第11話 おつかれさまのファミレス
ある土曜日。
私と椿さんは、有名チェーンのファミレスに来ていた。
「じゃあ、テストが終了したということで……乾杯!」
「かんぱーい」
プラスチックのコップ同士が、鈍い音を立ててぶつかる。
各々ドリンクバーで注いだ飲み物……私はオレンジジュースを、椿さんはメロンソーダを飲んで、ひと息ついた。
「いやー、テスト疲れたね、先輩」
「本当ですよ……」
一応、これはテストお疲れ様会だ。
週末にあったテストの結果が返ってくる前に、一旦はご褒美みたいな時間がほしいねという話になり、ご飯でも食べに行きますかということになり、ここに至る。
「手応えはどんなもんっすか」
注文したドリアを食べようとすると、既に明太子パスタを食べ始めていた椿さんがそう話しかけてきた。
「正直に言うと……わかんないです」
「ほー?」
「いつもよりは絶対いい点数を取れてると思います。でも、全部が30点以上の自信はあんまり……」
椿さんに教わった甲斐あって、前よりも確実に解ける問題が増えたと思う。択一式の正答率なんかはかなり上がったはず。
ただ、困ったことに人というのは、わかることが増えると「自分がどれだけわかっていないのか」もわかるようになるもので。
解きながら、ああこれ多分間違ってるんだろうなと思うことも増えた。
「まぁ元が15点やし、30点って二倍やもんな」
「そう聞くとますます難易度が高いような気がしてきました……」
30点を取ると聞くと簡単かのように思われるが、元々の自分の二倍の点数を取ると考えると話が変わってくる。
なにせ私は留年の危機にある女だ。そう簡単に30点が取れると思ってもらっては困る。
「不安なら自己採点付き合おか?」
「いや……遠慮しておきます。テストの返却を待ちたいので」
「そっか。でも大丈夫やと思うよ。30点取れるだけの勉強はしてきたんだし、なんなら教科によっては40、50点もありえるかもしれへん」
「そうだったら嬉しいですけど、さすがにそんな点数は無理ですよ……」
5問に2問とか、2問に1問くらい正解するなんて夢のまた夢だ。
実際は10問に2、3問合っているか否かである。
「でも……本当にありがとうございます、椿さん」
「なにが?」
「勉強を教えてくれて、に決まってるでしょう」
「あぁ、どういたしまして」
なんでお礼を言われる自覚がないんですか、この人。
「わたし、こんなにわかりやすい教え方されたの初めてで。椿さんって先生に向いてるんですね」
決して、今まで勉強を教えてくれた人たちが駄目な訳じゃない。駄目なのは私の理解力だ。
でも、椿さんの教え方は誰よりもわかりやすくて、丁寧で、優しくて。
いつの間にか、私は質問をするのが怖くなくなっていた。
そんなこともわからないの、と呆れられるんじゃないかという固定観念は、この後輩にじっくりと緩やかに溶かされてしまったんだ。
「わかりやすかったならよかったわ。人に教えることってあんまなかったし、私も自信なかったから」
「え、そうなんですか? 慣れてるものかと」
「慣れてないよ。たまに友達に聞かれたら答えるくらいで、こんなガッツリ教えんのは初めて」
最初からテストやら何やら準備してくれたり、スケジュールを組んでくれたりしていたから、てっきり経験者かと思っていたけど。
違うんだ?
「でも椿さんすごかったですよ。私が何がわかって何をわかってないのか、すごくわかってて……私より私の頭を理解してましたもん」
私でさえ未知数の私の理解力を、椿さんはわかろうとしてくれた。わかってくれた。
最後らへんに至っては、私が理解に時間がかかりそうなところを先回りで細かく解説してましたし……。やっぱり先生の才能がある気がする。
「それは……ゆー先輩が相手やったから」
「バカ相手だからできたことって話?」
「だから自虐エグいって。そういうことじゃなく……」
「うん?」
「……なんでもない。それよりゆー先輩、ドリアひとくちちょーだい」
あれ、なんか話逸らされた?
気のせいか。ただ食い意地張ってるだけか。
「明太子パスタ一口で手を打ちましょう」
「じゃあ、ちょっと交換ね」
「はい」
私も椿さんのパスタが気になっていたし、ちょうどいい。
お互いに皿を相手の元へズラして、食べかけのそれを一口ずつもらいあった。
なんかこういうの、友達っぽい。
せっちゃん、見てますかせっちゃん。私、ヤンキーの後輩と休日にファミレスに来るくらい仲良くなってます。あと家にも行ったんです。すごくないですか。
「ドリアうま。私もそっちにすればよかったかな」
「明太子パスタも美味しいですよ?」
程よいバターの風味と、明太子のピリ辛さがパスタによくマッチしている。
ドリアも美味しかったけど、こっちも当たりだ。
「ドリアのが美味しい気がする。隣の芝生が青く見えてるだけかもやけど」
「このまま最後まで交換しときます?」
「いや、注文したからには責任持って明太子パスタ食うわ。ありがと、先輩」
「謎の責任感……。こちらこそどーも、美味しかったです」
交換したものを交換して、元ある場所に料理が戻る。
おかえりドリア。
「よし、ひと粒残らず食うたるからな明太子……」
「ひと粒残らずはだいぶ難易度高いでしょ」
待ってろ明太子、と謎の意気込みを言って、再びパスタを頬張る椿さん。
ずっと勉強を教えてもらってきたけど、こう見るとやっぱり年下って感じだ。
私たちはドリアと明太子パスタ、ドリンクバーを楽しみながら、この1ヶ月間の話をした。
「まさか先輩が勉強苦手だったとは、気づいてなかったなぁ……」
「堅物風紀委員ですからね」
「自分で言う?」
「こっちこそ、椿さんがガリ勉だなんて知りませんでしたよ」
「インテリヤンキーですから」
「自覚あるならその髪とピアスをどうにかしなさい」
「イヤや」
「ゆー先輩の弁当、ずっと美味かった」
「ならよかったです。そういえば一回オクラを入れてみたときの椿さん、ケッサクでしたね」
「あれは先輩がわざと私の苦手なもん入れるから……」
「ほんの遊び心ですって。反応が見てみたかっただけで……。私が食べるから大丈夫って言ったのに、無理やり口の中に入れたのはどこの誰ですか?」
「だってゆー先輩が作ってくれたもんやから、食べたくて」
「そーゆーこと言われると罪悪感あるんですけど……」
「ゆー先輩がフビライ・ハンとフランシスコ・ザビエルを同一人物だと思ってたときは震えたわ。おもろすぎる」
「……だって顔似てるから」
「いや髭だけやん」
「椿さんって英語得意なのに、発音は意外と苦手ですよね」
「アイキャンスピークイングリッシュ」
「すごいカタカナ……」
「紙の上の知識しか入れてこんかったからなぁ……」
「そこまで完璧だったら怖いですよ。隙がある方が安心するし、いいんじゃないですか」
「そういうゆー先輩は耳いいよね。発音じょーず」
「Yes……oh……we can!」
「内容アホすぎやろ」
「私たちを足して2で割ればちょうどよくなりませんか?」
「はは、そうかも」
「そういや私、中学のとき四天王だったらしくてさぁ」
「は? 四天王?」
「うん、サトリの七海って呼ばれてたんやって。最近知った」
「通り名ダサぁ……」
「それな!? ダサいよな!?」
「この1ヶ月でむちゃくちゃ成長したよね、先輩の学力」
「そうだといいんですけど……」
「絶対そうやって」
長いようで短い1ヶ月。
それでも、他愛のない思い出話に花を咲かせれば、ずっと満開でいられそうなくらい、話題が尽きない。
もう何杯目かわからないドリンクバーのジュースを飲み干すと、いつの間にかすっかり日が落ちていた。
ちょっとだけ寂しいけど、そろそろ帰らなくちゃ。
そう思って、伝票を手に取ると。
「あー、でも、この1ヶ月さ」
椿さんは最後に注いだジンジャエールを、小さくなった氷ごと飲み込んで。
空になったコップを、ひどくゆっくりテーブルに起きながら。
「楽しかったなぁ……」
ひとりごとみたいに、そう呟いた。
「つ、椿さ……」
「そろそろ帰ろっか、ゆー先輩」
「……はい、帰りましょうか」
くしゃりと歪んだ伝票と、荷物を持って、私は席を立つ。
支払いを済ませて店を出るまでの間、さっきまでのお喋りが嘘みたいに会話はなかった。
駅まで一緒に行くことになった帰り道、私はなんだか気まずくて、椿さんの数歩後ろをおずおずと歩く。
もう夏は終わっているのに、今は夕方のはずなのに、じわりと肌に汗が滲んで、なぜか暑さを感じた。
そうして、改札に入る直前に、椿さんは不意に振り返り私のことをじっと見つめて。
「あのさ、私らって……ぁ、いや、ちゃうか」
何かを言おうとして、やめて。
「ばいばい、先輩。テスト、いい点やといいね」
そんなふうに、言い直した。
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