第10話《Case6-1》噂に奪われた名誉を取り戻すために
春の陽光が差し込む《ヴィランズ・レディ》の応接間に、深く頭を下げた一人の青年がいた。
「お願いです。彼女を……ルミエリナを、助けてください」
そう言って顔を上げたのは、侯爵家の嫡男マークス=デュラン。学園でも屈指の成績と人望を誇る青年である。
「彼女は、何も悪くないんです」
マークスは真剣な眼差しで、シャルロットを見つめていた。
マークスが言うには、被害者となるのは、ルミエリナ=ベルレフォン伯爵令嬢。
聡明で、穏やかで、誰に対しても分け隔てなく接する少女だ。だが今、彼女は学園で理不尽な噂に晒され、友人たちから距離を置かれ、遂には婚約者に婚約破棄を突きつけられてしまった。
噂曰く、「既婚者の貴族と密会していた」、「複数の男子学生に色目を使っている」――
だがそのすべてに、証拠などなかった。
マークスは続けて言う。
「僕が見てきたルミエリナは、そんな人間じゃない。ただ、彼女が静かに目立たず優秀だったことが、誰かの妬みを買ったんだと思います」
「誰かの嫉妬が連鎖し、今では彼女が“便利に使われる存在”にされているようです」
「ええ。試験の代理、課題の下書き、買い物の使い走り……」
シャルロットは指先を組み、しばし沈黙した。
「残念ながら、悪意は連鎖するの。
火種が小さくても、乾いた場所ではすぐに燃え広がる。……けれど、火元を見つければ、鎮火はできるわ」
「お願いです。彼女の名誉を取り戻してやってください。僕には……どうしたらいいかわからない」
シャルロットはにこりと微笑んだ。
「――お引き受けしますわ。《悪役令嬢》にお任せくださいませ」
* * *
その日から、《ヴィランズ・レディ》の調査が動き出した。
シャルロットは身分を偽り、ルミエリナの通う学園へ“特別聴講生”として潜入する。
仮の名は“レティシア=クレランス”。
清楚で控えめだが芯の通った令嬢という設定で、学園の雰囲気に自然に溶け込むように振る舞った。
初めてルミエリナを見かけたのは、昼休みの中庭だった。
背筋をぴんと伸ばし、周囲の嫌がらせにも負けず淡々と勉学に励むその姿には、確かな気品があった。
(……強い子ね。でも、孤独の中で耐え続けるには限界がある)
シャルロットは慎重に距離を縮め、次第に“レティシア”としてルミエリナに声をかけるようになった。
彼女の話し方、視線の向け方、噂に対する反応――その一つひとつから、彼女がいかに傷つきながらも気丈に振る舞っているかが伝わってきた。
ある日の帰り道、二人きりの花壇脇のベンチで、ふと漏れたルミエリナの言葉があった。
「……私は、別に、好かれたくて頑張ってたわけじゃないんです。でも……誰かに信じてほしかった。せめて、一人でいいから……」
その言葉に、シャルロットは静かに胸を痛めた。
(“一人でいい”なんて……本当は、もっと大勢と笑い合いたいはずよ)
* * *
《ヴィランズ・レディ》による調査は、ほどなくして明らかな事実を掴んだ。
ルミエリナ=ベルレフォン伯爵令嬢は、学園内でも指折りの優等生であった。成績は常に上位に名を連ね、提出物の遅れや不備は一度としてなく、教師たちからの評価も高い。学外活動では慈善団体の文書整理を手伝い、学園祭では委員長として責任を果たすなど、まさに模範的な生徒であることが記録にも残されていた。
また、交友関係も決して派手ではなく、誰かと対立した過去も見当たらない。
それにもかかわらず、突如として「男漁り」「密会」「既婚貴族との関係」といった下劣な噂が立ち始めたのは、ある時期からのことだった。
それらの噂は、いずれも明確な証拠が存在せず、「聞いたことがある」「見た人がいるらしい」といった曖昧な証言が根拠とされていた。
だが、精査すればするほど、それらの話が“故意に流された”ものであることが浮かび上がってきた。
噂の発端を辿れば、いずれも同じ特定のグループ――ナラリット=ティエラ侯爵令嬢と、その取り巻きとされる一部の女生徒たちに行き着いた。
ナラリットは以前、ルミエリナと首席の座を争っていたことがある。小さな差で敗れた後、彼女が人知れず深い劣等感を抱いていたことは、数少ない教師の証言からも明らかだった。
そしてその後、ルミエリナの周囲で立て続けに起こった不可解な出来事――たとえば、書庫で見知らぬ手紙が「落ちていた」と騒ぎになった件、男子生徒の名が記された“密会予定表”の噂、それらはすべて、紙面の筆跡がルミエリナのものに「似せて」書かれていた。
シャルロットが専門家に依頼し、魔法的筆跡解析を行ったところ、いずれも別人の筆による偽造であることが判明した。
――つまり、ルミエリナはまったくの無実であり、逆に誰かの「故意による罠」にかけられていたのだ。
この事実は、マークスの言葉を裏付けるものであった。
「彼女は、誰に対してもまっすぐで、優しいんです。そんな人が……誰かを裏切るなんて、あり得ない」
シャルロットは静かに頷きながら、報告書に書き込んだ。
――品行方正であるがゆえに、妬まれ、狙われた令嬢。
――だが、真実は、既に手の内にある。
・噂の出どころは、ナラリット=ティエラ侯爵令嬢
・彼女はルミエリナと首席争いをしており、劣等感を抱いていた。
・ルミエリナの筆跡とされる「密会記録」などは、明らかな捏造。
・課題や試験でルミエリナに頼んでいた数人が、彼女の無実を知りつつ沈黙している。
シャルロットは、偽の「告白の手紙」、ナラリットの筆跡とされる書き込みの入った教材、そして複数の証言を集めた。
証拠は揃った。だが、問題はそれをどう公にするか――
「やり方を間違えれば、ルミエリナの名誉は戻らない。むしろ“仕返し”だなんて言われてしまう可能性もある」
その夜、執務室でハーヴィス宰相と会話を交わす。
「だから“悪役令嬢”の手法が要るのだろう?」
シャルロットはにやりと笑った。
「ええ。学生ですものね。“裁く”のではなく、“導く”形で、罪を認めさせるのがよいのかもしれませんね」
「あぁ、とはいえ罪は罪。繰り返されることがないようにしないとならんな」
* * *
翌週。学園でのシャルロットの変化した“レティシア”による“劇”が始まった。
その日、学園では特別講義の時間を使って「自習討論会」が開催されることになっていた。形式ばったものではなく、生徒たちが持ち寄った議題について自由に話し合う催しだ。
その中心に据えられた議題は――「貴族の品位と名誉」。
「……え? そんなの、わざわざ議題に?」
ざわつく生徒たちの中で、ナラリット=ティエラはやや不機嫌そうだった。
だがこの会を主催したのが“高位貴族推薦”の特別聴講生・レティシアであると知り、場の空気は次第に静まり始める。
“レティシア”――すなわち、シャルロットは壇上で静かに語り始めた。
「皆さまに問いたいのです。“噂”が真実であるかどうかは、誰が決めるのでしょう?」
ざわめき。
「たとえば、ある令嬢が既婚貴族と密会していたという噂があるとして。その証拠は、目撃者が語ったという“聞いた話”と、本人に“似た筆跡で書かれた手紙”だけ。……それだけで果たして真実だと決めつけてよいものでしょうか?」
会場にいた数人の顔が強張る。
「わたくしは調べました。“その筆跡”が他人のものであることも、その“目撃者”の証言がねじ曲げられていたことも。そして――誰が意図してそれを作ったのかも」
“レティシア”は手帳といくつかの紙片をその場で広げた。
「これは、噂の元となった“密会記録”とされる手帳と、書庫に落ちていたとされる“手紙”、および正規機関で噂の対象となった令嬢の筆跡と鑑定をした『鑑定結果報告書』です」
会場となっている大講堂はざわめきが大きく波のように広がった。
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