第11話 柚村ゆずき
今日は雪も降らず、わりと穏やかな天気だった。
なのに……なのにだ。架線にビニールが引っ掛かったとかで電車が遅れた。これがもう絶対に始業に間に合わないとかなら諦めてゆっくり歩けるのだが、急げばギリギリ間に合いそうだったので、早歩きで来てしまった。
おかげで教室に着く頃にはすっかり息が上がっている。おのれJR……中途半端に遅らせよって。
雪の上でも人の間をすり抜けながら転ばずに歩くことができる、雪国社畜適性の高いどうも俺です。働きたくはないよ!
「おはよ」
「おす」
当然先に席についていた二荒と挨拶を交わし、せっせとリュックから筆箱やらなんやらを取り出す。今日はゆっくりぬくぬくしている時間もない。
そういや今日何曜だっけ? 黒板の方を見ると、いつも通り固まっているグループYの連中が目に入る。なんか柚村だけこっちを見ている気がするが、たぶん気のせいだろう。
ちなみに今日は木曜日。今日を乗り切れば華金だ。
二荒と白沢の件もあり、早く休みがこないかと待ちわびている今日この頃なのです。
はなきんって……なんかサラリーマンみたいだねぇ。
やめろ。俺は社会の歯車になんかなりたくないんだ。そんな話をするんじゃない。
じゃあ潤滑油とかどう? そういう就活生もいっぱいいるらしいよ?
潤滑油……? つまりそれは5-56になるってことか? なんだそれ意味わからんな。
――そんなこんなでチャイムが鳴り、一日が始まる。今日は何もなければいいのだが……何も起こらないはずがなく……ね?
「なんかゆずきちゃん、なまらこっち見てない?」
「ああ……なんかそんな気はする」
「どうしたんだろ?」
「さあ……」
チラ、チラッ、チラチラ……。休み時間や授業中、やたらと柚村が俺の方をチラ見してくるのだ。
いや、俺じゃなくて二荒、あるいは他の何かを見ているのかもしれんが、いずれにしろ気になる。
……ていうか休み時間や授業中ってもう全部だなそれ。エブリタイムチラ見、エブリタイム柚村になってしまったのだよ俺の頭は。
だから授業に集中できなくて成績が落ちても仕方ない。全部柚村のせいだ。
陽太くん……? 普通に最低だよ?
……まあ成績の話はどうでもいいんだが、とにかく今日は柚村がなにか企んでいるような気がして恐ろしかった。
さすがの俺でもそこまで頭お花畑ではない、もしかして俺に気があるんじゃ……なんて思わない。
というわけで来たる昼休み。柚村がなにか仕掛けてくるとしたらこのタイミングだろう。一刻も早くここから逃げ出したいが、こんな時期に外で弁当を食うわけにもいかないし、二荒を一人で置いていくのも申し訳ない……さっさと飯だけ食って、図書室にでもエスケープするか?
なんて思っていると……
「あったかいねここ~。いいなぁ~」
時すでにおすし。いつの間にか教室の前方から消えた柚村が、俺の背後に立っていた。まるでマグロのような動きの速さだ。ピチピチ。
ていうか誰に話してるんだろうねこの子。独り言かな? ちょっと変な人だと思われるからやめておいた方がいいと思うよ?
「ね~、そのみやくん?」
デスヨネー。
「だってよ横山。柚村さんがなんか用あるらしいぞ」
「えー? いま園宮くんって言ってたべやー」
「いやいや。それはお前の聞き間違えだって。SONOMIYA、YOKOYAMA、ほら似てる」
「いやいや普通に似てないっしょ!」
「いやいやいや。似てるってほんとたぶん」
「そーのみーやくん?」
さわり。その瞬間、俺の肩に何か柔らかいものが触れる。手だ! これは手に違いないっ!
「ねえ、ちょっと話したいことがあるんだけど……」
向くと、なぜか頬を染めて足をもじもじさせる柚村がいた。わかった! トイレだな! 連れションしたいんだな!
なわけないでしょ!? うちの弟がむっつりすぎる!!
「……なんですか?」
「大事な話……ちょっとここでは、言えないかな?」
うぉー! ひゅー! と周りから歓声が上がる。周りというか、主に横山なんだけど。
普通ならこの後訪れる甘い展開に胸を高鳴らせるところなんだろうが、俺はなんだかイヤーな予感がしていた。なぜなら、俺はつい先ほど思い出してしまったからだ。
成り行きで柚村と一緒に帰ることになったあの日、彼女に言われたことを。
『お願い! 園宮くんからも二荒さんに頼んでよ!』
ちょっこくに出るよう説得してくれと、俺は言われていた……。
やっべー普通に忘れてた……。
色々ありすぎてそれどころじゃなかったんですよ! でもあなた、絶対そのこと言うつもりですよね? チラチラ見てたのってたぶん、いい加減アクションせえやって意味だったんですよね? きっと。
やだやだぼくちん怒られたくない!
「あ、僕ちょっとお花畑に」
こんなときには逃げるに限る。馬鹿正直に全部立ち向かっていく必要なんてないんだよ。逃げるは恥だが役に立つってね。
……あれ、なんか今のかっこよくね?
「園宮くん……いっちゃうの?」
くっ……。思わず足が止まってしまう。
「わたしと話すの……いやだった?」
ほんといい声してんなこの女……声優でも目指した方がいいんじゃねえの。
「そっか……ごめんね……」
思わず振り向くと、自分の存在自体が申し訳ないと言わんばかりに身体を縮こまらせて、今にも溢れ出しそうなくらいに潤んだ瞳で俺を見つめる女の子がいた。
……正直言って、超絶可愛いです。でも逃げたい。
「あー! 園宮くん泣かせたー! いーけないんだいけないんだー! せーんせーにいっちゃおー!」
やめろ横山。どこぞの小学生だお前は。
とツッコんでやりたいところだったが……
「だめ……かな?」
「いいよいいよ全然ダメなんかじゃない! なんかちょうど涼みたい気分だったし、廊下でも行こうか!」
周りの視線が怖すぎて、ツッコミどころではなかった。
俺の返事を聞いた柚村は、一瞬不敵な笑みを浮かべて、
「ありがと! じゃあ……」
「あ、ふぇー!?」
むぎゅっと腕を取られ、ずいずい引っ張られていく。
助けてー! と、二荒の方を見てみるが、腹を押さえて笑っていやがった。くそぅ……誰のせいでこんなことに……!
そんなことを言いながらも、まんざらでもない陽太なのでした!
おいやめろ! 違うんだって、これは男ならしょうがないことなんだって! こんな柔らかいボデーに密着されたら、誰でもにやけちゃうもんなんだって! なあ! そう思うよな!
……思うって言えー!!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――引き戸を開けると、一気に冷気が入り込んでくる。
もちろん廊下に暖房などついているわけもなく、ガクブルガクブル体を震わせながらどこかへ歩く。寒さのせいか、あまり他の生徒とすれ違うこともなかった。
「あったかいの、飲みたいな~」
ユズヒメ様がそうおっしゃるので、1階にある自販機の所まで歩くことにした。ちなみにここは2階な。俺2年生だから。
廊下に出るとさすがに柚村も手を離し、適切なディスタンスを保って歩いていた。
ここでは本題に入る気がないのか、どうでもいい話を振ってくる。
「園宮くんは~、どんなチョコが好き?」
またチョコの話かよ。お前らほんと頭の中カカオとミルクだけでできてるんじゃねぇの?
いや、黙って歩くのも気まずいからいいんだけどさ。よりによってなんで俺にチョコの話するのかね。嫌味かな?
「ブラックサンダー、とか」
「お~、いいよねブラックサンダー。うーん……でもそれは義理かな?」
ギリ義理チョコ……なんつって。
寒い! ギャグのセンスが廊下より寒い!
「手作りだったら、どんなのがいいのかなぁ?」
「……あいにくそういうのには縁がないもんでね。考えたこともないです」
「そっかぁ……ふふ」
なにが面白いのかわからんが、そんなことはどうでもいい。
女子の手作りチョコなんて妄想してもどうせ虚しくなるだけだ。そんなことを言ってるのはリア充だけで十分だ。
ねぇ、おねえちゃんはちゃんと毎年陽太にチョコあげてたんだけど! ちゃんと手作りだったんだけど! 縁あったじゃん! ついこの前まであったじゃん!
溶かして固めただけのチョコは手作りチョコとは言わねーんだよ。
溶かして固めるのも大変なんだよ! それに色々――
はいはい。そんなこんなで階段横の自販機前に着きました。
「なに飲むぅ?」
柚村はレモン色の可愛らしい財布を取り出し、聞いてきた。いきなり連れ出されたので、もちろん俺は一文無しだ。
「え……いいんですか?」
「いーよ。寒いでしょ?」
「じゃあ……コーヒーで」
「はーい」
普段なら間違いなく甘ーいカフェオレを選択しているところだが、ここは「コーヒー」と言っておくことで、俺はブラックでもいけますよと
「あ! 間違えちゃったー!」
ゴトン。なんかわざとらしい声なのはさておき、落ちてきたものを取り出すときに突き出た柚村のお尻は立派だった。柚というより大きな桃ですな。
――変態! むっつりスケベ!
「ごめんね~。これでもいいかなぁ?」
両手で大事そうに差し出されたのは、あったか~いミルクティー。好んでは飲まないが、飲めないこともないのでありがたくもらっておこう。
「全然いいよ。ありがとう」
「よかったぁ」
まあ温かいだけで十分だ。にしても俺なんかに奢ってくれるなんて……こいつ、案外いいやつなのか?
120円で釣られる安い男……それがうちの弟です。
さて、問題はこれをここで開けるべきなのか否かということだが、こいつ自分の分も買うよな? 飲むならその後にした方がいいだろう。
なんて思っていたのだが、柚村はきょろきょろと周りを確認すると、自販機には触れず横の壁に寄り掛かって口を開いた。
「もうすぐバレンタインだねー? あと一週間もないよー」
「……そうだな」
いつにも増してわざとらしい柚村の話し方に、なんだか嫌な予感がした。いつもと変わらない愛想のいい笑顔も、今はなんだか恐ろしく思えた。
案の定、柚村はスッとトーンを落として、
「ねぇ、何してるの? なんで二荒さんに頼んでくれないの? ねぇ? 私頼んでって言ったよね?」
……そこにもう、俺の知っている柚村ゆずきはいなかった。
「…………」
「黙ってたらわからない。ねぇなんで? なんで私に協力してくれないの?」
目尻をクイッと吊り上げて、キィッとこっちを見つめてくる。
何もかも、見透かされているような気分になってしまう。
「なんとなく……」
「なんとなく……? それじゃわからない。ちゃんと答えて」
今度は距離を詰められても、いつものようにはときめかない。
たぶん逃げようとしても、彼女はどこまでも追いかけてくる。
「なんとなく……気に食わないから」
「何が?」
「……バレンタインとか、騒いでる連中が……」
「……そ」
決して満足はしていないのだろうが、柚村はそこで引き下がってくれた。興味を失ったという方が正しいのかもしれない。
「じゃあ、私の言うことは聞いてくれないんだ?」
「……そもそも、俺と二荒は柚村さんが思ってるほど仲良くない。俺にはそんなこと頼めないんだよ……」
「ふーん。そういうこと言っちゃうんだぁ。……使えな」
彼女が俺を見る目からは、すっかり光彩が消えていた。
だが、これでいいのだ。曖昧にしてごまかすよりは、たぶんこっちの方がいい。
「それ返して。私が飲むから」
「え? あ、はい……」
柚村は俺の手から紅茶を奪い取り、さっさと階段を上がって行ってしまった。俺は彼女の見せた恐ろしい眼差しが頭から離れず、しばらくそこから動けなかった。
『あーあ、ほんと使えない。もう私がやるしかないか』
彼女の嫌な置き土産が上から響く。
柚村がいなくなった階段下は、ジーっという自販機の音だけが鳴っていて、静かな冷気が全身にまとわりついてくるような感覚がした。
まるで、冷蔵庫の中に閉じ込められたようだと思った。
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