第四章:テンペスト作戦 (Operation TEMPEST)
2003年、チェルトナム、GCHQ本部。通称「ドーナツ」。
アリスター・フィンチは、ドーナツ状の巨大な建物の、地下深くにあるオフィスで働いていた。そこには窓が一つもなく、24時間、サーバーの低い唸り声と、キーボードのタイプ音だけが響いていた。
彼は、GCHQの中でも極秘とされるプロジェクト、「テンペスト作戦」の中核を担うエンジニアとなっていた。
テンペスト作戦。それは、英国と世界を結ぶ、大西洋の海底に敷設された光ファイバーケーブルを流れる、全ての情報を傍受するという、神をも恐れぬ計画だった。Eメール、音声通話、ウェブの閲覧履歴、金融取引。毎日、ペタバイト(1テラバイトの1000倍)単位の情報が、巨大なサーバーに吸い上げられていく。
アリスターの任務は、その情報の奔流の中から、意味のある「シグナル」を見つけ出すための、フィルタリング・アルゴリズムを設計することだった。それは、干し草の山から針を探すようなものではない。干し草の山から、特定のDNA配列を持つ一本の藁を探し出すような、途方もない作業だった。
彼は、機械学習とパターン認識を組み合わせた、かつてないほど高度な監視システムを構築した。彼は、仕事に没頭した。そこには、純粋な知的挑戦があった。彼は、システムが完璧に稼働し、テロリストの通信と思われるデータの断片を、膨大なノイズの中から正確に選び出した時、技術者としての喜びを感じていた。
ある日、彼が設計したアルゴリズムが、ある特定のパターンを検出した。ロンドンに住む数人の男たちの間の、暗号化されたチャットの断片。それは、一見すると他愛のない会話だったが、アリスターのシステムは、その中に隠されたキーワードと、異常な通信頻度を危険信号としてフラグを立てた。
その情報は、すぐさまMI5(保安局)の対テロ部門に送られた。数週間後、大規模なテロ計画が未然に防がれたというニュースが、内部で極秘に共有された。ロンドンの地下鉄を狙った、同時多発爆破テロ計画だった。
アリスターの上司、デヴィッド・カートライトは、彼の肩を叩いた。
「君のおかげだ、フィンチ。君が、何百人もの命を救ったんだ。これが、我々の仕事だ。誇りに思うといい」
その時、アリスターは、確かに誇りを感じていた。自分の才能が、国を守り、人々を救った。カリフォルニアで抱いたサイファーパンクの理想は、現実を知らない若者の感傷だったのかもしれない。世界は、彼らのような「羊」を守る、「羊飼い」を必要としているのだと。
彼は、自分がシステムの正しい側にいると信じようとしていた。だが、その信念は、彼がシステムの深淵をさらに覗き込むにつれて、脆くも崩れ去っていくことになる。
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