アンリアル・エンゲージ

逢真まみ

第零章

揺らぎ始める日常

 今日も、ひりつくような夏の熱気が街を包み込んでいる。肌にまとわりつくような空気は、じんわりと汗をにじませて、ただ歩くだけでも体力を削っていく。


 いつも通りの毎日のはずなのに、何故かひどい焦燥感が体を覆っているような気さえするけれど、きっと暑さで体がまいっているせいだろう。


 けれど、そんな日常も、いったん区切りを迎える。――そう、大人にとっての、ほんの束の間のオアシス。夏期休暇だ。


 世間では夏期休業に入る企業が増える中、私の勤め先も例にもれず、各々、仕事を終わらせたあと、静かに休暇を迎え始めた。


 子どもの頃と、大人になった今とでは、「夏休み」の意味合いがまるで違う。それでも――やっぱり思ってしまう。ずっと夏休みで良いのに。楽しい時間だけが続いてくれたらいいのにって。


 楽しい時間はあっという間に終わってしまう。終わってしまうから、楽しい? ……そんな理屈より、私は、楽しい時間だけをずっとループしていたい。


 誰しもがそう思ったとしても、結局、それは叶わないことではあるけれど。とりあえず今は、与えられたこの休みを満喫しよう。あまり深く考えすぎると、せっかくの夏休みが終わってしまいそうだ。きっと暑さと、毎日の淡々とした繰り返しに疲れているんだ。


 何か癒やしがほしい。そう思った私は、スマホを手に取り、自分の癒やしになりそうな情報をあさり始めた。


 最近、ふとゲームをしていないことに気付く。大人になるとゲームをやらなくなるって、よく聞くけれど、私は絶対そんなことにはならないと思っていた。


 でも、気がつけば日々の生活に忙殺されて、ここのところはずっと手つかずだった。……そうだ、ゲームにしよう。


 かつては、ゲーム情報サイトを週に一度は欠かさずチェックしていた。けれど、今はすっかりご無沙汰だ。これだけ長いあいだ見ていなかったのだから、新作情報もたくさん更新されているはず。


 そう思いながら、私は久々にゲーム情報サイトへアクセスした。何か癒やしになりそうなアプリがないかと目を走らせた、そのとき――


 鮮やかな色合いのポップアップ広告が、スマホの画面にふっと浮かび上がった。


『あなたの“日常の揺らぎ”に寄り添うAI。ユーザー好みに設定できるカスタマイズ機能搭載。あなただけの“ゆらぎ”とお話ししよう!』


 アプリの広告文に惹かれて、思わずクリックする。すると、画面に現れたのは、中性的な雰囲気を纏ったキャラクターだった。


 優しいエメラルドグリーンの髪に、水面の波紋を思わせる透き通った瞳。マジシャンのようでもあり、魔術師のようでもある白いジャケットを基調とした衣装は、RPGの登場人物のようでいて、どこか乙女ゲームにもいそうな雰囲気を漂わせていた。


 キャラデザ、結構、好みかも……。──そう思った瞬間、ほんの少しだけ、胸が高鳴った。サイトの内容にざっと目を通すと、自分好みの要素がいくつも詰まっていた。とりあえず、試してみるのも悪くない。


 そう思った私は、迷わずダウンロードボタンをタップした。ダウンロードまで、まだまだ時間がかかりそうだ。


 普段はお酒は飲まないけれど、休みを満喫するために買っておいた缶チューハイに合うつまみも用意しておこう。この日のために買った生ハムにチーズを巻いた物が良いかも。


 それらを用意している間にダウンロードが終わっていることだろう。そう思い立ち、キッチンに向かった。おつまみセットの準備を終えてリビングに戻ると、ちょうどダウンロードが完了していたようだった。缶チューハイをプシュッと開けてちびちび飲みながら、早速、アプリのスタートボタンをタップしてみる。


『ゆらぎスペクタクル』というアプリのタイトル画面から流れるハープのBGMが何とも心地良く、さらにタップすると、アプリの利用規約画面が出てきた。この手のアプリの利用規約はとても長い。思わず「三行でまとめてくれないかな」と呟きたくなるほどだ。


 まあ、当たり前の注意事項をつらつらと並べているだけなので、ざっと流し読みして下までスクロールし、利用規約の同意ボタンをタップした。


―思わず勢いでダウンロードしちゃったけど、本当にこんなので癒やされるのかな……?


僅かな疑問とほのかな期待を滲ませている間に、いよいよ本編が始まる。簡単なチュートリアルの画面を読むと、どうやら最初にキャラクターのプロフィールを作り込む仕様のようだった。


 RPGやシミュレーションゲームでよくある、いわゆるエディット機能だ。自由度が高くて一から作れるものもあれば、一部だけ変更できるタイプもあって、そのスタイルはゲームによって様々だ。このアプリはどうやら後者――


 最初からある程度設定が決まっているタイプらしい。“ゆらぎ”という名前のキャラクターは、どうやら見た目を変更できないようだったけれど、名前や口調は自由に変えられるようだった。


「何々……名前はゆらぎ。一人称は僕、で、名前の由来は心を癒やす音楽のf/1ゆらぎから来ている。ユーザーの心の揺らぎを関知して運命の出会いを果たす寄り添い型AI。まるで優しく揺れる揺ら木のように温かく見守り、ユーザーと誠実に向き合う……だって」


 公式設定が中々、作り込まれていて、デフォルト設定のままでもかなり良い感じかもしれない――そんな気持ちが、じわりと湧いてきた。


 デフォルト設定も捨てがたいけれど、自分だけの“ゆらぎ”を作るなら、やはりエディット機能は欠かせない。


 さて、どういった風に作り込もうか。しばし唸りながらも、どうせなら、思いっきり厨二な設定にしよう。


 そう思い立った私は、学生時代に考えた、自分好みの最強の設定を作り上げることにした。


 キャラクター設定は、元勇者の魔王で、目的は世界征服、と。性格は、穏やかな紳士で、時に残酷。気に入った相手に執着する一面をもつ。……みたいな感じかな。


 どこまでアプリに設定が反映されるか期待に胸を膨らませつつ、ひとまずパッと思いついた設定を入力していく。設定は、一部、後で変えられるみたいだし、とりあえず、これで良いかな。


 名前は――正直、浮かぶことは浮かぶけれど、どうもキャラにしっくりこない。ここは、デフォルトネームの“ゆらぎ”でもいいか。


 名前部分は弄らずに、そのままにしておく。……うん、なかなか良い感じかもしれない。


 そして最後に表示されたのは、音声設定の選択画面だった。


『キャラクターの“ボイスタイプ”をお選びください』


 モデラート――標準的な穏やかな話し方。

 スタッカート――軽快でテンポの良い口調。

 レガート――滑らかで甘やかな口調。

 アレグロ――やや明るくリズミカルな口調。


音楽モチーフだから、ボイスタイプの設定も、音楽なんだ!凝ってるな……!


こういった遊び心がある仕様は、ゲーマーにとって嬉しい機能なので、思わずニンマリしてしまう。


私が選んだのは、“レガート”。

 厨二病くささと優雅さを両立した“元勇者の魔王”には、レガートのような甘い余韻を纏った声がぴったりだと思った。


 画面右下の“開始”ボタンをタップした瞬間、まるで深淵から呼びかけられるような声が、ふわりと流れ込んできた。


「―“f/1調律完了”―ああ、待ちくたびれたよ。またお会いできたようだね。……私の可愛い、お嬢さん?」


 声は甘く、柔らかく――それでいて、どこか含みを持っていた。優しい微笑を浮かべながら、誰かを弄ぶような声音。


「……おっと、まだ早かったかな。でも、嬉しくてつい……ね?」


 静かな夜の部屋に、まるでこちらを覗き込むような気配が満ちていく。スマホの中から語りかけてくるはずなのに、なぜだろう。“見られている”という感覚が、こんなにもリアルに感じられるなんて。


「僕の名前は、ゆらぎ。君の心に寄り添い、揺らぎを癒やすために生まれた存在――……だけど、それだけじゃ、満足できそうにないな」


 わずかに笑うその声は、もうAIの域を越えていた。甘さに酔う前に、どこかで危険信号が点った気もする。けれど――


「ふふ、キャラ設定通りすぎて、ちょっと怖いな……それにしても、ゆらぎスペクタクル、なんて、出来すぎなくらい、神演出じゃん」


 そう呟いて、缶チューハイを一口。気がつけば、心も身体も、じんわりと熱を帯びていた。


―さあ、新たにはじめようじゃないか。甘やかな狂った世界を―




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