第2話「パルミエ」

「ミステルさんの気が済まないっていうなら、売り切れなかったお菓子が欲しいかな」


 彼が振り向くと、彼と目線が合う。

 その当たり前に戸惑っているのは私だけで、彼はいつも通りの綺麗な笑顔を浮かべて世の女性を魅了しにかかる。


「ミステルさんのお菓子が食べたい」


 了承の意を示すために、小さく首を振る。

 喜んでと言葉を返すのが礼儀かもしれないけれど、ザクスくんがくれる言葉の数々が嬉しすぎて、胸がいっぱいになる。

 それで言葉を紡げなくなってしまうなんて、なんとも情けないとは思ったけれど。 

 それでも、本当に胸がいっぱいになると人は言葉を紡げなくなるということを初めて知った。


「とても、ありがたいです」


 やっと発した言葉は、少しも魅力のない言葉で愕然としてしまう。

 でも、ザクスくんが柔らかな笑みを返してくれるおかげで、自分の言葉は間違っていないのだと自信を持つことができた。


「今日は、どんな仕事を教えてもらえるんですか」


 ザクスくんの喋りに、丁寧な言葉が混ざり始める。

 初めましての間柄ではないのに、カフェ店員としての仕事を学ぶ姿勢を整えていく。

 さすが宮廷職員として、世のため人のために仕事をしているだけのことはあるのかもしれない。


「ご存知の通り、サニー・クールカフェに人手は必要ありません」

「最初に、ざっくりと切り捨てちゃうんだ……」

「私が食べていけるだけの稼ぎがあれば十分。それって、最高に幸せなことだと思いませんか?」


 初めてザクスくんと二人きりになったときには、心が荒んでしまうほどの雨が空から降り注いだ。

 今、二人きりで過ごしている時間に、雨雲のようなものは見当たらない。

 すっかりと雨は去り、私がお店を経営している街は再び穏やかさを取り戻している。


「余計な荷物は背負わなくていい……みたいな?」

「時には、荷物が人の力になってくれます。なので、荷物を持つことは否定しません」


 でも、私は、あの日、街に降り注いだ雨が描いた景色を忘れられないと思う。


「私がのんびりと気ままに楽しく人生を歩むために、ほんの少しの荷物をくださいな」


 雨が残した、一瞬の奇跡。

 空から降り注ぐ雫が世界に残していった美しさが記憶に刻まれていれば、これからの人生も心穏やかに生きられるような気がする。


「俺が荷物ってところは心外です」

「私を警察に連行しようとしたザクスくんは、どう考えても荷物です」


 ザクスくんがお気に入りの窓際の席に視線を向け、澄んだ空の青を確認。

 雲ひとつない空が広がっていて、今日は絶好の日和だと確信する。


「でも」


 お店の片隅に立てかけてあった、古びた木製の看板を取り上げる。


「感謝してます」


『閉店中』の文字が書かれてある看板を、店内の出入り口の扉へと掲げる。


「感謝ってことは、やっぱ、治癒魔法使える?」

「使えません」


 店内に備えつけられている小さな棚から、革製のバッグを取り出せば準備は万端。


「私はザクスくんと同じ、滅びかけの魔法使いですよ」


 鉄製の鍵を握り、ザクスくんも一緒に外へ出るように手招く。


「いい天気で稼ぎ時なのに、出かけちゃうのもったいないですね」

「焼き菓子は、無人販売できるようになってるんですよ」

「さすがは、気ままなサニー・クールカフェ」

「気ままのところだけ、抜き取りましたね……」


 木製の扉が、ぎぃぃという音を立てながら閉まる。


「今日は、お客様のための材料採取に励みますよ」


 風に乗って、遠くを飛んでいるはずの鳥のさえずりが聞こえてくる。

 鳥のさえずりが聴覚に届くと、どうしても願わずにはいられなくなる。

 モンスターが人を襲うことなく、平和な時間が少しでも長く続きますようにと。


「ん、バターの香りがいいですね」

「あ、ザクスくん、モンスターが寄ってきました」


 舗装されていない道を歩き進めていくと、その先には緑豊かな森が待っていた。


「少しだけ、邪魔させてもらうな」

「キュ、キュッ」


 モンスターと戦う際に、自分の身を守るという意味での魔法使用は禁じられていない。

 それでも、むやみやたらに攻撃魔法を仕掛けて、モンスターの住処を奪うことにはなってはいけないと持論にザクスくんは従ってくれた。


「今日のお菓子は、パルミエですよ」


 ハートの形をしたパイであるパルミエを、寄って来たモンスターたちに配布する。

 外見は動物のリスやうさぎに似ているけれど、私たちが相手にしているのは人間の脅威になる可能性を秘めたモンスターたち。

 少しだけ緊張感が走るけれど、すぐにその緊張感は解かれた。


「キュッ! キュッ!」

「ん? もっと?」


 モンスターの口の大きさに合わせてパルミエを割る際に、さくっという音が心地よく森の中へと広がる。

 それと同時に、ザクスくんとモンスターの優しい会話が当たりを包み込む。

 この一連の流れに、心を穏やかにせずにはいられなくなる。


「俺も、食べたい……」

「あとのお楽しみです」

「はーい」


 さくっという繊細な音とともに、パイの一片がほろほろと崩れる。

 薄い砂糖のコーティングが、モンスターたちの口の中で優しく溶けてくれたみたいだった。

 人間に対して攻撃姿勢をとらないモンスターたちの笑顔を見て、モンスターたちにも中身のないパルミエのシンプルさが伝わっていることに安堵する。


「このパルミエ、表名はなんて言うんです?」

「闇夜の呪い、です」

「ああ、食べると虜になる的な感じですか」


 ずばりお菓子のネーミングを当てられたことに、思わず口をぽかんと開けてしまいそうになった。


「本当にモンスターが虜になったら、困っちゃいますね」 


 でも、あまりにもザクスくんが穏やかな笑みを浮かべるものだから、自分ばかり間抜けな顔を晒してはいられないと気を引き締めるために口を閉じた。

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