第15話 警告【ざまぁ】
深夜の居間に、ノートパソコンの冷却ファンが回る音だけが、やけに大きく響いていた。
画面に映し出されているのは、侵入者キリタニのカメラが記録した、生々しい映像。俺たちの無防備な姿と、俺自身の、まるで他人事のような、規格外の力。
三人の間に、重い沈黙が流れていた。
「……これを、使う」
最初に口を開いたのは、腕を組んで画面を睨みつけていた郁美さんだった。
「この映像を逆手に取り、我々からの『警告』として発信する。これが最も合理的で、効果的な牽制になる」
「待ってくれ、郁美さん」
俺は、即座に反対した。
「いくら相手が悪いことをしたからって、その人の映像を本人の許可なくネットに晒して、社会的に抹殺するような真似は……。俺は、そういうやり方はしたくない」
「甘いな」
郁美さんは、俺の言葉を鼻で笑った。
「これは戦争だ。我々はすでに世界中のハイエナに狙われている。ここで『私たちは無害な素人です』とアピールしても、餌が群がるだけだ。『ここには猛獣がいる』と知らしめて、手出しさせないようにするしかない」
彼女の言うことは、きっと正しいのだろう。だが、俺の心の何かが、その正しさを拒絶していた。
議論が平行線になりかけた、その時だった。
「待って! それやったら……こないなんはどう?」
黙って二人のやり取りを聞いていた小町ちゃんが、おもむろに自分のスマホを操作し、一本の動画を俺たちに見せた。
そこに映っていたのは、映画館でおなじみの、あの映像。
「これを、私たちのバージョンでやるんや。『NO MORE ダンジョン泥棒』って!」
小町ちゃんは、目を輝かせながら言った。
その突拍子もないアイデアに、俺と郁美さんは一瞬、呆気に取られる。
だが、その馬鹿馬鹿しいともいえる提案は、俺の心にすっと染み込んだ。パロディなら、直接的な悪意にはならないかもしれない。
「……それなら、いいかもしれん」
「……なるほどな」
俺の呟きに、郁美さんが続く。
「警告を、ミームとして拡散させるか。悪意をユーモアでコーティングし、相手にだけ毒として作用させる……。悪くない、いや、むしろ有効かもしれん」
郁美さんの目が、面白そうな光を宿していた。
俺は、改めて釘を刺す。
「でも、一つだけ条件がある。この侵入者が、キリタニだって誰にもわからないようにしてほしい。顔にはモザイクをかけて、声も変えるんだ。俺は、あいつの人生をめちゃくちゃにしたいわけじゃない。ただ、『もう二度と来るな』って、伝えたいだけなんだ」
「……お人好しにも程があるぞ、お前は」
郁美さんは心底呆れたようにため息をついたが、やがて、その口元に不敵な笑みを浮かべた。
「……まあいい。その甘さが、どう転ぶか。それも観察対象としては面白い。よかろう、その条件、飲んでやる」
こうして、奥谷旅館の、最初で最後の反撃作戦が始まった。
◇
制作は、奇妙な熱気に包まれていた。
監督・編集は小町ちゃん。ナレーションの監修は郁美さん。そして、主役の「ダンジョンを守る男」を、俺が演じることになった。
カメラの被り物を用意することはすぐにはできなかったので、そこは小町ちゃんお得意の編集技術で、CGを使うことにした。
「はい、お兄ちゃん、そこ! もっとこう、ビシッと! 正義の味方って感じのポーズで!」
「こ、こうか……?」
「違う! 腰が引けとる! もっと堂々と!」
庭の真ん中で、小町ちゃんの熱血指導が飛ぶ。
「ダンジョン泥棒」役には、キリタニ本人が不法侵入している映像をそのまま使う。ただし、小町ちゃんが巧みな編集で、顔には濃いモザイクをかけ、声には不気味なボイスチェンジャーをかけた。これで、彼は「特定の個人」ではなく、「不法侵入者」という匿名性を持った記号になった。
そして、俺がその侵入者を撃退するシーンを、様々な角度から撮り直していく。シリアスな目的とは裏腹に、その現場はどこか文化祭前夜のような、微笑ましい空気に満ちていた。
夜が明ける頃、一本の動画が完成した。
チープでありながらも、妙な迫力と、作り手たちの異様なセンスが光る一作。
俺たちはそれを、旅館の公式チャンネルにアップロードした。タイトルは、【奥谷旅館より重要なお知らせ】不法侵入への対応、及び今後の警備体制について。
◇
動画は、投稿された直後から、これまでの二作とは全く違う形で、爆発的に拡散された。
コメント欄は、賞賛と爆笑の渦が巻き起こっていた。
『クソワロタwwwww』
『まさかの公式が遊んでくるとはwww』
『パロディで「警告」にするセンスよ……』
『この旅館、ただの脳筋じゃなくて、とんでもない切れ者がいるぞ……』
『あれ? この侵入者誰かに似てね?』
『なんかリアリティのある映像だなぁ……』
そして、都内某所。ゴシップ配信者のキリタニは、自室のモニターの前で、血の気を失い、ガタガタと震えていた。
顔も声も隠されている。だが、映っているのは紛れもなく自分自身だ。彼は理解した。奥谷旅館は、自分を社会的に抹殺できる証拠を持ちながら、あえてそうしなかったのだと。その「慈悲」が、彼にとっては何よりも恐ろしい警告として、魂に突き刺さっていた。
◇
動画の効果は、絶大だった。
翌日から、旅館への不審な電話や、遠巻きに様子をうかがう人影は、嘘のようになくなったのだ。
久しぶりに訪れた、本当の平穏。
俺たち三人は、縁側で、ようやく落ち着いてお茶をすすっていた。
「……これで、少しは静かになるといいんだがな」
俺の呟きに、二人は黙って頷いた。
夕陽が、俺たちの影を、穏やかに長く、伸ばしていた。
◇
奥谷旅館に、久しぶりに本当の平穏が訪れていた。
俊と小町のアイデアから生まれた、ユーモアと警告を両立させた動画『NO MORE ダンジョン泥棒』。その効果は絶大だった。動画は「公式が病気シリーズ」として世界中に拡散され、旅館のイメージは「恐ろしいが、話の分かる面白い人たちがいる場所」として、ある意味で、より一層ミステリアスなものになった。
そして何より、あれ以来、不審な来訪者や、悪意ある視線は、ぴたりと途絶えていた。
「よかった。これで、あの人も反省して、もう二度と無茶はしないだろう」
縁側でお茶を飲みながら、俊は、心の底から安堵してそう呟いた。彼の「相手の人生をめちゃくちゃにしたくない」という優しさが、最良の形で実を結んだのだ。小町も「うん!」と、嬉しそうに頷いている。
しかし、その様子を、少し離れた場所で、郁美は、氷のように冷たい目で見つめていた。
(反省? ハイエナが、一度見つけた肉の味を忘れるとでも? ……甘いな、俊。その甘さが、いつかお前と、この場所を滅ぼす。お前の手を汚したくない気持ちはよくわかる……。ならば、私が……。私の手は、すでにたくさんの血で汚れてしまっているから……)
その夜。
俊たちが寝静まった後、郁美は、自室でノートパソコンを開いていた。画面には、キリタニのカメラから抜き出した、全てのデータが表示されている。彼の本名、住所、経歴、そして、これまでのゴシップ活動で得た、黒い金の流れまで。
(俊のやり方では、不十分だ。警告は、恐怖によって裏打ちされて、初めて意味をなす。……見せしめは、必要悪だ)
彼女は、俊との約束を、自らの判断で破棄することを決意した。
この聖域の、そして、あの甘すぎる主の平穏を守るために。
郁美は、その完璧な証拠ファイルを、ブリザードと提携する、国内最強の法律事務所に、再び送信する。
そして、一本の電話をかけた。その声には、一切の感情がこもっていなかった。
「――生天目だ。先日、保留とした案件についてだ。……実行しろ。徹底的に、だ」
◇
【速報】ゴシップ系ダンチューバー『キリタニ』、終わる【天罰?】
701:名無しの探索者
おい、お前ら、例のゴシップダンチューバーのキリタニ、見たか?
チャンネルが、跡形もなく消えてるんだが。
702:名無しの探索者
例の奥谷旅館襲った犯人キリタニらしい。
『NO MORE』動画のアレモザイクかかってるけど明らかキリタニだったしな。
703:名無しの探索者
あいつ、所属してた大手配信者ネットワーク、クビになったらしいぞ。
704:名無しの探索者
それだけじゃない。
ブリザード御用達の、あの国内最強の法律事務所から、億単位の損害賠償請求訴訟を起こされてる。
不法侵入、盗撮、威力業務妨害、名誉棄損……考えうる全部のせだ。
もう、社会的に完全に終わった。
705:名無しの探索者
えぐすぎる……。
なんで今更? あの『NO MORE』動画で、手打ちになったんじゃなかったのか?
706:名無しの探索者
奥谷旅館、えげつねえな……。
ユーモアで警告するフリして、裏で社会的に抹殺するとか、やり方が一番ヤクザじゃねえか。
707:名無しの探索者
いや、待てよ。なんかおかしくないか?
あのオーナーの性格からして、こんな陰湿なやり方、するとは思えないんだが。
708:名無しの探索者
>>707
それな。あの人、絶対、本気でキリタニのこと許してたタイプだろ。
709:名無しの探索者
今回のやり方、手際が良すぎるんだよ。
最初の盗撮犯Jを潰した時と、手口が同じじゃないか?
オーナーは、相手を許した。だが、その周りにいる「誰か」が、それを許さなかった……。
710:名無しの探索者
……まさか、あの看板娘のJKちゃんか?
711:名無しの探索者
怖すぎだろ……。
あの旅館、魔王は意外と話が通じる聖人君子だけど、その横にいる軍師が、マジでやべえ奴なんじゃ……。
712:名無しの探索者
結論:聖域に手を出すな。
物理的に消されるか、社会的に消されるか、選べるだけだ。
◇
そんなネット上の大騒ぎなど、一切知らない俊は、小町ちゃんと一緒に、庭の手入れをしながら、穏やかな午後を過ごしていた。
「いやー、平和が一番だなー」
そう言って、彼は、心の底から、のんきに笑っている。
その様子を、縁側から、郁美が、静かに見つめていた。
彼女は、淹れたての極上の宇治茶を、一口すする。そして、全てをやり遂げた、満足げな、そして、どこか冷たい笑みを、誰にも気づかれることなく、浮かべていた。
聖域の平穏は、今日も、彼女の冷徹な仕事によって、守られたのだった。
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