2. 日常の崩れた先で
体育館の天井は高く、音が反響する。
三日目の夜、ようやく落ち着いた避難所の中で、一ノ瀬悠は薄い毛布に包まりながら目を閉じていた。
だが、眠れなかった。
眠れるわけがなかった。
家族とは連絡が取れないまま。電波も通じず、テレビもつかない。
外の状況を伝えるのは、避難所に届く“うわさ話”だけだった。
「東京でも同じような揺れがあったらしい」
「海外もやばいって、誰かが言ってた」
「国会も停電してるってさ……」
真偽は分からない。けれど、人々の目は本気だった。
誰もが“世界がおかしくなっている”という空気を感じ取っていた。
そして、時間だけが過ぎていった。
地震から一週間後。
大学の備蓄倉庫は尽きはじめ、コンビニやスーパーの棚は空。
それでも、街の一部では電波が戻り始め、ネット経由の情報が断片的に届くようになった。
それと同時に、悠は決意した。
「……帰ろう。一度、家に戻ってみる」
大学から自宅までは徒歩で40分ほど。
途中の道はひび割れ、倒木や瓦礫も散乱していたが、遠くに火災の跡は見えなかった。
住宅街の端にある、古い三階建てのマンション。
外壁には細かな亀裂が走り、郵便受けには泥が詰まっていた。
だが、ドアは閉ざされており、窓の奥からはわずかに灯りが見えた。
「……良かった」
玄関のチャイムは鳴らなかったが、扉の向こうから応答があった。
「悠か……!? 無事だったのか……!」
父の声だった。続けて母も出てきて、涙ぐみながら息子を抱きしめた。
二人とも軽傷は負っていたが、命に別状はなかった。
停電していたものの、数日前に電力が部分復旧し、水道も通り始めていた。
家の中は荒れていた。
倒れた棚、割れた食器、ひしゃげた家電。
けれど、それでも──帰ってこられた。
その夜、悠は久しぶりに布団で眠った。
眠れたかどうかは覚えていない。
けれど、瓦礫の隙間から差し込む光を見ながら、ふと思った。
(……こんなに静かな夜は、地震以来、初めてだ)
翌朝、悠は再び大学へ向かった。
家にいることもできたが、避難所にはまだ手助けを必要とする人々がいた。
「何かしなければ」と感じる自分を、じっとしていられなかった。
避難所では配給や整備の手伝いをする一方で、少しずつ復旧しはじめたネットから情報を集めることが日課になった。
二週間目。
SNS上で、妙な話が流れ始める。
「地割れの奥に階段があった」
「地下に進むと空気が違った」
「重力が変で、風の流れすら逆転してた」
「中に入ったら、“スキル”を得たってやつもいるらしい」
最初は誰も本気にしていなかった。
が、日に日に投稿は増え、現地らしき動画や写真も拡散されはじめる。
そこに映っていたのは、ねじれた柱、宙に浮かぶ岩、自然ではありえない構造。
まるで、ゲームかSF映画のセットのような世界。
それを見た悠は、思わず息を飲んだ。
(……本当に、“別の空間”があるのか?)
そして、誰ともなく呼び名が定着していく。
──ダンジョン。
三週間目。
大学でも噂が広がっていた。
「北棟の地下に、“本物のダンジョン”があるらしい」
「中に入って戻ってきたやつが、“スキル”を手に入れたんだと」
「戦ったわけじゃない。入っただけで、だ」
噂を話す学生たちの顔は半信半疑だったが、どこか本気のようでもあった。
悠は、それを否定することも、すぐに信じることもなかった。
けれど、自分の中に残っていた漠然とした空白──
「自分はこの世界で、何をすればいいのか」という問いに、ゆっくりと反応し始めていた。
(もし本当に、スキルなんてものがあるなら……)
それが何なのかは分からない。
けれど、自分が動くきっかけになるのなら、確かめる価値はある。
四週間目。
大学構内の裏手にある、旧研究棟の地下。
立入禁止の札がかかった鉄扉の先に、悠は“それ”を見た。
空気が揺れている。
熱でも冷気でもない、ただ“そこにある”という違和感。
それをくぐった先に、何があるのか──
悠は、その前に立ち尽くしたまま、何度も深呼吸をした。
指先がわずかに震える。けれど、恐怖だけではない。
どこか、引き寄せられるような感覚が、胸の奥で波打っていた。
(……これが、ダンジョン)
彼はまだ、足を踏み入れてはいなかった。
ただ、それが“自分の選択次第で世界を変えるもの”であることだけは、直感していた。
そして──
その選択の時が、もうすぐ訪れることも。
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