第4話 無関心でいられる…はずだった

(……昨日のあれはなんだったんだ)


脳裏にこびりつく声と必要以上の距離感は、時間が経っても、俺の中にしつこく居座っていた。

資料整理の為にいつもより早めに生徒会室に来たはずなのにまったく集中できていない。

『湊真先輩、気に入ったし』

如月の息遣いが耳の奥で熱を帯びている気がしてそっと耳を抑える。


「馬鹿馬鹿しい……」


「何が馬鹿馬鹿しいの?」


誰にも聞かれぬまま静かに溶けるはずだった呟きへの返事に俺の心臓が激しく跳ねた。驚きに息を飲みながらゆっくりとドアへと視線を向けると、そこには今まさに呟きと共に自分の外へと追いやったはずの如月陸が当然のように立っていた。その表情はにやりと口角を上げたように見えた。


(…面白がられてる気がするな)


「約束通り、来ちゃいました」


自然な足取りで生徒会室に入ってきた如月が目の前で足を止める。


「本当に来たのか……」


「よろしくねって言ったでしょ?」


何が楽しいのか、ニコニコしながら俺の顔を至近距離で覗き混んでくる。なれないその距離感に俺は息を詰めた。


(いちいち近い!)


「で?湊真先輩は、何が馬鹿馬鹿しいのかな?」


如月の視線が内心を探るように細められる。自分の呟きをまたもや如月に聞かれた気まずさから俺はそっと視線を外した。


「お前には関係ない」


「俺には知られたくないことかな〜?」


(こいつ、わざとか!)


明らかに俺で遊んでいる如月の言葉に苛立ち、思わず声を張った。


「しつこいぞ、如月!」


いつもならもっと冷静に対処出来るはずなのに、如月相手だとどうしてか上手くいかない。何とかこの状況を抜けだせないかと考えていると、ガチャリ―とドアノブが回る音が聞こえてきた。


「おつかれさまでーす」


呑気な挨拶をしながらドアを開けたのは駆だった。

しかしドアを開けたまま、それ以上入ってこようとはしなかった。


「わぷっ!う〜っ、駆!急に止まらないでよ!」


立ち尽くしている駆の背中に、後ろを歩いていた翔太が顔をぶつけたらしく、鼻を抑えながら抗議している。

そんな翔太を気にすることなく、駆が気まずそうに口を開く。


「…お取り込み中だった?」


「…違う……」


俺はなんとかそれだけ伝えるとふっと安堵の息を吐いた。


「そう?じゃあ入るけど…」


いまだに入るのを渋りながら駆はちらっと翔太を見る。


「翔太…落ち着け」


駆の腕を力強く握りしめる翔太の頭を駆は軽くこづいていた。


(あぁ、推し⋯だったな)


翔太のその姿に俺は張り詰めていた緊張をゆっくりと解いていった。




「……前に話した手伝いの件だけど、彼――」


あの後すぐに残りのメンバーも合流し、俺は諦めて如月陸の紹介を始めた。


「如月陸くんにお願いすることにしたから」


「よろしくお願いしまぁす」


「いつのまに」と言う、卓也の声が聞こえたが説明する気にはなれなかった。紹介された如月がにこやかな笑顔で軽く手を挙げる姿は先程までの挑発的な態度が嘘のようにこの場の空気に溶け込んでいるかのように見えた。


「これが、翔太くんの言ってた“顔面美学”なんだねー。なるほど」


花蓮が感嘆するように顔をじっくりと見つめる。その口調には、どこか納得の色が滲んでいた。


「仕事できなきゃ意味ないけどね」


瑠璃の鋭い言葉と視線は、初めて会うの如月への興味と警戒が入り混じっていた。


「いや、よろしくしてやれよ……」


駆は肩をすくめ、小さくため息をついた。呆れたようなその仕草も、どこか諦めを含んでいる。


「顔が好き…顔好き…あーだめだ!耐えろ!俺!」


(自分で誘ったくせに…)


急な推しの加入に翔太は壁に頭をこすりつけ呼吸を整えようと躍起になっている。その顔は熱に浮かされたように紅潮していた。


「……大丈夫なの?」


ふいに卓也の声が少しだけ低く響いた。


「……なにが…?」


俺はわずかに首を傾げながら返事を返していたが、その声の奥には動揺が微かに揺らいでいるようだった。


「いや。如月のこと睨んでない?」


「……睨んでない」


どうやら無意識に睨んでいたらしい。心配そうに見つめながら、卓也はそれ以上何も聞いてはこなかった。


「じゃあ、改めて、自己紹介もちゃんとしておきますね」


全員の注目が集まる中、如月はひょいと立ち上がると口元に柔らかい笑みを乗せた。


(普通だ)


放課後の待ち伏せや、翔太達が来るまでのやり取りで見せた、挑発するような笑みはまったくなかった。


詰められた距離。近づく顔。耳元で囁く声。触れてきた指先の感触。それらを思い出して、心臓が跳ねた。

その時ふと、如月と視線が絡まる。それだけで心臓がまた一つ跳ねる。


(なんだ、これ?)


初めての感覚に息が詰まる。

胸の奥がまるで渦をまくような感覚を覚えた矢先、またしても卓也が心配そうにこちらを見ていることに気づいた。


「大丈夫だ」


卓也は何も言わずわ小さく肩をすくめただけだった。

そのまま如月に身体を向ける。


「じゃ、今日は挨拶だけってことで。正式に手伝ってもらうのは明日からな」


卓也の言葉に如月は少し考える素振りを見せたあとそっと訊ねた。


「――じゃあ、ここで見ててもいいですか?」


「え?」


俺は思わず声が出た。


「雰囲気とか作業の流れとか、見ておいた方がいいかなって」


あくまで柔らかい声、控えめな笑顔。その口調は丁寧で、拒否する理由を探すのが難しい。

俺は少し戸惑いを感じてはいたが、断る理由を見つけられないまま、花蓮達が次々に同意の意志を示していた。


「いいんじゃない?」


「まあ、別にいて困るわけでもないし」


「翔太の耐性強化にもなるしな」


完全に断る理由なくした俺は仕方なく返事を返した。


「……好きにすればいい」


そう言うと、ほんの僅かに如月の口角が上がった気がした。その笑顔がどこか“勝ち”の表情に見えたのは――たぶん、気のせいじゃない。


「ありがとうございます」


丁寧お礼を言うと、何のためらいもなく俺の隣の椅子を引いた。まるで最初からそうするつもりだったかのように。


「…なぜ隣に座る」


「ここからのが全体を見渡せるからねー」


俺にだけ聞こえるにそっと囁く。

わざとらしく言うその声は、やはり楽しげだった。

言葉もなく、ただ隣に座っているだけの存在が俺の呼吸を確かに乱していた。


(……なんか、疲れた…)


その後も、言葉にもならない小さなざわめきは、胸の奥でずっと続いていた。

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