第45話 殺が斬る――!
AYAYAこと、文埜 殺が、この奥谷旅館に宿泊を始めてから、数日が過ぎた。
その日の午後。ラウンジは、午後の穏やかな日差しに満たされ、宿泊客たちが、静かにお茶を飲んだり、談笑したりして、思い思いの時間を過ごしていた。
しかし、その平和な空間の一角だけは、まるで氷河期のように、空気が張り詰めていた。
一人は、窓際の席で、宇治の最高級玉露を、優雅に口に運ぶAYAYA。
もう一人は、少し離れたテーブルで、ノートパソコンのキーボードを、猛烈な勢いで叩いている郁美さん。
互いに視線を合わせることはない。だが、その間に見えない火花が散っているのを、俺だけでなく、ラウンジにいる誰もが感じ取っていた。
「……」
痺れを切らしたように、AYAYAが、すっと席を立った。
そして、彼女は、まるで舞台女優のような、優雅な足取りで、郁美さんのテーブルへと歩み寄る。
「いつまで逃げ続けるつもり、イクぽん?」
その、静かだが、突き刺すような声に、郁美さんの指が、ぴたりと止まった。
「……何の事だか、分からないな。私は今、仕事中だ。宿泊客には、静かに過ごしてもらいたいものなのだが……」
「あら、そう。その仕事、もうすぐ手につかなくなると思うわよ?」
一触即発の二人の間に、俺はおずおずと割り込んだ。
「あ、あの、文埜さん。何か、郁美さんに御用で……?」
「部外者は黙っていてくれるかしら、オーナー。これは、私と彼女、二人の問題よ」
AYAYAは、俺の言葉を、ぴしゃりと一蹴する。
そして、なおも無視を決め込もうとする郁美さんを、鼻で笑った。
「いいわ。あなたが、その椅子から動かないというのなら」
次の瞬間、AYAYAは、ラウンジにいる全員に聞こえるように、まるで女王のように、高らかに宣言した。
「イクぽんが、私との勝負から逃げるというのなら、仕方ないわ。別の方法で、私が、今の『ソロ最強』であることを、彼女に、そして世界に証明してあげる」
「……なに?」
初めて、郁美さんが、AYAYAの顔を真っ直ぐに見据えた。
「――私、AYAYAは、これより、単独で、この聖域ダンジョンの最深部を目指すわ。ブリザードが撤退した29階を越え、政府のネオゲートが全滅しかけた35階を越え……。この、日本で最も危険なダンジョンを、たった一人で制覇してみせる!」
その、あまりにも無謀で、しかし、あまりにも傲慢な宣言に、その場にいた全員が息をのむ。ラウンジは、水を打ったように静まり返った。
血相を変えたのは、郁美さんだった。
「やめろ、アヤぽん!」
彼女は、椅子を蹴るように立ち上がると、AYAYAに詰め寄った。
「このダンジョンが、お前の知っている他のダンジョンとは、訳が違うことは、データを見れば分かるだろう! ただの自殺行為だ!」
「ええ、分かっているわ。だからこそ、挑戦する価値があるのよ」
AYAYAは、不敵に笑う。
「それに、私を止めたいのなら、あなたが、私と勝負すればいいだけの話でしょう?」
その言葉に、郁美さんは、ぐっと唇を噛みしめた。彼女を止めたい。しかし、自分が表舞台に出て、勝負を受けることは、どうしてもできない。そこには、彼女が過去を捨てた、深い理由があるようだった。
「……じゃあ、準備してくるわね」
AYAYAは、そんな郁美の葛藤を無視し、優雅に一礼して自室に戻っていく。
残された俺たちに、彼女を止める術はなかった。彼女は、正当な手続きを踏んだ、探索者プランの宿泊客なのだから。
郁美さんは、苦虫を噛み潰したような顔で、帳場のモニターの前に座り、彼女のバイタルや魔力反応を監視する準備を始めた。その横顔は、これから死地へ向かう仲間を見送る兵士のようでもあった。
数十分後。
ダンジョンの入り口に、準備を終えたAYAYAが立った。その身に纏うのは、最新技術の粋を集めた、流線形の美しい戦闘服。手には、白銀に輝く、優美なレイピア。その全てが一流品であり、彼女が本気であることを物語っていた。
彼女は、お供の、小型のカメラドローンを起動させる。
「――AYAYAチャンネル、始まるわよ!」
その一言で、ゲリラ的に始まったライブ配信に、世界中のファンが、一斉に殺到していくのが、モニター越しに分かった。
AYAYAは、カメラに向かって、そして、モニターで見ているであろう、ただ一人のライバルに向かって、宣言した。
「見てなさい、イクぽん。これが、あなたから逃げなかった、私の、今の全力よ」
その言葉を最後に、彼女は、たった一人で、聖域の闇へと、その身を投じた。
居間のモニターには、彼女の視点から見た、ダンジョン第一階層の光景が映し出されている。
世界中が見守る中、ソロ最強の女王による、最も危険な挑戦が、今、始まった。
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