第6話「この街での食事が大好き」
「ナツメグという香辛料をご存知ですか」
冷静に言葉を紡ぐ。
「ナツメグは、異世界からやって来た香辛料の一種です」
自信があるわけでもないのに女性を救おうと動いた、自身の行動に責任を取る。
ただそれだけを考えて、女性を救うための一手を頭の中で組み立てていく。
「お肉料理に使えば、肉の臭み消しや旨みを引き出します」
相変わらず空は、灰色の雲に覆われている。
ザクスくんの水魔法の演出は終わったはずなのに、まだ晴れやかな空に会えないことに戸惑いが生まれる。
「クリームシチューやホワイトソースに使えば、風味を足すことができます」
青い空が見えないことに不安が生まれ始めるけれど、その不安を隠すように、ぎゅっと手に力を込めて不安を打ち消すように努める。
「お菓子に使うと、甘さに深みを与えたり、ほんのりとしたスパイシーな香りを足す効果があります」
お客様に提供したことはないけれど、自分が食べるようにナツメグを研究したときのことを思い出す。
ナツメグの香りが焼き菓子に高級感を持たせ、風味豊かにしてくれた。
利点だけを考えれば、今すぐにでもサニー・クールカフェで活用していきたいと思うほどの魅力がナツメグにはある。
「いいことだらけじゃないか」
「うちも料理に使ってみようかしら」
異世界と呼ばれる場所との交流が増えることで、私たちは見たことも触ったこともない食材に出会うことになる。
その物珍しさは、料理人たちの探求心をくすぐっていく。
「でも、大量に摂取することで、中毒症状を引き起こします」
苦しみ悶えていた男性のために何ができましたかと尋ねたくなるような医師の男性に、ナツメグが秘めている毒に関して同意を求める。
「その女性の言う通りです」
医師の男性を責めるつもりもないけれど、医師が苦しみを訴える男性のために何もできなかったのも事実。
たまたま市場に買い物に来ただけの医師が、男性を助けるための医薬品を持ち歩いているわけがないのだから。
「ナツメグは摂取し過ぎると、臓器不全を招くこともあります」
ただの
自分に力を貸してくれる人がザクスくん以外にもいることに安堵し、自身の心臓を落ち着けるために自分の心臓へと手を当てる。
「私も飲食店を経営しているからこそ、気持ちがわかります」
女性を救う一手になるかなんて分からないけれど、自分にできることがあるのなら言葉を紡ぎ続けたい。
そんな気持ちを高く掲げながら、トリアと露店主の女性の到着を待つ。
「異世界から来た食材は魅力的です」
雲が、ふわりと漂っていく。
永遠に雲が留まってしまうのではないかと思ってしまうほどの重たい色を含んでいた雲が、少しずつ流れ始める。
「みんなが、ナツメグの魅力に気づいた」
雲が流れることで、その雲の向こうには光が待っているのではないかと期待が生まれる。
「みんなが、ナツメグを使って、お客様を喜ばせたいと思った」
空の色が、少しずつ明るくなってきたような気がする。
雲の切れ間から、青空が覗き始める予感がする。
「そんな気持ちが、この街にナツメグを蔓延させてしまったのではないかと」
長いこと暗い雲の色しか見ていなかったような気がしていたけれど、雲は鈍い動きで動き始めていた。
明けることのない夜がないように、雲の動きにもやっと変化が訪れた。
「ミステルっ……!」
「トリア! ありがとうございます!」
「なんだい、なんだい、このナツメグの香りは!」
振り向くと、そこには異世界から来た食材を取り扱っている露店の店主である女性が立っていた。
背後には息を切らしたトリアが待機していて、私の願いを叶えるために慣れない体力を使ってくれたのだと分かった。
「ここら一帯に漂っている香りは、ナツメグで間違いありませんよね?」
「ああ……なんで、こんなに香ってくるんだい……?」
露店主の女性が、眉間に皺を寄せてしまうのも無理はない。
閉鎖された環境下でナツメグの調理をしたのではなく、空を仰ぎ見ることができる場所でナツメグの香りが漂っている。
新鮮な空気を吸える場所で、ナツメグの香りだと判断できることへの違和感に女性は驚きの表情を見せる。
「室内でもないのに、ナツメグの香りが広がっていること……ご理解いただけたでしょうか」
市場を利用している人たちは息を飲み、警察と衛兵たちは荒げた態度を取ることなく話に耳を傾けてくれた。
「ナツメグを取り扱っている店主が、市場で起きている異変を証明してくれたと思います」
市場の喧騒が途切れることなく続く中、私はナツメグに関して知識のある人たちの力を借りて事態を打開するために言葉を紡いでいく。
「正確な原因は調べてみないとわかりませんが、男性の症状を見ると、ナツメグの過剰摂取も十分に考えられます」
私に足りない言葉は、地面に蹲っていた男性を救おうとしていた医師が補ってくれる。
「っ、俺はただ……ただ……この街での食事が好きで……」
体調不良を引き起こした男性が自身の過去を振り返っていくことで、男性がナツメグという異世界の香辛料に吸い寄せられたことが判明していく。
「だって、肉だって美味かった! パイも美味かった! みんなみんな、俺の腹を満たしてくれた!」
ナツメグを大量に摂取することで体調不良に陥ってしまったのは事実でも、男性は口にした食べ物すべてが美味しかったと警察に訴えかけてくれる。
「迷惑をかけたのは悪いと思ってる! でも、俺は、これからも食べ続けたい!」
自分のせいで大事になってしまったと、男性の心の中ではナツメグへの理性と欲望が激しく攻めぎ合っているかもしれない。
「美味かったんだよ! な、この街に、不味い食べ物なんてなかっただろ!」
それでも必死に、声を上げ続けてくれる。
この街での食事が大好きだという気持ちを叫び続けてくれる。
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