身のフックだ。
さんま: え?何言ってんの?
さんまは再び、究極の「とぼけ」を見せる。この時のさんまの目は、まるで氷の破片のように冷たく、鶴瓶の言葉を完全に弾き返したように見えた。
(鶴瓶の心理) あかん、弾かれた。あいつ、自分のファッションを公明党と結びつけられても、痛くもかゆくもない顔しとる。 (それなら) 世代の壁をぶつけるしかない。 (それなら、今度はこっちがいくぞ)
鶴瓶: (大きな溜めを作る) あのな、お前、最近の若い子の間で『YouTuber』って流行ってるの知ってるか?
鶴瓶は、わざと**「今更何を」という空気で、古くからの視聴者には既知の話題を振った。さんまが最も嫌う「時代遅れ」**のフリをすることで、イジる隙を作ったのだ。
さんま: あぁ、知っとる知っとる。なんか、テレビに出られへんかった子がやってる、地味なビデオやろ?
さんまはすかさず、**YouTubeという文化全体をバカにするような「毒」**を放り込んだ。客席から「ひどい!」という小さな声と笑いが起こる。
鶴瓶: 誰が地味なビデオや!中にはお前より遥かに稼いでる子もおんねん!お前、昨日テレビで**「自分もYouTubeやるか」**とか言うてたやろ!
さんま: ああ、言うた言うた。で、マネージャーに聞いたらな、「企画を練りましょう」とか言うねん。アホちゃうか。
鶴瓶: なんでや!
さんま: (マイクを少し引き、声を落とす) YouTubeはな、企画はいらんねん。俺がな、カメラ回しながら、風呂入るだけで、1億回再生や!
鶴瓶: (椅子から完全に立ち上がり、顔を真っ赤にする) どんな内容やそれ!! 誰がお前の裸なんか見んねん!需要と供給のバランスが崩壊しとるわ!
鶴瓶: (畳み掛ける) 大体な、お前がYouTubeで通用するわけないやんけ! お前みたいにカット割りが嫌いや、編集するな、って言うやつは、YouTubeの世界では、政府機関の一部閉鎖みたいなもんや!誰も扱い方知らんねん!
鶴瓶は、咄嗟に時事ネタ(政府機関の閉鎖)を比喩として使い、「さんま=時代遅れ」という図式を強固にした。客席は、今度こそ完全に鶴瓶の論理に納得し、この日一番の地鳴りのような爆笑が起こる。
(さんまの心理) (くそ、またや!政府機関の閉鎖と俺を結びつけやがった!) 地味なビデオや、と毒を投げたら、まさか裸の需要の話から、時代遅れの烙印を押されるとは。この笑いはデカすぎる...!
さんま: (悔しさを押し殺し、顔をニヤつかせる)...はっはっは。おもろいやんけ、鶴瓶。
(鶴瓶の心理) もらった!これぞ、俺の勝ちや!
さんま: (しかし、さんまは顔の筋肉一つ動かさずに、鶴瓶の目をまっすぐ見て)...でもな、鶴瓶。お前がもしYouTubeやったらな、コメント欄は全部お前を罵倒する言葉で埋め尽くされて、そのストレスでまた健康診断引っかかるぞ。
鶴瓶: (動揺) なんでやねん! 誰が俺のこと罵倒するねん!
さんま: だって、お前...
さんまはマイクから顔を離し、舞台の照明がさんまの顔の半分を陰にする。鶴瓶は、「次の一言」が何であるかを悟り、顔が青ざめるのを感じた。
さんま: (笑顔だが、目が笑っていない) ...おもろないからや。
(大爆笑。鶴瓶はマイクの前で固まる)
その瞬間、客席の笑いはまるで津波のように舞台を飲み込んだ。鶴瓶は一瞬、全てを失ったような顔で固まったが、すぐにハッとプロの顔に戻る。
鶴瓶: (声を張り上げ) 誰がおもろないねん! このツッコミのおかげで、お前が笑い取れたんやろがい!分かったか!
鶴瓶の捨て台詞にも、観客はさらに愛嬌のある笑いで応じた。
さんま・鶴瓶: ありがとうございました!
二人は声を合わせて、深々と頭を下げる。照明がゆっくりと落とされ、マイクの音が絞られると同時に、スタジオには軽快なBGMが流れ始めた。
熱狂の余韻に包まれたまま、二人は背中を客席に向け、舞台袖の暗闇へと消えていく。
観客からの拍手は、万雷の轟きとなって鳴りやまない。それは単なる歓声ではなく、一世一代の熱い勝負を見届けた人々からの、最大の賛辞の音色だった。
舞台袖にたどり着いた瞬間、さんまはマイクを外し、背後の騒音から解放されたように、フッと息を吐いた。
「ハッハッハッ!」
乾いた笑い声と共に、さんまは鶴瓶の肩を強く叩いた。
さんま: ええツッコミやったで、鶴瓶。 特にあの**「政府機関の閉鎖」**のとこ。あそこで一回、俺の心臓止まったわ。
さんまの笑顔は、先ほどの舞台上での冷たい笑みとは違い、心からの戦友への称賛に満ちていた。その瞳の奥には、どこか満足げな光が宿っている。
鶴瓶: (汗で濡れたタオルで顔を拭きながら)うるさいわ! お前こそ、最後の**「おもろないからや」**で、俺の血圧が限界突破したわい!あの笑顔は恐ろしいわ! お前には絶対に勝たれへん。
そう言いながらも、鶴瓶はさんまの肩をポン、と叩き返した。お互いに罵り合っているようで、その口調には、長年にわたる絆と、芸に対する深い敬意が込められている。彼らの間で交わされたのは、言葉ではなく、魂のぶつかり合いだった。
「お疲れ様でした!」
スタッフの声が飛び交う中、二人は次の仕事へと向かうため、楽屋とは逆方向へ、別々の道を歩き出した。その足取りは、次の「戦場」へ向かう戦士のように力強かった。
スタジオの外は、すでに宵闇が降りていた。都会のビル群の窓明かりが、無数の小さな星々のように輝いている。冷たい夜風が、高揚した彼らの頬を優しく撫でる。
先ほどまで、たった一つの部屋で繰り広げられていた笑いの宇宙戦争が嘘のように、街の喧騒は静かに、そしていつも通りに流れている。
しかし、二人の芸人の中で、そしてあの客席にいた人々の心の中で、あの**「空中戦」**の熱と興奮は、しばらく鳴りやまないだろう。彼らはまた、どこかの舞台で、新たな笑いの火花を散らすのだから。
(完)
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