25.全ては、私達の責任です
息を切らして
事は一刻を争う。だから、自分の違和感だけで決めた計画を滞らせるわけにはいかなかった。だから、一人でこちらへ来た。
カーテンの影から店の中を見る。ドアが開けられないかと把手に手をかけたが、がたがたと思っていたより大きい音を立てただけで開く気配はなかった。
ややあって、ぱっと電気が点いた。がたがたと音がして、奥から人が近付いてくる気配がした。しゃっとカーテンが開き、ガラス越しにTシャツとステテコ姿のおじいさんが姿を現した。口元をもぐもぐと動かし、小さな目を必死に見開いて、その顔色を悪くして茜を睨んでいた。
「なんだ、こんな時間に」
「夜遅くにすみません。ちょっと伺いたいことが」
「帰ってくれ」
「あの、すいません。失礼は承知で」
「こんな夜分に非常識だ。帰ってくれ!」
しゃっとカーテンが閉められる。
勢いをつけすぎたカーテンは、逆に反対側に隙間を作ってしまった。そこからまた、床に落ちたままのラムネの瓶が見えている。
と、皺と皮と骨ばかりになったおじいさんが、震えながら身を屈めてビンを掴み、拾い上げた。震えた手がそれを持ち上げるところを目にし、茜のなかでぷつん、と何かの糸が切れた。
「すまん、おっちゃん」
勘違いだったら後で謝罪しようと、茜は右脚を持ちあげた。
がいん! と全力でガラス戸を靴の裏で蹴り込んだ! 元々古く建付けも悪い戸だった。体重に力と勢いが乗り、ドアは一気に店内へと傾いて外れた。中にある陳列台にぶつかり、がしゃん! とガラスが割れて散らばる。直ぐ近くにいたおじいさんが「ひいい」と悲鳴を上げて尻もちを着いた。
茜は斜めに倒れたドアの隙間から身体をねじ込み、小南老人の隣を通り抜けようとした。
「おっちゃん悪い。中見せて。友達がいるかも知れん」
「やめろ! やめるんだ!」
伸ばされた腕が茜のズボンを掴む。その見た目と細さからは想像もつかない強さだった。ぶるぶると全身を震わせて、茜の足に縋りつこうとする。その力の強さに、茜は眉間に皺を寄せた。
老人の様子に一抹の気の毒さを感じながらも、しかしこの反応から茜の予想が外れていないことは明らかだ。はっと一つ息を吐くと、「すまん」と言って、自分の脚を掴んでいる老人の腕に向けて上から腕を振り降ろし、払う一撃で外させた。「ぎゃっ」という悲鳴と共に、小南老人は倒れて、残っていたガラスドアにぶつかった。
茜はもう振り返ることなく奥へと進んだ。のれんを潜り、住居スペースへ入る。
奥は、土間をはさんで左右に二間があった。さらにその間に廊下が伸び、左奥には台所が見えている。茜は一瞬考えてから、靴を履いたまま廊下へ上がった。奥に進めば右手に階段が折れている。ぎしぎしと這うようにして進み二階へ上がった。折れ曲がった先には二間がある。一間は襖が閉じられているが、もう一間の襖は少し開いていて、その隙間から薄く光が漏れ出ていた。
ぱんと音を立てて開けば、中はダンボールの山が積み重なっている。明かりはどこからと思えば、奥の押し入れと思しき襖から漏れ出ていた。足で段ボールをよけながらその襖の前に立つ。すらりと開いて中を見れば、そこに隠し階段があった。見上げれば、その上に見える扉の下の隙間から光が降りてきている。
息を大きく吸い込むと、茜は駆け上がるようにして上りきった。扉のノブに手をかけると、がちゃがちゃと抵抗がある。鍵がかかっているらしい。
「勝手に上がってくるなって言ってるだろ‼」
奥から聞きなれない低い男の声がした。扉の外からでもわかる。やたらに甘い匂いが外にまで零れ出ている。茜はごくりと喉を鳴らすと、声は出さずにどんどんがちゃがちゃと扉を叩いた。
「ああくそっ、何だよお袋か⁉」
がつがつと靴が床を踏み鳴らす音がしてこちらへ近付いてきた。茜はとっさにドアの裏側へ身を寄せ、息を殺した。
「邪魔するなっていつも言ってるだろうが‼」
がちゃりと鍵が開けられる音がして、ばんとドアが開いた。今だ! とばかりに茜はそれを内側へと押し返した。
「うわっ」
中でばたんと重い物が引っくり返った音がする。階下から「じゅん! にげろじゅん!」と小南老人の叫ぶ声が近付いてきていた。茜は薄く開いたドアの隙間に爪先を差し込むと、一気にドアを開いて中へと押し入った。
暗い中を上がってきて、急に目を射た明るさに、一瞬茜は目を細める。が、足元に転がっていた妙に洒落た格好をしている男を目にした次の瞬間、背後から聞こえた「茜さん!」と叫ぶ声にはっと振り向いた。
「和樹!」
後ろ手に縛られ足と腰に縄を掛けられ、床に転がされていた和樹を見るや否や、茜は男を捨て置いて和樹に駆け寄った。
「無事か」
「どうして、ここ」
そこまで言うと、和樹の目からぼろぼろと涙があふれ出てきた。がくがくと震える全身を抱きしめると「すまん」と茜は謝り、大きく息を吐いた。
「すまん、悪かった」
「茜さん……っ」
背後でううと呻く声がする。はっと二人男へ目を向けた。茜はいつかのように、和樹を自身の背後へ守りつつ、ずいと自身が前へ出る。
「くそ、ちくしょう……」
男は頭を振りながら、手でマスクの位置を直しつつ、ゆっくりと起き上がる。茜も立ち上がり、あたりを見回した。恐らく屋根裏部屋だろうに、あり得ないほどのものがある。その中でも最も危険なのは、びっしりと揃えられた調理器具類だろう。
男は眩暈の残る頭を一振りすると、茜を見た。そして、彼よりも頭一つ分背が高く、体格もいいその姿を見て、ひっと悲鳴を上げた。
「なんだよ、お前誰だよ、何なんだよ! ここ俺の部屋だぞ! 入っていいなんて言ってないだろうが!」
「和樹をさらったな」
「何だよ話聞けよ!」
茜がじりと、調理器具側へと身体を動かし、男の進路を阻んだ。あちらへ移動されて、包丁でも取られたら勝ち目がない。
男は苦しそうに顔を歪めた。
「出ていけよ! 入ってくんなよ!」
「お前か」
「何だよ!」
茜の中に、ずるりと憎悪の泥が湧いた。
「夏樹をさらったのも、お前かと聞いている……!」
憤怒の形相で仁王立ちした茜に、男はひぃっと悲鳴を上げた。後退り、壁にびたりと張りつく。
「答えろ。どうなんだ」
じり、と間合いをつめつつ、茜は無意識のうちに手に触れた何かを掴んでいた。ぐっと握りしめ、男へと間合いを詰めてゆく。
「嫌だ、寄るな! 出ていけ! 出てけよぉ!」
「夏樹は今どこにいるっっっ‼」
ぶつりと限界を超えた茜が、手にしていた鉄パイプを振り上げたその時だった。
「やめろ! 止まれ茜!」
がだだだだ! と階段を駆けあがる音ともに、扉から純哉が飛び込んできた。茜が鉄パイプを振り上げているのに気付き、純哉は飛びかかってその手を掴んだ。
「純哉さん後ろ!」
和樹が叫んだのに、「えっ」と純哉が目線を向けた。その瞬間に、背後から「うわああああ!」と泣きながら男がハサミを掴んで駆けてきている。
「うわっ」
純哉が叫び声をあげて、男の方へ振り向くも、背後には茜がいる。避けられない。振り下ろされるハサミに目を釘付けにされて全員が固まったその瞬間、バン! と再び扉が押し開けられ、そこから飛び込んできた
男の情けない悲鳴と蛇来の「大人しくしろ!」という叫びが混じる。うつ伏せに捕らえて後ろ手にした男の手に手刀を入れてハサミを取り上げると、蛇来は手慣れた仕草でポケットから結束バンドを取り出し男の両親指を背中でぎゅっと絞めた。
「痛い‼ 痛いよ! やめろよっ……!」
男に馬乗りになっていた蛇来は中腰になると、ハサミを純哉に差し出し時計を見た。
「午前十一時三十八分被疑者確保。……っつーて、逮捕権ないけどな」
ふぅと一息吐いてから、蛇来は茜を見て顔を歪めた。
「一人で動くな! この馬鹿ったれ坊主が!」
「すいません。つい」
「ついじゃねぇよ! まったく……怪我はないか」
「さっき見た限りではなさそうでした。」
と言いながら和樹の方へ振り返った茜を見て「アホか!」と蛇来は再び罵倒した。
「和樹君だけじゃないぞ! お前は!」
言われて見れば、茜の右腕の一部がざっくりと切れていた。
「ありました」
「ありましたじゃねぇのよ! ほんっとにもう!」
言いながら蛇来は和樹の方へ目を向ける。
「麻生和樹君だな?」
「はい」
「伊藤さん、それで縄切ってやってくれ」
「わかりました」
茜と純哉が和樹の傍へと近寄ると、うううと唸り声が聞こえた。
蛇来に馬乗りにされた下で、いつの間にかマスクの外れていた男が涙と鼻水まみれになって呻いている。
「やだよぉ……怖いよ……出てけよォ……! ここ、ここはおれの、俺のへやなのにぃ……たにん、他人が入ってくるんじゃねぇよォ……入っていいって言ってねぇだろうがよぉ……!」
無様な呻きに、蛇来が溜息を吐く。
「大人しくしとけ馬鹿野郎。こんなもん明らかな誘拐罪だろうが」
「いや、いやだぁ……出ていけよぉ……!」
「じゅん! にげろじゅん!」
階段下から小南老人が叫ぶ声がする。全員が顔を見合わせ、扉の方へと目を向けた。
「もうだめよ、お父さん」
老人の叫びの横から、老女の声がした。
「でも、お前……」
「だめ。これ以上は、もうだめだわ」
かすれた老女の言葉に、茜は和樹へと目をやった。和樹は頷いて見せ、純哉によって縄が切られた手足を確認してから、扉の前へと向かった。
茜と二人、下を見下ろすと、薄暗い中、老夫婦がこちらを見上げている。
老女は、夫の前に一歩でると、灰色になった短いパーマヘアを前へと深く下げて、ゆっくりと顔を上げた。
皺の間に埋もれるようにして、小さく細められた彼女の目が、じっと、覚悟の眼差しを、和樹達へと向けていた。
「本当のことをお話します。全ては、私達の責任です」
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