第4話:純白の街の中で
真っ白な霧で覆われた街は幽霊の街のような体をなしている。
まだその霧が達していない山の高台から、
「改めてみると……本当に真っ白だね」
伽那が呟くように言いながら、杏花の方に目をやった。
杏花はその神秘的ともいえる様子を前のめりになってじっと見つめている。
「確かに……しかも、どんどん濃くなってってる」
杏花が答える声は、いまだに楽しげである。
伽那は再び街の方へと視線を戻す。
街は今なお霧に覆われていっており、全てを埋め尽くそうとする勢いだった。
「これ、本当に何だろうね……」
街に視線を固定したままの伽那から言葉が漏れる。
霧はさらに範囲を広げ、目に入る様々な色彩の景色を真っ白に染めていく。
「で、どうする?」
杏花が伽那の顔を覗き込むようにして問いかける。
その口調には幾ばくかの迷いが滲んでいる。
「もし、あの子の言っていた事が本当なら……
霧の中には入らない方がいいんじゃない」
そう言いながら、判断を仰ぐように伽那をじっと見る。
伽那は一度息を吸い込んで考えるように目を細めた。
「う~ん……でも、ネットでは特に危険とかっていう話が出てないし……
うん、注意はしながらならいいんじゃない?」
「わかった」
「様子見で、ヤバいと思ったらすぐ戻るって感じで行こう」
伽那の言葉に杏花が短く頷く。
その様子を見た伽那は、軽く笑みを浮かべた。
「なんだ、やっぱりお姉ちゃんも興味あったんじゃん」
「む……それは当たり前じゃないか?こんな事滅多にないんだし」
「それもそだね」
二人は視線を目の前に向け、進みだす。
真っ白な世界はすぐそこに迫ってきているかのようにその輪郭を曖昧にしていく――
* * * *
真っ白な世界。
濃密な霧が世界を覆い、ほとんどの視界を奪っていた。
それでも、4メートル先くらいまでは辛うじて見ることが出来ていた。
その中を伽那と杏花は歩いていた。
足元に注意しながらゆっくりと足を前に出す。
「マジで何も見えないね……」
伽那が少し不満げに呟くと、それに追随するように杏花も応じた。
「ちょっとだけなら見えるけど……うざい」
霧のせいで気持ちが重くなっていく。
その中、さらに不穏な兆候が二人を襲い始めていた。
「しかも……なんかさっきから眠気が凄い」
伽那はぼそりと呟く。
杏花も伽那の方を見てすぐに頷く。
「確かに……眠たい」
霧の中に足を踏み入れてから、二人を強烈な眠気が襲い始めていた。
じわじわと眠気が二人を飲み込むように迫ってくる。
その眠気は二人の瞼を焼けるように重くしていく。
ふと、杏花が歩みを止めて前方を指さした。
「あれ、人じゃない?」
伽那も目を細め、前をじっと見る。
その方向には、
ぼんやりと人のような形のシルエットが地面に伏しているのが見えた。
二人はそこへと慎重に歩みを進めた。
「……これ、大丈夫じゃなさそうだね……」
伽那が顔を歪めながら呟く。
霧の中のシルエット。
それは確かに人間だった。
まるで死んだように地面に伏しているが――どこにもケガは見当たらない。
伽那はしゃがみこみ、注意深くその人物を見つめた。
「……眠り方がおかしい。まるで眠らされてるような……やっぱり何かおかしいよ」
伽那はこの様子に焦燥感を覚えた。
先からふつふつと強くなっていく眠気に耐えながら必死に考える。
「お姉ちゃん」
杏花が低い声でそう呼びかける。「……皆そうみたい」
伽那は杏花の言葉に驚きながら顔を上げた。
周囲に目を向けると、霧の中に無数のシルエットがぼんやりと見えていた。
そのどれもが、同じように地面に伏したまま動いていない。
伽那は突如湧き上がる不安感に反射的に立ち上がった。
「これヤバい。急いで一旦戻ろう!眠気がヤバい!」
伽那が珍しくも焦りを隠さず声を張り上げる。
「分かった!」
杏花もすぐさま頷く。
二人は素早く踵を返して走り出す。
真っ白な世界の中で足音が不気味に木霊する。
素早く街から出ようと走る。
だが――霧はさらにその版図を広げており、二人を拒むように広がっていた。
少しづつ足取りがゆっくりとなっていく。
限界がゆっくりと歩み寄ってくる音がする。
瞼が焼けるように、意識を引きずり込んでいく。
「どんどんッ濃くなってる……!」
伽那が叫ぶ。
――だが、視界はどんどんと閉ざされ、出口もわからない。
「お姉ちゃん、ちょっと待っ――」
声が途切れると同時に、杏花の体が傾いた。
「杏花!」
伽那は杏花の傍に寄ろうとしたが、遂に自分の体もふらつき始める。
「やばっ――」
踏ん張ろうとした。
が――最後の抵抗も虚しく、伽那は全身から力が抜けていくのを感じた。
(まずい……眠ったら――)
伽那と杏花の体は重たく地面に横たわり、
鉛の瞼が閉じていくのと同時に、意識は霧の中へと消えていった――。
* * * *
――あれからどれほどの時間が経ったのだろう。
伽那が重い瞼をゆっくりと開ける。
視界がじわじわと広がり、ぼやけていた輪郭が鮮明になる。
はっきりとした景色が飛び込んでくる。
気怠い体に鞭打ち、上半身をゆっくりと起こした。
そうして視界に飛び込んできたのは――
霧がほとんど晴れた街並みだった。
そう――静かに佇んで。
伽那はその異様な静けさにハッとして辺りを見回す。
「あ、杏花! おーい! 起きて!」
声を上げるながら、近くで倒れたままの杏花に近寄る。
肩を揺すり、強く呼びかけた。
すると、反応するように杏花の体が動く。
重そうに瞼をゆっくりと持ち上げた。
「ん……あぁ……お姉ちゃん、おはよう~」
「おはようじゃないよ。早く起きて!」
伽那はさらに肩を強く揺する。
杏花は少し呻きながらゆっくりと上半身を起こした。
大きく伸びをして、うつらうつらに目を伽那へと向ける。
「……で、どうしたのー?」
その気だるげな声が伽那の耳に届く。
その中、伽那は再び周囲を見渡した。
街は見晴らしがかなり良くなっていた。
霧はすっかり晴れ、街全体が見晴らせるようになっている。
しかし―――その光景は不気味だった。
澄み切った空気、良すぎるほどの見晴らし、
そのどれもが非現実的で不気味だった。
伽那の胸にふとざわめきが生じる。
「……あれ……倒れてた人たちは……?」
いつの間にかしっかり目を開いている杏花が驚いたように声を漏らす。
言葉を受けた伽那も慌てて周囲を見回した。
あれだけ、霧の中に見えていた物がどこにも見当たらない。
「なんで……誰もいない……?」
伽那は困惑したように声を漏らした。
杏花も重たそうに立ち上がり、じっと周囲を見渡した。
「これは―――……」
杏花の言葉が途切れる。その表情が険しく歪んだ。
街は完全な静寂に包まれている。
靴音を立てれば、音が妙に大きく反響し、
しゃべればただそれだけで聞こえる。
その静けさは、まるで二人の存在すらかき消さんばかりに圧迫感を帯びていた。
伽那がゆっくりと息を漏らし、直立したまま止まる。
「誰もいない……おかしい。これはおかしいよ―――」
杏花も口を閉ざしたまま、顔を歪める。
二人を取り囲む街並みはあまりにも無機質で、朽ちたように佇んでいた。
信号さえも、働くことを忘れていた。
雲の一切無い重い青色の空の中、
重苦しい不安が二人を静かに、確実に飲み込んでいく―――。
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