第2話
店舗に設けられた酒場で、嬢と食事や酒を愉しんだあと、その嬢を気に入れば奥の個室で"サービス"を受ける――この店はそのようなシステムとなっている。
娼館にしてはまだ小綺麗なほうか、とムウは思う。薬物を取引する場だと聞いていたので、もっと荒んだ店でもおかしくはないが、ここは客層や治安も悪くはなさそうだ。嬢もスタッフも教育が行き届いている。
「……いらっしゃいませ、旦那様ぁ」
開店後は半刻ほど暇をしていたが、やがてちらほらと客が入ってきて、そのたびに挨拶をする。入店後すぐに嬢の指名を入れるので多分常連だろう。ムウのような新人は流石に相手にされないため、ホールを回って食器を下げたり机を拭いたりして時間を潰す。初日だし仕方がないことだ。
……密輸に関わっているとすれば、嬢と客の間だろうか?
個室内でなら「何が行われていても」不思議ではない。ムウの思考とともに徐々に夜闇の色が深まっていく。
そして、開店から二刻くらい経った頃のことだった。
入口すぐの受付は棚の陰に隠れており、ホールからはどんな客が来たのかいまいちよく見えない。いらっしゃいませ、旦那様。ムウは慣れた言葉を繰り返し口にする。
その客は受付の手続きに手間取っているようだった。初めて来る客だろうか。若い客なら年齢確認が入るだろうし、そもそもこういった風俗自体が初めてなら、店の過ごし方からレクチャーを受けねばならない。ムウはそっと聞き耳を立てる。
「……では、ここの酒場……で、お気に入りの……見つけて……あとは女の子から……」
「そう……ですね、ありが……」
小声で話しているのかうまく聞き取れない。受付嬢と若い男の声のようだ。やがて、棚の陰から2人が姿を現す。
「――あ、あの方。お綺麗ですね! 気に入ったので、案内してもらえませんか?」
「その子は今日入った新人ちゃんですね! 良いですよ、お付けします」
鮮やかな空色の髪の男を見て、ムウは絶句する。
(セド――!?)
・ ・ ・
セドは席につくなり、涼しい顔をしてニコニコと笑みを浮かべている。ムウは冷や汗が止まらなかった。セドに絶対に気づかれないように準備し、今日も嘘の予定でここへ来たというのに、一体全体どこでバレたというのか。
「ドレス、似合っていますね」
あくまでセドは客としての態度を崩さなかった。ムウも"嬢"であるし、何より潜入している以上、不自然な態度は見せられない。
「そういう旦那様も、男前で格好いいですよ……っ。私、旦那様みたいな人、タイプなんです」
絶対にセドには言わない、歯の浮くような媚びたセリフ。ムウは自身の身体がマナ構成体であることを利用し、引きつる表情を無理やり完璧な笑顔へ作り変える。セドは態度を変えず、ホールを回るスタッフへ料理を注文する。
「今日からこの仕事を始められたのですか? 新人さんと聞きましたが」
「……この店では今日から。数年前は他店に勤めておりました」
数年前おろか数百年前の話である。サバを読むのもいいところだ。ソファの背もたれのおかげで誰にも気づかれていないが、ムウのドレスの背中部分が汗で変色している。手の震えも止まっていない。
「この店では、もう何人かお相手されたんですか?」
「いえ、旦那様が……初めてお相手させていただいてまして……」
「へえ、嬉しいですね」
ひとつ、またひとつと言葉を交わすたび、ムウはまるで詰問されているような感覚に陥った。とっとと謝って逃げ出してしまいたい。こんなことならリンリエッタから金を巻き上げ、嬢を買収したほうが早かったと後悔する。テーブルに料理が届くが、何にも食べる気が起きない。
「……食欲、ないんですか?」
(誰の、誰のせいだと思っている!)
こくりとムウは頷き、ゆっくりとセドの肩へしなだれかかる。情愛を求める表情を作りあげ、長いまつげの隙間から、ありったけの敵意を込めた瞳をセドへと向けた。ムウはセドの手に自分の手を被せ、静かに爪を立てて握り込んだ。
「久しぶりだから……ちょっと緊張しちゃったみたいなの。人も多いし」
「それは大変! 僕でよければ、人のいない"奥"へ行きましょうか」
セドは握られた手をくるりと返して、ムウの手首を掴み返した。
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