音速の貴公子
今年も
2022年9月20日に、三重県の鈴鹿サーキットが開場してから60周年を迎えると言う、日本のモータースポーツ界に於いての輝かしいアニバーサリーデイが訪れます。
60周年に因んで鈴鹿サーキットでは、60個もの企画を実施する「SUZUKA 60 PROJECT」を催す計画で、こちらの方も楽しみです。
このイベントが契機に成って、日本のF1人気が更に高まると嬉しいですね。
さて、今年のF1レースですが、開幕戦の「バーレーンGP」で2番手を走行していた「フェルスタッペン(レッドブル)」と4番手を走行していた同じレッドブル所属の「セルジオ・ペレス」が、ダブルリタイアすると言う波乱の幕開けに成りました。
勿論、F1は開幕したばかりで、開幕戦の成績で何かが言える訳では有りませんが、昨日行われた「第2戦サウジアラビアGP予選」までの成績は、チームでは「スクーデリア・フェラーリ」がトップで、ドライバーズでもフェラーリの「シャルル・ルクレール」が、早くも独走状態を築きつつ有ります。
「シャルル・ルクレール」は、モナコ・モンテカルロ出身の超イケメンで、女性からの人気が抜群に高いドライバーとしても名を馳せています。
彼の父親で有る「エルヴェ・ルクレール」も元レーシングドライバーで、シャルルはその父の影響を受けて「アイルトン・セナ」を英雄視している事は余りにも有名です。
「シャルル・ルクレール」の活躍に
1994年5月1日、「アイルトン・セナ」がF1の第3戦「サンマリノGP」で、ストレートを走行時にバランスを崩して、コンクリート壁に激突して死亡すると言う、世界中が悲しみに襲われた惨事から、今年で早や28年が過ぎた事に成ります。
セナは「F1グランプリ」で3度のチャンピオンに輝き、彼の生涯戦績は、出走回数161回で優勝41回と言う抜群の成績でした。
優勝回数の多さもさることながら、ポールポジションを65回も
そして彼の甘いマスクや、ブラジリアンとしてのラテン系の明るい性格が
ライバルの「アラン・プロスト」や「ミハエル・シューマッハー」などが、「冷静・冷徹な走り」を身上にしていたことも、彼のカリスマ性を高めた一因だったに違いが有りません。
特に日本では、1987年にホンダが「ロータスにエンジン」を彼に供給した事から、ホンダとセナに友情関係が生じた事や、「日本GP」などで来日した事も有ってファンが急増しました。
1988年には、セナがホンダのエンジンを搭載した「チーム・マクラーレン・メルセデス」に移籍して、90年と91年の「F1グランプリ連覇」で、ホンダF1黄金時代の立役者にも成りました。
92年からは、彗星のごとく「チーム・ウィリアムズ・ルノー」が台頭して来て、F1界を
そして94年に、念願が叶ってセナは「ウィリアムズ移籍」を果たしました。
想えば、この「ウィリアムズ移籍」が、我の
そして移籍した年の「シーズン第3戦」で、そのウィリアムズ車で悲劇は起こり、「F1の音速の貴公子」は帰らぬ人に成りました。
「アイルトン・セナ」は生涯、「タグホイヤー」の腕時計を愛した事でも有名です。
「タグホイヤー社」は、伝説のF1ドライバー「英雄アイルトン・セナ」へのオマージュとして、「アイルトン・セナ限定モデル」を発売して、現在もモデルを変えながらも生産が続いています。
ところでクラッシュシーンと言えば、「スティーブ・マックィーン」が主演した「栄光のルマン」と言う映画が直ぐに思い浮かびますが、映画のなかで、スティーブが着けていた腕時計こそ「タグホイヤー」でした。
この「栄光のルマン」という映画は、ル・マンのオーガナイザーと参加ドライバー、そしてポルシェ、フェラーリの全面的な協力を得て制作されました。
スティーブが乗る「カーナンバー29 のポルシェ 908/2」の勇姿はF1のファンだけでは無く、多くの人の胸の中に深く刻まれた事でしょう。
コロナ禍が中々収まりを見せない今年のF1レースですが、誰一人クラッシュする事なく、シーズンが終了する事を心から願っているこの頃です。
(2022年 執筆)
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