#11 夢に銃声が混じる時
「美園ちゆきです。こんにちは」
静かで、けれど芯のある声だった。言葉選びも、発音も、無駄がなく整っている。小学生とは思えないほど落ち着いた挨拶に、反射的に立ち上がり、背筋を伸ばして深く頭を下げた。思わずこちらの方が身構えてしまうほど。
「貴志巧翔です。よろしくお願いします」
何をよろしくするのか。自分でも、わかっていない。ただ、大人としてそうすべきだと身体が先に動いた。形式的な、しかし誠意を込めた一礼だった。
「ちゆきちゃん、給湯室の冷蔵庫にチーズケーキがあるから、持ってきて食べな」
声をかけたのは、紀壱郎。低く響くその声に、ちゆきの表情がふわりと緩む。その一瞬で、彼女がまだ緊張していたことに気づかされた。
あれだけ丁寧な応対をしておきながら、やはり子どもは子どもだ。知らない大人を前にして、平静を装っていたのだろう。
「ありがとう、紀壱郎おじさん」
礼儀正しい口調のまま、彼女はくるりと踵を返す。まるでスキップでも始めそうな足取りで、廊下の奥へと消えていった。その後ろ姿に、ようやく等身大の無邪気さがにじんでいて、思わず見送るこちらの口元も緩む。
頻繁にこの事務所を出入りしているのだろう――そんな様子だった。もっと早くそうと知っていたら。もしくは事務所に入って行くちゆきを見かけていたなら、事務所の扉を叩く前にあんなに要らぬ心配をせずに済んだことだろうに……と思わず苦笑いがこぼれる。
一区切りついた空気の中、静かに口を開いた。
「しかし芸能界はもちろんですが、俺、アイドルについても全然詳しくはありませんよ?」
「まあ、芸能界については、いきなり裸一貫で飛び込めって言っても無理難題だからな。それに関しては、俺が顧問役として残るからな」
「顧問……?」
一瞬言葉の意味に戸惑ったが、すぐに「アドバイザー」的な立ち位置なのだと理解する。実務や現場の細かいことまで全て一人でやれというわけではない――その点で、安心した。
「それはありがたいんですが……俺なんかにできるんですかね? 探せば、他に適任者がいたんじゃ?」
「いや、こいつはおめえさんにしかできねえ仕事なんだよ」
即答する豪一。その調子には、まるで疑いがない。論理ではなく、確信で語っている。だからこそ、逆に引っかかる。
俺にしかできないとは――それは一体、どういう意味なのか。
「タクトはよう、詳しくないって言っても、宇都宮にご当地アイドルがいるのは知ってるだろう?」
「ええ、名前くらいは。ローカルとはいえ、規模もそれなりで、人数も多いって聞いてます」
「だろ? だったら、普通にアイドル目指すなら、そっちの事務所に入った方が楽だ
に決まってら。でもな……」
言いながら、豪一の視線がふと、ちゆきが消えていった事務所の奥へと向けられた。声の調子も、どこか懐かしむような、遠い時間を思い出すような色が混じる。
「あいつはまだ十歳でよ。時々俺のあとくっついて、テレビ局に出入りしてたんだ。そこで見かけたアイドルたちを見て、自分もなりたいと思ったんだとさ。あいつな、自己主張が強いタイプじゃねぇけど、俺にだけはぽつりと打ち明けたんだ」
さっきのやり取りを思い返す。無言の間、丁寧な身振り。あれは、外の世界に出ることに不慣れな子どもが、自分なりの作法で大人と接しようとした結果だったのだろう。
そんな子が、すでに出来上がったグループの中に飛び込んで、即座に順応できるとは思えない。むしろ、そうした場に馴染めず、心を閉ざしてしまう危うさすら感じる。
だったら――環境を用意してやるしかない。そんな豪一の親心的意図は、非常に理解できる。
芸能界は人と人との繋がりが全てだ。裏を返せば、思いがけない縁が、新しい可能性を開くこともある。自分がまさに、そのひとつなのかもしれない。
「あいつは賢いからな。アイドルなんてそう簡単になれるもんじゃねえってのは、よくわかってる」
「確かに、夢を掴める人間なんてほんの一握り。さらに成功を手にするとなればだし、それが芸能界ともなれば尚更だ」
「いや、あいつは愛想もいいし、努力家だし、センスもある。俺は、その心配はしてねえんだよ」
笑みを浮かべながら、さらりとそう言い切る。
言葉の裏に、強い信頼と確信があるのが伝わってくる。だからこそ――その先の不安が気になる。
では、何を懸念しているのか。
問いは喉元までせり上がるが、言葉にはならなかった。ただ胸の奥に、霧のようなざわめきが残る。
「巧翔はさっき、アイドルについては詳しくないって言ったよな。それはもちろん、ここ宇都宮のアイドルについても。だよな?」
「そうですね。街中でCMやポスターなんかを見かけるから、ローカルアイドルたちが活動している……という認識くらいですね」
率直に答えると、紀壱郎はまたひとつうなずいた。今度は深く、考えを確認するように。
「それじゃあ当然、宇都宮のアイドルたちが置かれている“特殊な状況”についても、知らないってことだよな?」
「……??」
問いの内容はシンプルなはずだった。。だが、そこで口にされた“特殊な状況”という語に含まれたニュアンスが、唐突に空気をざらつかせた。
アイドルの話をしていたはず。にもかかわらず、どこか不穏な香りすら漂うその言葉に妙な引っかかりを覚える。軽くはない話が、これから始まる――そんな予感。
すると豪一が重そうに口を開いた。
「実はよう、宇都宮のアイドルたちは、“ドンパチ”で勝つと仕事がもらえるんだよ」
「……は?」
その瞬間、自分でも驚くほど純度の高い「は?」が口から漏れた。
アイドルとドンパチ――まるで相容れない単語同士の結合に、脳が追いつかず、一瞬フリーズした。
ドンパチ=銃撃戦=サバゲー? となると、ローカルアイドル+サバゲー=仕事?
いやいや、わかるかそんな式。
「それは、アイドルたちがどこかでサバゲー大会をやっていて、そこでの優勝賞品が仕事……ってことですか?」
「いや、それとはちょっと違うな。巧翔がやってるようなサバゲーとは別モンだ。ドンパチやるのは、“ゲームの中”なんだわ」
「ゲーム……ですか? ……あ!」
連想がつながる。サバゲー、ドンパチ、ゲーム――となれば、FPS。昨日聞いたばかりの名前が、脳裏に鮮やかによみがえる。
「もしかして……GSE。Guns Survive Everydayのことですか?」
「おお、そうだ! 確かそんな名前だったな。なんだ、そっちも知ってたのか」
「ええ、プレイしたことはないですけど、なんでも人気のゲームでして」
少しずつ、靄が晴れていく感覚。GSE――リアル志向のフルダイブFPSで、国内外問わず注目を集めている。
たしか、このゲームにはカスタムルールを設定できるモードがあり、主催者がサーバーを立てれば、自由な形式の対戦が可能だと聞いた。企業や個人が開いた大会もあるし、配信者同士でのイベント戦も盛んだという。
その機能を利用すれば――
断片がつながり、ようやく全体像が見えてきた。
GSE。フルダイブ型のリアル系FPS。仮想空間での戦いが、現実の“仕事”を生む。
そんなあり得ない話が――現実が目の前で語られている。
そうか……ようやくここに自分が呼ばれた理由が、うっすらと輪郭を帯びてくるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます