エモーション・ゼロ

大苫瑞生

潜入

冷たい風が頬を撫でた。


その日、空はやけに澄んでいた。まるで何もかもを見透かしているかのように。


堂園澪は車の窓を開けると、目の前に広がる施設を見上げた。


《人材育成機構VALHALLA》


エリート候補が集い、さまざまな舞台で活躍する“人材”を育成する名目の機関。


だが、実態は“犯罪者”を育てる温床だ。


「姉ちゃん……」


隣に座る凱が、不安げに声を漏らした。


「凱ちゃんはほんと心配性なんだから」


澪は凱の頭を雑に撫で、車から降りた。


「柊しずく様ですね?」


ゲートの前で警備員が名前の確認をした。


この偽名が通用するのも、時間の問題だろう。


それでも十分だ。


「ええ。よろしくお願いします。」


澪──いや、しずくはゲートをくぐった。


想像していたより、施設は明るかった。


芝生は手入れされ、広場では数人の候補生が笑いながらディスカッションをしている。


誰も、犯罪を企てているような顔などしていない。


そこに、白いシャツにグレーのベストを着た長身瘦躯の男が歩み寄ってきた。


「初めまして。VALHALLAの職員、橘です。神城が柊さんとお話ししたいと。」


澪は橘に案内され、応接間へ向かった。


応接間に入ると、正面の壁一面がスクリーンになっていた。


《神城》の名が白く浮かび、その声が部屋全体に響き渡る。


顔は映らない。ただ、どこから見られているか分からない不気味さだけが残る。


「柊さん、こんにちは。VALHALLA代表の神城です。」


声はボイスチェンジャーを通しているらしく、性別すら判別できなかった。


「ここにはさまざまな候補生がいましてね。強くなることを望み、自らここに来たもの。能力を買われてここにいるもの。ここにしか居場所がないもの。」


しずくは静かに頷く。


「ここでは厳しい訓練を行っています。その訓練に耐えられず暴れたものも少なくありません。」


暴れたものがその後どうなったかは聞かなかった。


「そこで、柊さんにはカウンセラーとして候補生の精神面をサポートしていただきたいと思っています。」


しずくは疑問に思っていたことを尋ねてみた。


「なぜ私を選んでくださったのでしょうか?」


「あなたは御影先生が信用している方のようですから。」


御影さんがうまく手をまわしてくれたのだろう。


「柊さんこそ、ここで働くことを選んでいただきありがとうございます。」


働くに決まっている。


神城に会いに来たのだから。


「カウンセラーとして力になってくれると期待していますよ。」




神城、おまえをつぶしに来たのだから。




「……いいえ」


しずくはスクリーンをまっすぐ見つめた。


表情は穏やかに、声だけが冷たかった。


「あなたのこと、信じていますよ」


《どちらが“仮面”を先に外すか》


心の中で、しずくはつぶやいた。




──勝負はもう始まっている。

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