第1話(4)~死神見習いと人の世界~
「それではお二人ともいってらっしゃい!」
そう言って二人を見送ったのは数分前。
昨日の夜。
私の機転の利いたとっさの思いつきにより、リタさんとライルさんが二人で過ごす時間を作ることに成功しました。
食事から帰ったライルさんを説得するのには苦労しましたが、結果オーライです。
リタさんとはまだ出会って1日しかたっていませんが、それでも私を助けてくれた恩人です。なにかしてあげたいと思うのはきっと自然なことでしょう。
「よし、やりますか!」
エプロン姿の私は気合いを入れます。
まずは朝食後の後片付けからです。
クロエにも羽衣で作ったエプロンを着けてあげます。
ジト目で抗議の視線を送ってきますが、これも使い魔の務めですよ?
私はシンクの前に立ち、お皿洗いの手順を思い出します。
お皿を水に濡らして、スポンジに洗剤をつけて汚れを落とし、並べて乾かすだけ。
ちゃんと覚えていました。
養成学校では人間界(ミレア)に溶け込めるように、人の生活文化を学習済みなのです。
「いきますよ!」
私は勢いよく蛇口をひねり水を出します。
しかし、放水された水は積み上がったお皿に当たり、跳ね返るではありませんか。
水しぶきが私を襲います。
お皿洗いがこんなにも過酷とは思いもしませんでした。
しかしそんな弱音を吐いている暇はありません。
私は今日一日この宿屋をきりもりするのですから。
ですが、勢いよく跳ねる水はその手を休ませることはありません。
時折、水が目の中に入り開けることすらままならない状況。
「うう……負けません!」
立ち向かう私の背中を見て、クロエが動きます。
その肉球で、蛇口を回し水流を弱めたではありませんか。
ほどよく流れる水はお皿に優しく当たり、そのまま下に流れていきます。
これならやりやすいです。
クロエは何かを訴えるような視線を送ります。
そんなことがありながら、なんとかお皿洗いを終えます。
洗剤がついたお皿はとても滑りやすく、何度も取り落としてしまいましたが、それはクロエがうまくキャッチしてなんとか割らずに済みました。
まさに連携プレー。
双方の活躍が輝く見事な結果となりましたね。はい。
……なんですか? その目は?
*
さて、お次の仕事はベッドメイキングです。
宿泊されているお客さまのシーツを取り替えます。
ここで興味深いのは、同じお部屋でも、宿泊するお客さんによって部屋の雰囲気が変わるというものです。
無造作に放り投げられた掛け布団もあれば、丁寧にベッドメイキングされる方もいます。
お気に入りの小物を置いて部屋をアレンジする人もいれば、たった数日しか泊まっていないのに何十年も暮らしているような様になっているお部屋も。
とても興味深いです。
まるでその人の心の中が、お部屋にも現れているように感じました。
ですが……。
「お仕事をするとなると大変ですね……」
綺麗なら楽。汚ければ大変。
シンプルではありますが、これが自然の摂理なのでしょう。
私とクロエではかなり時間がかかってしまいます。
私は羽衣も操作しながら、シーツを交換していきます。
我ながら見事な羽衣操作。
ですが、なんだか鼻のほうがむずむずします。
きっとシーツ交換でほこりが舞ってしまったのでしょう。そのせいで──。
「へぶしっ!」
くしゃみが出てしまいました。ついでに鼻水も。汚い。
そういえば、繰り返しになりますがフレア先生はこう言っていました。
『イザベル、あなたは気を抜くとすぐに羽衣操作が乱れるから最後まで気を抜いてはダメですよ』と。
瞬間、羽衣が私を巻き付けます。
さらにシーツも巻き込みながら、私を縛り上げるではありませんか。
体の自由を失い、私はその場に倒れ込みます。
その姿はまるでいもむし。
いえ、ミイラと言ったほうが正確でしょう。
「ふんがぁ!ふがががんがぁんんんんんんん!」
口まで覆われてしまいまともに声も出せません。
それどころか呼吸さえ。このままでは本当にミイラとなってしまいます。
クロエはジト目をむけながらも、その肉球で口元に絡まった羽衣とシーツを剥がしていきます。
「ぷはぁ!」
ようやく口元が解放されました。
これでミイラになることは回避できました。
それからゆっくりと羽衣を操作し、ほどくことに成功しました。
なにはともあれ、シーツ交換完了です。
……なんですか? その目は?
*
宿屋のお仕事は多岐にわたります。
それをリタさんは毎日一人でこなしていたのだと思うと驚きです。
そんな私は今何をしているのかというと、昼食の用意です。
宿泊されているお客さまから「お昼ご飯をいただきたい」と要望があったので、絶賛料理中です。
注文を受けたメニューはシチュー。
この宿屋の名物です。
人間界(ミレア)の食材で料理をするのははじめてですが、レシピはリタさんからいただいているので、問題なく作れるでしょう。
それに……何を隠しましょう。
この私──イザベルは養成学校時代はよくご飯を作ってふるまっていた経験もあるほど得意分野なのです。
まあなんと優秀な死神見習いなのでしょう。
私の作った料理が美味しすぎて、街で噂になってしまったらどうしましょう。
そして超有名レストランからスカウトされたりして……。
まったく、才能というのは困ったものですね。
超一流料理人として活躍されることを期待されても、私は死神見習いです。
残念ながら料理人になることはできません。
多くの人の期待を裏切るのは心苦しいですが、これも夢のため。
今日のように、たまにふるまうぐらいはしてあげてもいいですけどね。
「ふふふふふふふふ……」
煮えたぎる鍋をぐつぐつと煮込みます。その形相はまるで魔女。
そこへ「僕は辛いのがすきだからピリ辛にすることはできるかい?」と追加オーダーをいただきます。
「かしこまりましたー!」
返事をきいて男性は食堂のほうへ戻ってゆきました。
さて、このときの私を振り返れば、間違いなく調子に乗っていたことでしょう。
冷静に考えれば無謀と思えることを、なぜか「今ならいける」と勘違いしてしまうことが往々にしてあるものです。
かくいう私もそうでした。
「なんかコレ入れればいい感じになりそう……」
ろくに味見をすることもなく、いい感じになりそうなもの適当にぶちこみます。
そして完成したシチューを前に。
「これは……なんだい……?」
「シチューです」
「でもこんな真っ赤な……」
「シチューです」
「ホワイトシチューを作るって……」
「シチューはシチューです」
辛いものがお好きと言っていたので、とりあえず辛そうな香りのするものをいれてみました。
「めしあがれ」
「い、いただきます……!」
男性はスプーンで、私のシチューを口に運びます。
直後、椅子から飛び上がり、地面の上に寝そべり踊り始めたではありませんか。
まあまあ、そんな美味しかったのですね。
「ふんぐっ……ふんぐっ……んんんっっ!!!」
歓喜の舞を終えたかと思うと、男性はそのまま気を失ってしまいました。
美味しい料理は人をこんなにもしてしまうのですね。
私は羽衣を使い、男性を部屋まで運び寝かせてあげました。
さて、料理というものは作れば自分でも食べてみたくなるもの。
私は鍋に残っているシチューを一口いただきます。
「……ッ⁉」
……このとき、レシピ通りに作ること。そして味見をすることの重要性を私は学びました。
何です……か? その……目……は…………。
*
日も沈み始め、宿屋のお仕事も一通り終わった頃でした。
「ただいま、今帰ったよ」
「おかえりなさい」
リタさんとライルさんが帰ってきました。
私はほうきを握りしめながら答えます。
側ではクロエがぐったりとうなだれています。
よく働いた証拠です。使い魔は飼い主に似るっていいますからね。
「なにも問題なかったかい?」
「もちろんですよ」
「そうかい、それはよかったよ」
「ご飯にしますか?」
今キッチンには、レシピ通りに作り直したシチューがあります。
今度は美味しくできたので、ぜひ食べてもらいたいと思っていました。
ですがリタさんは「あとでもらうよ」と言いながら、奥の自室へと向かいました。
このとき──リタさんの影は今朝よりも濃く、大きくなっていました。
おそらく──。
「ライルさんはどうしますか?」
「ああ。俺もあとでいただくよ」
そう言って二階へと向かいます。
何か考えごとをしているのか、真剣な表情を浮かべていました。
お二人はどんな時間を過ごしたのでしょうか。
その時間が、この世を去るものにとって幸せな時間となったのでしょうか。
残された者にとって、これからの支えとなる時間だったのでしょうか。
その答えはきっと、当人たちにしかわからないのでしょう。
ですが、わかっていることは一つだけあります。
それは。
──リタさんは、今夜、死ぬということです。
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