第14話 軋む結界、歪む心の境界線


朝の光が差し込む神社の境内は、

いつも通り静かだった。

だが、その静けさの奥には、

確かな“違和感”が潜んでいた。



「……優李、また寝てないの?」



私が声をかけると、

優李はゆっくりと振り返った。


 

「寝てるよ。……たぶんね?」



笑ったその顔に、

いつもの柔らかさはなかった。


 


「夢を見るんだ。鈴の音が鳴ってさ。

赤い血の匂いと、誰かの声が、

ずっと聞こえてるんだよね。」


「優李……?」



「――『やめて』『置いていかないで』ってさ。ははっ、まるで誰かが泣いてるみたいだよね。俺のせいで。」


 


胸がざわつく。

それは夢の中で見た、

封印の間際に泣いていた零禍の声と、

そっくりだったから。


 


その夜。

朧は境内を巡回していた。

彼の目も、優李の異変を見逃してはいない。


 

「……あいつ、変だよな。」


「……そう、だよね?」


「“何か”が擦り寄ってる気がする。

普通じゃない。まるで、

意図的に壊されてるような……、」


 

「零禍の影響……なの?」



「断言はできないが、そう思っている。」




朧の声は冷静だが、

その目には明らかな警戒があった。



「澪、もしものときは

――あいつを、止められるか?」


 


「やだよ……そんなの……!!」



私は震える声で返した。



「優李は、私の……大切な幼なじみだよ。

零禍を封印したときも、

ずっと私のそばにいてくれて……」


 


「だからこそだ」


朧の声が鋭くなる。



「“優李”の中に、もう“零禍”の気配が染みてる。あいつが完全に壊れる前に、見極めなきゃいけないんだ。」


 


私は唇を噛み、何も言えなくなった。


 


 


数日後。

神社の周囲に小さな異変が起こり始めた。

神楽殿の結界の柱が微かにひび割れるたり、

本殿の鏡に、一瞬だけ“もうひとつの顔”が映ったりなど。





そして――


 


「澪。」


優李が、再び話しかけてきた。

だがその瞳は、

どこか“遠い場所”を見ているようだった。


 


「君さえいれば、俺は大丈夫だと思ってたんだ。でもさ……俺、もしかしたらもう、“俺じゃない”のかもしれないんだ。」


 


「……そんなこと...ないよ。」


「ほんとに?」


 


優李が微笑む。

その笑顔には影があった。


 


「俺さ、最近夢の中で、澪に向かって手を伸ばしてるんだ。でも――届かないんだ。

君は俺の名前を呼ぶ。でもその声は、いつも“零禍”のほうを見てる。」


 


私は心臓が一瞬止まったような感覚に陥る。


 


「――零禍、って言うんだ。

俺の前で。何度もっ、何度も!!」


 


「優李、それ……」


 


「ねぇ、澪。教えてよ。

俺のこと、もう見てないんでしょ? 本当は……零禍のこと、覚えてたんでしょ?」


 


私は返す言葉が見つからなかった。

その時、ふと朧が境内に現れ、

私の腕を引いた。


「下がれ。こいつ、もう“限界”が近い。」


 


「なに、言って――」


 


「俺の目には見える。優李の“内側”に、零禍の気配が直接入り込んでるんだ。」


 


その言葉に背中が凍る。


 


「優李が、零禍に……?」


 


「まだ完全じゃない。

だが、放っておけば……。」


 


振り返ると、

優李はただ無表情で私を見ていた。


 


「……俺、澪が、

どっちを見るか見ていたいんだ。」


「朧か。零禍か。……俺じゃなくてもいい。でも、君の目が見てるのが、俺じゃないなら……」


――俺は、どうすればいいのかな ?


 


その呟きに、私は何も言えず、

ただ立ち尽くしていた。


 


そして、夜の風の中に、

またあの鈴の音が鳴った――


 

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