第4話「夢と不都合と」

「メニュー表の改善案をくれたお礼、まだしてませんでしたよね」


 雨には植物が育つ手助けをする力や、気温を適度に保つ効果もある。

 恵みの雨という言葉に嘘も偽りもないのに、店内を包み込む雨音に耐えられそうもなかった。

 いつもは賑やかな時間帯なのに、雨が訪れるだけで不思議と空気が重くなる。

 わざと話題を切り替えて、用意していた新作の焼き菓子をザクスくんの前に提供する。


「グリーンブラットの葉で作ったマフィンです。お礼も兼ねて、試食をお願いできますか……?」

「ふっ、なんでお礼と試食が兼ね合ってるんですか」


 彼が、笑顔を見せてくれたのが随分と久しぶりのような気がした。

 決して、そんなことはないはずなのに。

 久しぶりに会うことができた彼の笑顔は、雨で下がりつつあった店内の空気を一気に暖かなものへと変えてくれる。


「私にできることと言ったら、これくらいのことしかなくて……」

「ありがたくいただきます」


 運んできたマフィンは、店頭で揃えているものとは違う色合いをしている。

 深い緑色をしたマフィンに戸惑ってしまうのも当然なのに、グリーンブラットが持つ深い緑の香りを嗜むという大人の態度に驚かされた。


「グリーンブラットって、薬に使う葉ですよね?」


 ザクスくんは丁寧な喋り方と、普通の喋り方が混ざるときがある。

 それはわざとなのか、意識せずなのか。

 尋ねたことはないけれど、それが彼の個性を象徴しているような気がした。


「どうして治癒魔法があるのに、グリーンブラットに頼ろうとしたんでしょうね」

「魔法を使えない人が存在するからですね」

「うっ……」


 ザクスくんに否定されることで、一気に口角が下を向いてしまう。


「いつだって隣に魔法使いがいる世界じゃないですから」


 この世界における魔法の素質に、代々親から子へと引き継がれる遺伝要素はまったくない。

 親が魔法使いでも、子どもが魔力を持っていない。

 子どもは魔法使いの才を持っていても、その家系では誰も魔力持ちがいない。

 そんな不思議な現象は当たり前に起きていて、魔法を授からずに生まれてくる人がいることになんら疑問を抱くことがないというのが世界におけるとなっている。


「モンスターに襲われたとき、魔力を持たない人はどうやって治療するんですか?」

「……薬の力ですね」

「はい。ですから、魔法は滅びました」

「そんなはっきり言わなくても……」


 ザクスくんはゆっくりと手を伸ばして、深緑色のマフィンを手に取る。


「ん、美味っ」


 丁寧な喋り方ではなく、本音と捉えられるような言葉が零れてくる。


「ぶっちゃけ、苦そうだなって思ったんですよ」

「グリーンブラットの繊細な苦みと、マフィンの甘さを絡ませるところがポイントです」

「バランス、いいと思います」


 ザクスくんから笑顔が消えかけていたことを心配していたけれど、彼の表情や声の調子から喜びが感じられるようになった。


「あー、でも、子どもには苦すぎですか?」

「そこが、グリーンブラットの難しいところなんですよね」

「これが薬だったら、確実に飲みませんね」


 壁に掛けられている大時計の針の音が、自分の心臓の音に重なって響くように感じる。

 試作品に対しての緊張を解いてくれたのは彼であることに間違いはないけれど、新たな課題を提供してくれたのも彼だった。


「大人向けのお菓子って発想に転換するのは、どうでしょう……」


 グリーンブラット味のマフィンを提供するために考えを巡らせ、ふとザクスくんが座っている席を振り返った。

 すると、彼は楽しそうな笑みを浮かべていたことに気づく。


「いいんじゃないですか。大人だって、甘いもの、口にしたいですから」


 彼がくれる温かな言葉に、思わず肩から力が抜けてしまいそうになった。

 そっと近くに置かれていたテーブルに手を置いて、大人のための癒しを考えられたことに安堵する。


「焼き菓子って、手軽に食えるところが好きです」

「そんなに喜んでもらえるなら、やっぱり焼き立てを提供できるようになりたいですね」


 新作を受け入れてもらえた喜びを抱えながら、調理場へと戻ろうとしたときのことだった。


「人、雇わないんですか」


 私たちの会話が、繰り返されている。


「さっきも言いましたけど、人を雇う余裕がないんです」


 もちろん時が戻ってしまったという事象が発生しているわけではなく、同じ言葉が繰り返されているだけのこと。

 ザクスくんは従業員が一人しかいないことを心配していて、私は人を雇う余裕がないと返答する。このやりとりをするのは、二度目だった。


「人がいれば、焼き立てを提供することも可能だよ」


 数日前に交わした会話ならともかく、ついさっき話した会話の内容を覚えていられないほど時は経っていない。


「それとも、人を増やせない事情でも?」


 空が暗い色をまとい始め、雨の匂いを含んだ風が開いている窓から入り込んでくる。

 どこの窓が開いているのかと思い出したいのに、目の前の会話にも集中しなければいけない。


「たとえば、知られたくないことがあるとか」


 互いを知り尽くしたというには大袈裟だけれど、ザクスくんとの関係は長いと思っている。

 でも、初めて見るような真摯な眼差しに、私は足を動かせなくなった。


「従業員を増やすと、不都合とか」


 いつも、ザクスくんとの間にあるのは穏やかな空気。

 そんな懐かしい空気を彼も忘れてはいないらしく、問い詰めるような声を発しないように心がけているように見えた。

 彼の優しい声は、二人きりの環境下でも失われていない。


「レイニーバードを招いたのは、ザクスくんですね」


 だから、私もなるべく優しい声を心がけた。

 私たちは喧嘩をして、このカフェの空気を壊したいわけではないという意思を確認し合う。

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