元ボス猫は異世界で使い魔ライフを満喫中!

@nyankoraizo

第1話

 冷たい雨があがったあとの夜だった。


 銀は、いつものように町内を巡回していた。

 今日だけで三軒から夕飯をもらい、じじいの縁側で満腹にひと眠りしたあと、雨があがったのを見て、縄張りの見回りに出てきたのだ。


 

 耳を澄ませば、風に混じって車の音、遠くで猫の鳴き声、人間の足音——すべてが銀にとっては日常の音だった。


 そんな中、空き地の奥から、かすかに震えるような鳴き声が聞こえた。


「……ニィ……」


 子猫の声だ。まだ生まれて間もないような弱々しい響き。


 銀は反射的に音の方へ足を向けた。ぬかるんだ草を踏みしめ、背を低くして茂みの奥へ。


 そこにいたのは、雨に濡れて泥だらけの小さな白猫だった。

 体は震え、足元は頼りなく、近づいた銀を見てまた一声、助けを求めるように鳴いた。


 銀はため息混じりに鼻を寄せ、そっと子猫を舐めてやる。

 初めての刺激なのか、むずがゆそうに顔をそむける。

 夕方から降り続けた冷たい雨に打たれ、子猫の体は酷く冷えて震えていた。


 銀は、やむなくこの子猫を保護することにした。

 母猫とはぐれたのか、捨てられたのか、少なくともまだ保護者が必要な小ささだ。


 場合によっては、どこかの家に2匹で世話になることもやむなしと考え、子猫を咥え歩き出す。

 最初はミーミー暴れていた子猫だが、優しく咥えた口から漏れ伝わる体温が心地良いのか、そのまま眠ってしまった。


 しばらくは茂みを抜け、軒下を歩いていたが、目的地までは少し距離があった。

 塀の上を歩き、時に屋根伝いにいけば近いのだが、子猫を咥えたまま塀の上は歩けないか…と考え、銀は住宅街の路地へと歩き出す。


 そうしてしばらく路地を歩き、あと少しで到着となる最後の角を曲がったその瞬間——


 眩い光とともに、キーッという耳障りなブレーキ音が響いた。


 曲がり角から出てきた猫に慌ててブレーキを握る自転車。

 乗っているのは高校生くらいか。

 通学で使っていると思しき自転車はあまり整備がされていないのか、ブレーキから異音がしており、あまり減速できていない。

 

 銀はとっさに、口に咥えた子猫を安全な場所へと放り投げる。

 自身に向かってくる自転車の軌道を読み、駆け出した。

 銀の予想では、自転車は銀の体の横を通り過ぎ、何事もなく子猫を咥え歩き出すつもりだった。


 しかし、先ほどまで降り続いた雨と整備の行き届いていない自転車が、銀の予想を裏切り、急ブレーキをかけられた自転車は、横向きにスライドしながら倒れこむ。


 激しい衝撃が全身を包む。

 骨がきしむ音と、激痛。

 呼吸をするたび胸が痛み、ひゅーひゅーと変な音がなっている。

 徐々に意識が闇に沈む中、自転車に乗っていた高校生が銀へと駆け寄る。

 慌てたように何か声を発しているが、銀にはわからない。

 最後の力を振り絞り、託すように視線を向ける。

 その先には白い子猫が、力を振り絞り起き上がってこちらにこようとしていた。

 

 銀の視線に気づいた高校生が、子猫へと駆け寄り大事に、包むこむように持ち抱える。

 その様子に安心したのか、目をつむり、沈んでいく意識に身を任せた。


 意識が完全に沈み込む最後の瞬間、銀が感じたのは、自分の体から溢れるような風のうねりと、空気を裂くような雷のひらめきだった。





 ———————


 湿った土と血のにおい。

 銀が次に目を開けたとき、そこはまったく見知らぬ場所だった。


 真っ暗な空間。石の壁。かび臭い空気。


 銀は咄嗟に立ち上がり、毛を逆立てた。

 音を立てないよう身を低くして周囲をうかがう。ここはどこだ? 道は? 空は? 人間の気配がしない。

 そもそも自分は死んだのでは。

 猫でも、自分の死はわかる。

 生きているのならば子猫は、さきほどの高校生は。


 ——いや、違う。空気が、違う。


 先ほどから鼻の奥が痺れるような不思議なにおいを感じている。

 これまで嗅いだことのない、チリチリと刺激してくるようなにおい。

 いや、厳密にはにおいではないのかもしれない。

 あたりの空気に交じって感じるそれらを、銀の身体ははっきりと感じ取っていた。


 その時、奥の方から、何かが這うような音が聞こえた。

 

 影。低い唸り声。そして、異様に膨れた頭をした、木の棒のようなものを持つ小鬼——ゴブリンが姿を現した。

 

 全身の毛が逆立ち、血が沸騰する。

 見ず知らずの場所で、極限の緊張状態であった体は、危機的状況に即座に反応した。


 銀は、風のように走り抜け、ゴブリンの懐に飛び込む。

 喉元を掻き切るような一閃。

 ゴブリンは反応すらできていない。

 それはただの猫パンチではなかった。


 銀の前足から放たれたその爪は、鋭い風の刃となってゴブリンの喉を切り裂いた。

 ゴブリンはわけもわからず、首から血を流し絶命した。


 銀が着地し、冷静さを取り戻す前に、背後から骸骨のような敵、スケルトンが迫る。

 

 銀は壁を蹴って跳び、上空から落下する勢いで前足を突き立てた。

 雷鳴のような衝撃。骨が砕け、崩れ落ちる。


 再び地面におりたった銀は、周囲に何もいないことを確認して、前足の毛づくろいを始める。


 ——なんだ、これは。


 次第に冷静さを取り戻した銀は驚いていた。

 

 動きが軽い。体がしなやかで、まるで重力が違うようだった。


 何より、力を籠めると爪先から先ほどのチリチリとした「何か」が、あふれ出し、非力な猫の自分では到底出せないような力を発揮した。


 「何者?」


 低く、しかし凛とした声が響いた。

 先ほどの感覚に頭を悩ませていた銀は、反応が遅れた。


 見ると、通路の奥から一人の人間が現れた。

 銀髪の女、腰に剣を差し、マントを翻してこちらを警戒している。

 その姿はこれまで見てきた人間とは顔や服装が大きく異なっていた。


 銀は身構える。が、女は剣を抜かず、ゆっくりとこちらに近づいてきた。


「……猫? ……いや、ただの猫じゃない。魔力の気配がする。……君、魔獣なの?」


 銀は返事できない。だが、不思議とその女の言葉が理解できた。

 銀は、体の角度と目線で「違う」と示す。

 自分は猫であり、少なくとも魔獣などと呼ばれるものではなかった。


 女は驚いたように目を見開いた。「……意思疎通できる? 本当に?」


 銀はゆっくりと首を傾げ、それから通路の奥へと向かって一歩進んだ。

 ゴブリンの死体をちらりと見せる。女は口をぽかんと開けた。


「倒したの、君なの?」


 にゃあと短く鳴いて、銀は背を向けて歩き出した。女は慌てて追いかけてくる。


「待って! あなた、名前は? いや、私が勝手に呼んでいい? ……シル。銀色の毛並みだから、シルって呼ばせて!」


 銀、改めシルは振り向き、にゃあと鳴いた。それが了承だと気づいたのか、女は笑った。


「私はルティア。見ての通り魔法剣士よ。今はこのダンジョンを探索中だったの。でも……正直、一人で来たのは失敗だったわ。戻る途中で、魔物に追われてたの」


 ルティアと名乗る女は、得意げに腰に差した剣と杖を突きだしている。

 魔法剣士の意味はわからないが、先ほどのような異形の種がいる場所なら、人間にも自衛の手段は必要だろうとシルは納得させた。

 意思疎通が可能だとみると、シルは警戒を解き気安く話しかけてくる。

 そんな様子に、銀はそっとルティアの足元へ寄った。そして、尾を彼女の足に巻きつける。

 

 大丈夫、ついてこい。——そんな意志を込めて。

 幸い、出口が近いのか、外から入ってくる風のにおいをシルは感じていた。


「ありがとう、シル」


 ルティアとシルは、ダンジョンの出口を目指して歩き始めた。


 途中、またゴブリンが現れるが、今度はルティアが前に出て剣を抜く。


 「私もただ守られるばかりじゃないからね!」


 杖を振ると、彼女の剣が光り、ルティアが剣を振りかぶると、斬撃がゴブリンを切りつける。

 傷を負い、たじろぐゴブリンの首元をめがけて、銀が跳び、その喉元に風の爪を突き立てる。


 人間と猫——その出会いが、異世界の街と、冒険と、仲間と、未来への扉を開く最初の一歩となった。


 


 そして夜。


 ようやくダンジョンを脱したルティアと銀は、月の下に出た。


 広がる草原。


 見上げれば、見たことのないほどの星々と黄色と赤の2つの月が瞬いていた。


 シルは空を見上げ、そっとまぶたを閉じた。

 最後に見た光景を思い出す。

 あのとき守った子猫は、きっともう安全だろう。


 夜空に輝く2つの月をみて、シルは、ここが前にいた世界と違うことを本能的に感じていた。

 そして、ここがどこであっても、もう一度、この世界で、自由に、自分らしく、生きてみよう。そう心に誓っていた。


 


 銀の——いや、シルとい1匹の猫の新たな日々が、ここから始まる。

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