第33話 動き出す者たち

◆ラズヴァン伯爵邸前



 アヤトを祈りの窟へ送り届けたクレア=ルヴィアが、ラズヴァン伯爵邸に戻ったのは、夕日が傾きかけた頃だった。だが、彼女が門をくぐろうとしたその時、一人の少女がそこに立っていた。


 フィーナ。


 柔らかな髪と意志の宿った瞳を持つ少女は、まるで待ち伏せしていたかのように、クレアに向かって頭を下げた。


「お願いがあります、クレアさん」


「……何?」


 気だるげに問い返すクレアに、フィーナは真っ直ぐな視線を向けた。


「私に、魔法の稽古をつけてください」


「……は?」


 その申し出に、クレアの眉がわずかに動く。


「どうして、私がそんな面倒なことをしなきゃいけないのよ」


 フィーナは一歩前に出て、はっきりと答えた。


「アヤトさんの力になるためです。彼が命をかけて強くなろうとしているのに、私は今のままでは……追いつけない。だから、私も強くなりたいんです」


「だったら、自分で鍛錬すれば?」


 クレアは興味なさげに言い放ち、すれ違いざまに屋敷の中へ入ろうとした。


 しかし――


 その背後に、小さな爆発音が走った。


 フィーナが放った火球が、クレアの数歩手前の地面に炸裂する。爆炎が彼女の全身を包み込んだ――かに見えた。

 次の瞬間、淡い光の防御陣がクレアの周囲に展開され、爆炎を吸収するように消し去った。服には焦げひとつ残らない。


「……どういうつもり?」


 クレアの声が低く落ち、視線がフィーナに突き刺さる。一触即発。


「あなたなら、あっさり防ぐと思っていました」


 フィーナは怯むことなく、はっきりと言った。


「……ふぅん。で、それが“お願いの仕方”なの?」


 クレアの周囲に淡い魔法陣が浮かび上がる。警告の意味を込めた魔力の揺らぎ。


「クレア=ルヴィアさん」


 フィーナは、深く息を吸って言った。


「孤児であったあなたは、かつて勇者の一団に助けられて魔法の才を開花させた。そして数々の魔物を退けてきたと聞いています。魔王討伐後の混乱期には、仲間たちと共にドラゴンを討伐し、その戦功で辺境伯に迎えられた、と……」


 クレアの目が細められる。


「……随分詳しいのね」


「母から聞きました。エレナ=ニシミヤ――私の母を、ご存じですよね」


 その名に、クレアの表情が一瞬だけ硬くなった。


「あなたと共に旅をし、ドラゴンを討伐した仲間……」


「……なるほど。あのエレナの娘、ってわけ」


 クレアは目を細め、少し口元を歪めて笑う。


「ほんわかしてるようで、とんでもないことをするところは、確かに母親譲りね」


 魔法陣が霧のように消え、空気が緩む。


「……面白いわ。いいでしょう、稽古をつけてあげる」


 フィーナの表情がわずかに明るくなる。

 だが、クレアはその先を続けた。


「あなたが“勇者の孫”としての素質を本当に持っているのか、見せてもらうわ。――双剣の魔剣士と名を馳せた、あの男の血を継ぐ者として」


 その言葉に、フィーナの瞳がわずかに揺れた。

 そして物語は、静かに新たな修行の幕を開ける。



***



◆サンドールギルド



 ギルドの裏口から入ってきたミランダに、先に戻っていたライナーが声をかけた。


「よう、おかえり。ジェイクからアヤトの話は聞いたぞ」


 ミランダは軽く頷きながら、肩にかけていた外套を脱ぐ。


「はい、アヤトさんは無事に祈りの窟に向いました。呪いにかかってる中、残された力で戦おうとしています」


「……そうか。あいつ、やっぱりまだダンジョン攻略を諦めてなかったんだな」


 ライナーの顔に、ふっと笑みが浮かぶ。


「だったら俺たちも、あいつの力になってやるとするか。リョウタに先を越されるのは、正直気分が悪いしな」


 ライナーの提案を受け、ギルドでは新たに“ダンジョン攻略支援パーティ”が結成された。目的は、アヤトが戻ってくるまでに五層以降のマッピング作業を進め、戦術的な準備を整えておくこと。


 ちょうどその時、五層までの探索から戻ってきた別のパーティがギルドの扉をくぐる。

 装備に汚れや傷が目立ち、メンバーの顔にも疲労の色が濃い。


「途中でリョウタたちとすれ違いましたよ。あっちはかなり入念な準備をしてたな……装備も回復薬も万全って感じで」


 報告を聞いたライナーが唸る。


「なるほどな。あいつら、一気に最下層まで潜るつもりだろうな。……そりゃ気合も入るわけだ」


 パーティのひとりが言った。


「それで、向こうに情報をよこせって言われました。けど、何も知らないって突っぱねてきましたよ」


「助かる。その情報は俺達で買い取らせてもらってもいいか?」


「もちろんです。これが、最新の第5層までのルートです」


 ライナーは羊皮紙を広げ、相手のパーティの地図情報を取り込んだ。そして、五層以降のルートについて意見を交わす。


「このダンジョン、Dランクにしてはやけに広いな。しかも、季節が逆転したみたいに極端に気候が変わるエリアもあったらしいな」


「そうなんです。寒暖差が激しすぎて、なかなか攻略には手間がかかりますよ。俺達も体調崩しかけて戻ってきたんですよ」


「なるほどな……ゴブリンロードの件といい、どうやらこのダンジョンも一筋縄ではいかなそうだ」


 さらに、今回の探索で発見された“新ルート”の情報が共有された。


「既存のルートより早く下層に到達できそうです。ただし、魔物の数が多くてリスクも跳ね上がります」


 ライナーはそれを聞いて、にやりと笑った。


「上等だ。だったらなおさら今のうちに道を開いておく必要があるな」


 仲間たちの準備が整ったのを確認すると、ライナーは地図を畳み、腰の剣を軽く叩いて言った。


「さあ、出発するぞ。あいつが戻ってきたときに、胸張って成果を渡せるようにな」



***



◆ダンジョン第六層



 厚い靄(もや)のような瘴気が、洞窟の空気に重く沈んでいた。第6層――ここは、サンドール近郊に現れた新ダンジョンの中層部。


 リョウタは銀色の剣を片手に、慎重に周囲を睨みながら進んでいた。彼の左右には、それぞれ剣を構えた前衛役の男が二人。後方には、魔法使いと回復役、それにダンジョンの攻略ルートを選定するナビゲーターの男が続く。


「チッ……またこいつらかよ」


 目の前に現れたのは、牙を剥き出しにして突進してくる異様に筋肉質なオーク数体。数は少ないが、一体ごとの威圧感が明らかに違う。


 リョウタは一歩踏み込み、斬撃を叩き込む。鋭く閃いた剣閃は、オークの肩口から胴を断ち、肉と骨を裂いて一撃で沈めた。


「――ったく、弱いくせに威圧感だけは一丁前だな」


 吐き捨てるように言いながらも、リョウタの視線は仲間の方へと移る。

 左右の前衛役が、同じくオークと対峙していた。だがどちらも、明らかに苦戦していた。


「おいおい、何手こずってんだよ。そんなの、切り伏せりゃいいだけだろ」


 呆れを隠さず口にするリョウタだったが、その内心ではわずかな違和感がじわじわと広がっていた。


(……確かに、今のやつ……反応が早かったか。いや、でも──)


 その隙をついて、別のオークが背後から飛びかかってくる。


「後ろッ!」


 仲間の魔法使いが火球を放ち、間一髪でカバーに入る。


「……チッ、なんなんだこいつら。前はこんな動きしなかったはずだろ」


 苛立ちを隠しきれず、リョウタは舌打ちする。

 仲間の一人が、息を整えながら告げる。


「リョウタ、ここの魔物……以前より凶暴化してます。動きが妙に統率されてて、同種族より強い」


「知るかよ。数が多かろうが、強かろうが、俺が全部ぶっ潰すだけだろ」


 虚勢を張るように笑うリョウタだが、内心ではうっすらと違和感を覚えていた。剣の切れ味。魔物の挙動。地形の複雑さ。すべてが、第5層までと微妙に噛み合っていない。


 進んだ先には、異様な景観が広がっていた。天井から霜が垂れるような極寒のエリアと、そのすぐ隣に、じっとりと蒸し返すような灼熱地帯。


「……なんだよこれ。季節どころか、気候が違いすぎる」


 ナビゲーターの男が眉をひそめて地図を睨む。


「リョウタさん、こっちのルート、何かおかしいです。方角は合ってるのに、地形がズレてて──」


「はぁ? ふざけたこと言ってんじゃねぇよ」


 リョウタは地図を乱暴に叩き返し、男を睨みつけた。


「お前が“探索に自信ある”って言うから仲間に入れてやったんだろ? だったらちゃんと働け。足引っ張るなよ」


「……申し訳ありません」


 ナビゲーターの声が小さくなる。だがその顔には、怯えと同時に焦燥の色が浮かんでいた。


 このダンジョン、何かが明らかにおかしい。

 その異変の正体はまだ見えない。けれど、リョウタの背筋を這うように漂う“何か”が、確実にその先に待っていた。

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