生まれてしまった者達(1)

 香苗 六月八日 午後十一時


 香苗は、ベンチに座ったまま動けなくなっていた。


 啓太と別れた後も、足がもつれて立ち上がれない。


 街灯が灯り始め、人々が家路を急ぐ中、彼女だけが公園に取り残されていた。

 

 彼女の顔色は青白く、腹は空腹で鳴り続けている。鞄の中を探しても、何も見つからない。


 酒とつまみは、啓太のケーキに換わっていた。


 六月八日の不幸――あの日の記憶が、頭の奥で何度も反芻されていた。


 現実感が薄れ、世界から切り離されたような感覚が香苗を包み込む。


 否、香苗の居場所など、初めからこの世に無かったのかもしれない。


 ──とうとう私の番か。


 どこか他人事のように思う。


 ──マッチ売りの少女なら、売り物を燃やしてしまう場面だろう。


 と、ぼんやり考えていた。


 そのとき、暗がりの中から声が響いた。

 

「──香苗お姉ちゃん!」


 啓太が、スティックようかんを握りしめて立っていた。


 彼はためらいなく、その小さな手を香苗に差し出す。


「死なないで」


 唐突な言葉に、香苗は目を見開く。


「……何言ってるの」


 そう返しながらも、心の奥底で何かがほどけていくのを感じていた。


 ◆◆◆◆

 闇が深くなる。


 日曜の夜に、二人だけがどこにも行けない。


「帰らないの?」


 啓太は頷く。


「香苗お姉ちゃんといる」


「なんでよ? お祖母ちゃんが待ってるんじゃない? きっと心配してる」


 啓太は、それきり黙り込んだ。


 香苗の鼓動は、さらに速くなる。


 ──何か言わなきゃ、何か。


 しかし、舌先は固まっている。


 啓太が、口を開いた。


「死んだらね、ゲームじゃないから生き返らないって」


 はっとして少年の顔を覗く。


 くたびれた壮年の男がいた。


「お祖母ちゃんが」


「そう……だね。死んじゃったら、もう会えないね」


「天国でも?」


 ──無いよ、そんなもの。


「そこでならね」


「ほんとう? お母さんにも?」


 目を輝かせてしまった啓太に、思わず口走る。


「だめだよ!」


 啓太の肩が、びくりと震える。


「啓太くんは……だめ」


「どうして?」


「だめなものは……だめなんだよ」


 遠くで、車の音がする。


 家々の灯りが見える。


 誕生日の夜。


 この世に、二人の居場所がない。


「うくっ、ひぐっ……うっ」


 啓太の指先が、香苗の頬を拭う。


 ──ああ……誰かが隣にいる。


 ──助けられたのは、救われたのは私の方だ。


 その時、スマートウォッチが、月曜の予定を通知した。


 呪いの日は、ようやく終わった。 

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