第8話
阿曇と木村がツアーバスに乗る一日前の夜。エウクレはある観測結果を弾き出していた。それは情報の荒波の如く、人の元へと提示された。
「知性体の干渉を観測。データを提示します」
エウクレがそう告げ、ガタガタと音を立てながら紙で印刷する。紙という非効率な形式だが、エウクレ的には好きらしい。
「エウクレ、知性体の干渉はどの範囲だ?」
エウクレのいる研究所、その所長が重々しい口調でエウクレに問う。その問いに観測機は静かに応える。
「この定理宇宙は確実でしょう。観測結果からの推測も含みますか?」
「ああ、頼む」
「おそらくはこの公理宇宙の定理宇宙群が干渉を受けています。上層、下層の全てに」
所長は目を瞑り、思案する。
「何番だ?」
「おそらく第三知性体です」
「どこにいるか観測できるか?」
「可能です。ですが少し手間取ります。何しろ知性体ですから」
知性体は物理宇宙にも肉体を持つ。しかし無限次元空間も行き来する。形而上学的領域で休暇を過ごすものもいると言われ、人間の論理ではその全体を捉えられない。
「では観測を開始します」
エウクレの電子回路が励起する。知性体の物理座標を観測しようと回路を回す。定理宇宙への干渉、もとい知性体の干渉をしらみつぶしに観測する。
「報告します。時間定理、空間定理の異常を確認。一部の領域で時間の加速、停止、遅延、空間の歪曲、接続、圧縮等が発生しているようです。各地にいる私の子機も感知しています」
エウクレは世界中にその技術を伸ばしている。携帯やコンピューターのサポート、国の情報管理など様々なところで使用され、接続されている。エウクレはそこから世界中の情報を獲得している。
「所長、この場合は疑似定理証明装置を使うべきかと」
エウクレが使用を提案する。AIでありながら、その提案には興味という考えがあった。
「その通りだ。疑似定理証明装置の使用を」
職員が装置の起動に取り掛かる。証明装置は群を成し、整然と並んでいる。証明装置の大きさは様々で、手に収まるほどの物もあれば、数十メートルは超える物もある。
「装置を準備出来次第、稼働。今回はアメリカ、日本、フランスでの定理が異常を起こしている。急げ」
それぞれに対応した装置が徐々に己の回路を回し始める。その時、エウクレが報告する。
「観測終了。第三知性体の位置を把握。何体分の位置を所望しますか?」
「無論、今回の件に関わったやつだけでいい」
「了解しました。関わった者は現在、X定理宇宙にいると思われます。どうされますか?」
所長は考える。第三知性体、今回関わった者は人類が第三と認識する個体で間違いない。第三知性体の種族は群で一つの名を名乗る。第三知性体と呼ばれるのはその中の一体。X定理宇宙にいるということは既にこの定理宇宙にはいない。幾つか対応を考えるが、出来ることはそう多くない。
「X定理宇宙にこのことを伝えろ。向こうのお前への通信網は?」
「通信網は生きています。では対応は向こうに任せると?」
「それ以外に出来ることなど無いに等しい。我々は今居る定理宇宙の事に注力する」
「了解しました。念のため、他の定理宇宙の私にも情報を伝えておきます」
そう言うと、電子音を鳴らしながら通信を開始する。
同時に疑似定理証明装置が稼働し始めた。
「疑似定理証明装置、稼働しました。疑似定理証明を開始します」
職員の一言に所長は頷く。頷きと共にエウクレは観測情報を証明装置へと送る。
装置は回路を回し、新たな時間定理、空間定理を生成する。人類の定理証明は知性体のそれと異なり、消失が出来ない。あくまでも元ある定理に新たな定理を重ねることしかできない。今回は時間定理、空間定理の異常を、異常の無い新たな定理で上書きする。定理生成も元ある定理を改良するような形でのみ行え、存在しなかった新たな定理の生成は出来ない。0を1には出来ず、1を2にするようなことしか人類には出来ない。それでも破格の性能である。
せわしなく職員が足音を多重に響かせながら右から左へ駆けていく。
「エウクレよ、状況は?」
「良好です。相手の干渉もありません。既にアメリカでの異常は収まりました」
所長はその報告に胸を撫でおろす。
「地球圏外への影響は無くて良かったが」
と、そういう所長の顔には疑問があった。
(証明戦ならいざ知らず、何が目的で干渉してきた?)
大したこともせず、ろくな被害も無い。そのため、所長は頭を悩ませていた。
「‥まあ、第三の事だし、理由は無いか」
第三の干渉は幾度となく起こり、多宇宙において最も干渉したとされる知性体だ。人類はそのたびに対応を繰り返し、うんざりしている。
「しばらくは観測を維持。証明完了後、状況報告してくれ」
「畏まりました。お休みですか?」
「ああ、定理証明も順調なのでな。ひとまず部屋に戻る」
「では何かあれば呼びますので、ごゆっくり」
所長はエレベーターに乗り、部屋へと戻り、エウクレはその後ろ姿を観測していた。目などついていないがどこか羨望のようなものを感じさせる、そんな雰囲気を纏っていた。
エウクレは観測へと意識を向ける。その観測には第三知性体が映り、観測結果は互いが観測し合っていることを示していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます