第18話 火と手と、芽吹く想い

 王城の門が開いたのは、ちょうど日が沈む頃だった。


 帝国兵の越境と交戦、撃退、そして焰心樹の採取という重大な成果を携えたアルク、レコナ、セレスの三人は、衛兵たちに付き添われ、すぐさま謁見の間へと通された。


 王の表情は、いつもののんきな父親面ではなかった。王冠の下にある双眸は真剣そのもので、謁見の場に張り詰めた空気を作っていた。


「して……我が娘、レコナちゃ――いや、レコナよ。報告せよ」


 言い直したものの、若干語尾が甘くなるのを堪えきれていないあたりに、王の人柄が滲んでいた。


 レコナはひとつ深呼吸すると、帝国兵との遭遇戦について、詳細に報告を始めた。そして、懐から取り出した鉄の破片を献上する。


「これは、帝国兵が纏っていた鎧の破片です。ただの分厚い鉄ではありません。焼きの入れ方が違う。硬度を高める処理が施されていました」


 臣下たちがざわめく。王も真剣な面持ちでそれを手に取った。


「ふむ……婿殿よ」


 唐突に話を振られ、アルクは思わずぴしっと背筋を伸ばした。


「これと同じ、あるいはそれ以上の鎧は、作れるかの?」


 アルクは短く考えた。だが、すぐに頭を横に振る。


「……わかりません。でも、試したいとは思います」


「そうか。だが、そなたの手で、オリハルコンの精錬には目処がついたと聞いておる」


「はい」


「ならば、奴等の鎧を切り裂く剣が一本でもあれば――」


「オリハルコンは希少にございます!」と重臣のひとりが食い気味に口を挟む。「全軍に配るなど到底……」


「うむ……では、作れるだけは作ってくれ」


 そう言って、王はアルクに視線を戻す。


「もちろん、レコナと一緒なら」


 アルクの言葉に、レコナの頬がわずかに赤くなる。それを見逃すほど、王は老いてはいない。


 ――今、赤らめたな?レコナが赤らめたぞ?!


 王は立ち上がりかけた。口から「孫」という単語が漏れそうになったのを、拳を握って堪える。


「……ま、まずは、オリハルコンの剣じゃぞ?……まご……モゴモゴ……と、ともに励め!」


 そう言って、必死に理性を繋ぎ止めた王は、「では、作業にかかるのじゃ!」と少し早口気味に勇ましく言い渡し、ひとまず二人を退室させた。


「…セレスは残れ。詳しく……話を聞かせよ」


 セレスは溜息をひとつつくと、にっこりと営業用の微笑みを浮かべた。


「陛下、どのあたりからお話ししましょうか?森の中でのお着替えの件から?」


「お着替え!?…もうそこまで進んでおるのか!?…すまぬ、すまぬが、順を追って事細かに!」


 


 * * *


 


 謁見の間を後にしたアルクとレコナは、すぐさま炭焼き場へと向かった。


 焰心樹の材は、城の中庭近くの炭焼き小屋にすでに積まれていた。赤黒く光るようなその木肌は、見る者すべてに只者ではないと印象づける。


「この木を炭にするにはコツがあるんだ」


 アルクは言いながら、器具の準備に取り掛かる。


 レコナもすぐに隣で手伝い始めるが、互いの手が偶然触れ合った瞬間、二人は目を見合わせ、ぱっと顔を背けた。


「べ、別にっ……!」


「い、いや、今のは……っ」


 気まずさの中で、どちらからともなく叫ぶように言葉を吐き出す。


「それどころじゃないっ!!」


 木を積み上げ、囲いをつくり、火を起こし、温度を調整する。必要な工程は多く、しかも一つでも失敗すればすべてが台無しになる。


 集中、集中……!


 だが、隣で真剣な表情のレコナを見つめてしまい、気づけば頬が緩みそうになるアルク。レコナもまた、アルクの横顔に何度も目を奪われていた。


 ——そして、丸一日後。


 手のひらで抱えられるほどの量の、真っ黒な焰心炭が完成した。


「……やったね、レコナ」


「ええ。アルクのおかげ」


「ううん、二人でやったんだよ」


 ふと、また手が触れ合いそうになるが、今度はお互い視線を交わしたまま、そっと手を引っ込めた。


 


 * * *


 


 鍛冶工房では、いつもと違う空気が漂っていた。


 普段は冗談を交えながら仕事をする職人たちも、今は無言で槌を振るい、火花を散らしている。誰の心にも、戦の影が差していた。


「よっ……と。レコナ、まずは一本、一緒にやってみようか」


「……うん!」


 二人は火を囲み、オリハルコンの精錬に取り掛かった。


 白銀に煌めく鉱石が、焰心炭の熱に抱かれて溶け出す。レコナが風を送り、アルクが温度を調整する。火の温度、空気の流れ、心の呼吸さえも、二人は見事に合わせていた。


「レコナ、この火を見て。……もうすぐだよ」


「……うん。アルク、火が……喜んでる」


「うん。君の気持ちが伝わってるんだよ」


 そんなやり取りに、隣で作業していたドレルが槌を止めた。


「おい……あの二人、もう夫婦だったか?」


 誰も答えられなかった。


 他の職人たちも、あからさまに気まずそうに視線を逸らす。だが、それでも頬は緩んでいた。


 


 やがて、アルクの手によって、一本のオリハルコンのショートソードが鍛え上げられた。


 それは光を受けて蒼白く輝く、美しい剣だった。


「……レコナ、次は君の番だよ」


「うん!アルク、たくさん教えてね!」


「…こっちの炉も改造しよう。…工房長、いい?」


 


 ドレルはその様子を見ながら、そっと呟いた。


「……また帰れんな、こりゃ。…俺も嫁さんに会いたいんだがなぁ……」


 


 * * *


 


 一方その頃、謁見の間では。


 セレスによる赤裸々な旅の報告に、王と重臣たちは丸一日が経過した今も大いに盛り上がっていた。


「それで!それで!?顔が近づいたのは何度あった!?何秒見つめ合ったのだ!?……口づけは!?」


「……陛下、今は戦の前でございます」


 苦言を呈したのは、いつもの真面目な宰相だったが、王は大真面目に頷いた。


「うむ、すまぬ……祝いは、鍛冶工房からの朗報が届いてからじゃな。……もう、結婚ってことでええんかのう!?」


「…陛下、お気持ちはわかりますが、今は辛抱ですぞ。」


 しかし、その目尻には、すでに「孫」の未来を夢見る父の笑みが、滲み出ていたのだった。

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