第35話 鍛冶バカ姫の想いの込め方
──王城・東鍛冶倉庫。
いつもなら無骨な鉄音が満ちている空間に、今は静寂が広がっていた。
レコナは炉の前で、黙って鉄の塊を見つめていた。普段ならすぐに火を入れ、金槌を振るっていた。だが今日は、なぜかその手が止まっていた。
(あたし……なにしてるんだろ)
昨夜の風呂場での出来事が、何度も頭をよぎる。湯けむりのなかで、突如乱入してきたグラディア皇女──ヴァレリア。
小柄な体躯に似合わぬ、際どい戦装束を身にまとい、堂々と「アルク様が好きですの」と宣言した。
あの時、自分は湯に沈みながら、何も言えなかった。顔を赤くして、目をそらすことしかできなかった。
(あの子は……嘘を言ってなかった)
嫉妬? 不安? それとも……ただの、自信のなさ?
彼女は“皇女”として育てられた。美しく、知的で、立ち居振る舞いも完璧。あたしみたいに、鍛冶しか能のない無骨者とは違う。
レコナはぎゅっと拳を握ると、炉に火を入れた。
ボッと炎が立ち上がる。ふいごを踏み込み、風を送り、さらに勢いを増した。
(あたしは──何も持ってない。でも)
棚の奥から、鋼の塊を取り出す。それは、かつてアルクが「試作に使ってみて」と残していった、オリハルコンと鉄の合金素材だった。
(この手は、鍛冶のためにある。なら、あたしにできる“想いのかたち”は──)
金槌を手に、鉄を炉に入れる。赤くなった素材を取り出し、台に乗せる。
カン。
カン。
カン。
最初の打撃は浅く。だが打つごとに、レコナの心が定まっていく。
(アルクは、優しい)
(セレスにも、支援隊にも、あのヴァレリアにだって、誰にでも優しい)
(でも、あたしは……あたしだけは……)
カン!
鋭い音が倉庫に響く。
(“好き”って言えなかった。だけど)
(せめて、この刃に……気持ちを全部、込めよう)
この一振りは、誰のためでもない。装備としての短剣ではなく、自分のために、自分の心を鍛えるために打つ刃。
(あたしにできるのは、それくらいだもの)
汗が額を伝う。火花が散る。炉の熱で頬が赤く染まっていく。
途中、火加減が崩れかけたとき、思わずアルクの言葉が浮かぶ。
──「炭の配置、ちょっと変えたほうがいい。熱が偏るぞ」
そのアドバイスどおりにふいごを踏み直し、熱を均一にした。
(ありがとう、アルク)
(あんたの言葉が、まだ残ってる)
ふと、寂しさが胸をよぎった。工房で並んで槌を振るっていた時間。鉄に無言で向き合いながらも、たまに視線が交わると、笑ってくれたあの目。
(あたし、バカだ)
(向き合おうともしなかった。気づかないふりして……)
カン……!
重ねた熱と衝動が、刃の芯に宿っていく。
思えば、王女という立場にあって、鍛冶にのめり込んできたのは、きっと“逃げ”だったのかもしれない。感情を表に出すことを、どこかで避けていた。
でも、アルクと出会って、変わってしまった。
この人といると、真っ直ぐになれる。悩んでも、不器用でも、前に進みたくなる。
──打ち終わった。
鋼はすでに冷えかけている。仕上げの研ぎに入りながら、レコナはその形を見つめた。
短剣。
だが、装飾もなく、素朴な刃。
(飾る必要なんてない)
(これは、あたしの“気持ち”そのものだ)
そう思うと、刃の反射に映る自分の顔が、少しだけ誇らしげに見えた。
***
夜。倉庫の明かりが落ちる頃。
レコナは短剣を布で包み、大事そうに胸元に抱えた。
「アルク……あたし、ずっと怖かったの」
「でも、もう逃げない」
「──ちゃんと、伝えるから」
倉庫の扉が閉じられる。
誰もいない夜の通路に、ふわりと吹いた風が、鉄と汗のにおいをさらっていった。
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