第24話 神剣を喰らう牙

 王城の朝は、いつもよりも重く静かだった。


 武器庫から、オリハルコン製の剣——〈キュルス=アリオナ〉を含む四振りが盗まれたという一報は、夜明けと同時に王城中を駆け巡っていた。


「……どうして、こんなことに……」


 レコナは信じられないという表情で、まだ残されていた二振りの剣を前に、しばらく動けずにいた。その隣で、アルクはじっと黙っていた。


 怒りのあまり、言葉が出なかったのだ。


 盗まれたのは、ただの剣ではない。レコナと共に、命を削って鍛え上げた奇跡の結晶——それが、帝国の手に渡ってしまった。


「セレスは?」


「今、武器庫の外周を洗ってる。ハルグも兵士たちに聞き込みを始めたって……」


 報告に来た侍女の声にも、どこか悔しさが滲んでいる。


 だが、アルクの瞳は、深い深い夜の底のように冷たく澄んでいた。


「レコナ」


 静かに呼ばれて、レコナは顔を上げる。


「……もう我慢できない」


「……え?」


「奪われたなら、取り返す。ただそれだけの話だよ」


 ぽつりと呟いたアルクの声に、工房の空気が震えた。


 レコナは目を見開く。その声音に宿った怒りは、彼のどこか飄々とした普段の空気を、一瞬で吹き飛ばしていた。


「王の許可を取って、今すぐ追跡を始めよう。遅れれば遅れるほど、あの剣たちは……あいつらの手で“模倣”される」


「……!」


 王国が数百年かけても精錬できなかった鉱石が、帝国の手に渡った。鍛え方はわからずとも、素材そのものと形状の情報があれば——模倣や、歪んだ再現をされかねない。


 なにより、アルクにとって、あの剣たちは「命そのもの」だった。


 レコナは、気圧されながらも頷いた。


「……私も行く。あの剣たちは、私の“誇り”でもあるのだから」


 静かに、だが確かな決意がふたりの間に走る。


 そのとき、工房の扉が開き、ハルグが入ってきた。彼の顔には、ただならぬ気配があった。


「帝国兵と思しき影が、北東の街道を抜けていったとの報せが……早馬で届いた。しかも、早朝の見回りで武器庫の外壁に……異国の足跡も確認された」


「やっぱり……」


 アルクの目が細くなる。


「すぐに王に謁見させて。追撃の許可を得ないと、動けない」


「了解。だが、恐らく王も——」


「……わかってる。王国全体の意地に関わることだ」


 そのまま、アルクとレコナは工房を後にした。朝焼けの空の下、彼らの背に宿る気迫は、まるで“怒れる炎”そのものだった。


(あの剣は、僕たちの魂なんだ。帝国の“物欲”に、好き勝手されてたまるもんか……!)


 アルクの内心に渦巻く怒りが、歩を進めるたびに熱を帯びていく。


***


 謁見の間には、すでに国王インシャッラー60世が着座していた。

 ただならぬ気配を察したのか、早朝にもかかわらず、王は正装で臨んでいた。


「アルク、レコナ。……来ると思っていたぞ」


 低く、だが温かみを帯びた声。


 アルクは即座に膝をつき、頭を垂れた。


「王よ、無念ながら、我らが鍛えし神剣の一部が奪われました。帝国の密偵によって。すでに追跡の手がかりもあります。どうか、許可を。……僕に、追わせてください」


「……許可は、すでに用意してある」


 国王の声には迷いがなかった。

 横の側近が差し出したのは、王印の入った出撃命令書——しかも、封蝋は未だ割られていない。


「おぬしが来る前から、婿殿支援隊の報告で事の次第は把握していた。……気にするでない、悪い流れではない。名のある剣は、魂を得る。奪った者が扱えば、必ず報いを受けるであろうよ」


 アルクは静かに顔を上げた。王の言葉には怒りも悲しみもなく、ただ国家を預かる者としての深い洞察と覚悟があった。


「追撃部隊には、信頼の置ける者たちを集めよう。ハルグ、セレス、そして——」


 言いかけたところで、国王はレコナと目を合わせる。


「……娘よ、おぬしも行く気だな?」


「はい。……王女としてではなく、鍛冶師レコナとして、私の剣を取り戻します」


 国王はしばらく沈黙し——やがて目を閉じ、深くうなずいた。


「……よかろう。ならば、“汝らの矜持”として認めよう。部隊の編成は任せる。ただし——必ず生きて戻れ。……奪還の報せと共にな」


「はっ!」


 その場にいた三人の声が揃って響いた。


 王は少しだけ柔らかく笑んだ。


「婿殿支援隊の侍女たちも、すでに騒ぎを聞きつけて集まっておる。追撃に加わると騒いでいるようだ。……止めても無駄かもしれんな」


 苦笑混じりの言葉に、アルクは小さく笑った。


「ありがたいです。あの子たちの気配りと足回りの良さは……とても信頼できますから」


 王はその言葉に頷き、席から立ち上がる。


「ならば行け、鍛冶師たちよ。“神剣”を、誇りを、必ず取り戻すのだ」


 天井から差し込む陽光が、アルクたちの顔を照らした。


 これは単なる追撃ではない。

 奪われた“技術”でも、“宝物”でもなく、彼らが生きてきた証そのものを取り返すための戦い——それは、静かなる反撃の狼煙となった。

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