第33話 柳サクラ
『
――瞬間、空間が沈黙した。
次の一拍、ハヤトの右腕に集束した雷が、直線状に軌跡を描く。空気が熱と圧力に軋み、眼に見えない“レール”が、倉庫の天井を突き抜けて天へと伸びていく。
「これが……俺の――“軌跡”や!!」
雷鳴が轟いた。
極限まで圧縮された電結が、光の粒子となって右腕から射出される。貫通力・射程・速度――そのすべてが、かつての《迅雷陣》すら凌駕していた。
発射された雷光は、一条の“天を穿つ槍”と化し、焔の展開する黒炎の結界を直線的に貫く。避ける時間すら存在しない。
世界の法則が一瞬だけ歪んだような衝撃のあと、轟音が倉庫全体を揺るがした。
「がッ……!?」
焔の体が、光に呑まれる。
《電裂・天穿ノ軌》――その性質は“直進”。流結によって超加速され、変結で軌道を固定し、創結の力で「一点の終点」を穿つためだけに設計された、ハヤト渾身の一撃。
黒炎の装甲も、呪爆の盾も通用しない。“願い”そのものを撃ち抜く雷。
爆光が収まった頃、焔の背後の鉄壁にはぽっかりと空いた穴があった。円形の焼け跡を残して、まっすぐ貫かれた形跡。
焔は立っていた。――いや、正確には、まだ倒れていなかっただけだった。
その胸元には雷の焼痕が残り、黒い結の装甲が砕け、内部から赤い血が滲む。揺れる視界の中、彼はハヤトの姿を見た。
雷を纏うその青年は、剣を構えてはいなかった。ただ、そこに立っていた。敵を見下すでも、憐れむでもなく、ただ“同じ目線”で。
「……やるじゃねぇか……」
焔は口元にかすかな笑みを浮かべ、膝から崩れ落ちた。
「結局……お前も選ばれた側、ってことかよ……」
焔の目から、一筋、涙が零れる。それは血よりも赤く、炎よりも熱かった。
「……くそ……なんで、そんな顔できんねん、お前……」
ハヤトは焔の傍に歩み寄り、血に濡れた床に片膝をついた。
「せやから、何度でも立ち上がるんや。俺は、俺の“軌跡”を、自分で選びたい」
焔の瞳がわずかに見開かれる。怨嗟でも敗北でもない、純粋な驚き――そして、わずかな救いの色。
「はい、終わりや、そんで本題。俺達はどうすれば元の生活にもどれるんや?」
♦️
黒い結晶が弾け飛び、粉塵が空間を満たす。
その中心――鷹森ユズハ。彼女は、白を基調とした上品なスーツに身を包み、瞳の奥に凛とした光を宿していた。少女のような容姿とは裏腹に、その一歩一歩には歴戦の重みがある。
「……あなた見覚えがあるわ?」
その声音には冷徹な静けさがあった。白を基調にした戦装束に身を包み、肩までの艶やかな金髪が、戦場の中で風になびいている。
ここは、倉庫の地下階――
湿気を帯びた空気と、錆びた鉄臭さが漂う、外界から隔絶された閉所だった。照明は割れ、ところどころで火花が散っている。
ユズハが視線を向けたのは、粉塵の中から現れたひとりの少女。
可憐な姿に似合わぬ、不穏な“結”の気配。微笑を浮かべるその少女こそ、逆結舎幹部――柳サクラだった。
「ふふ、うれしいなぁ。覚えていてくれて」
サクラの声は無邪気だった。だがその無邪気さの奥には、致命的な歪みがあった。
その背後に広がる空間が、ゆらりと揺らぐ。
――まるで舞台装置のように。
「そりゃ忘れないわよ。だってあなたが、私をゴールデンレトリバーに変えたんだもの」
ユズハの口元には、冷笑とも皮肉ともつかぬ笑みが浮かぶ。
サクラは肩をすくめ、小首を傾げた。
「だって、綺麗だったから。完璧すぎて、見てるこっちが気持ち悪くなるの。だから少しだけ……世界を“本来の姿”に戻してあげたのよ。美しいものは醜く。秩序は混沌に。ね、素敵でしょ?」
その瞬間、周囲の空間が軋み、壁面のペンキがただれて流れ落ちる。蛍光灯の残光は青から紫へと変色し、倉庫全体が“崩れていく夢”の中にあるかのようだった。
「……なるほど、あなたの願い、やっぱり最悪ね」
ユズハの声が低くなった。スーツの袖口に結の粒子が浮かび上がり、彼女の周囲の空気が静かに軋み始める。
だがサクラは怯まない。むしろ楽しそうに笑みを深めた。
「わたしはね、美しいものが大嫌いなの?貴方は美しかったせいで、ターゲットにされてしまったのね。だってそうでなきゃ、私は貴方に逆結の呪いをかけられないもの」
その声には狂気がなかった。ただ、異常なまでに純粋な悪意だけが透けていた。
――次の瞬間、空間がわずかに軋んだ。
柳サクラの背後、倉庫の壁がゆらりと揺れる。ひび割れたコンクリートが粘土のように溶け、そこに“別の何か”が侵食してくる。
目の錯覚ではない。
空間が、現実が、柳サクラの願いによって“醜いもの”へと書き換えられていく。
「わたしの《幻願結界》はね、世界の見たくない真実を“見せてあげる”力なの」
床に落ちていたネジが歪み、金属がぐにゃりと溶けて崩れた。
その奥――人影が蠢く。醜く爛れた皮膚、口だけが裂けたように笑う幻影の群れ。
「これはね、あなたの中にある“醜さ”よ。正しさに縋ってるあなたも、ほんとは気づいてる。人を救いながら、誰かを見下してること」
「……たわ言ね」
鷹森ユズハの足元に、白い光が走る。
その場に結の陣が描かれ、次の瞬間――光の柱が彼女を包み込む。
『
――それは、美しき世界を貫くための術。
純白の結が身体に纏われ、ユズハの両腕に蒼白い双剣が具現化される。鋭く、透き通った刃。空気そのものを切り裂くような静寂の斬撃。
「あなたが見せているのは、世界の真実なんかじゃない。あなたの“願い”が、世界を歪めているだけ」
ユズハが踏み込んだ瞬間、空間が逆巻く。
柳サクラの結界が牙をむき、膨大な幻影が彼女に襲いかかる。
「ふふ……来るのね」
柳サクラの掌がひらく。
その中で、小さな黒い花が咲いた。
《幻願結界・破華(はか)》
無数の花弁が、世界の醜さを刻んだまま宙に舞う。触れたものすべてに“幻覚”と“呪縛”をもたらす、柳サクラの決戦技。
けれど、ユズハは動じない。
白銀の双剣が、一閃。
幻影を断ち切り、花弁すらも切り裂いた。
「……その幻想、断ち切らせてもらうわ」
白銀の剣閃が走った瞬間、世界が“正気”を取り戻すように空間が震えた。
黒い花弁はひとつ、またひとつと散り、幻覚の幻影は光に焼かれて霧散していく。ユズハの剣はただの武器ではない。清浄なる結の象徴、世界を正しく保とうとする“意志”そのものだった。
――だが、柳サクラの口元から微笑みが消えなかった。
「ふふ、さすが“勇者ランキング3位”……けど、それで終わりだと思ってるの?」
突如、サクラの足元から巨大な花が咲いた。黒く、禍々しく、現実の理すら拒絶するような異形の花弁が、床を喰らい、空間を裂く。
サクラの身体がふわりと宙に浮かぶ。彼女の背後に広がる結界が、より深く“醜悪”に染まり始める。壁がねじれ、天井が垂れ下がり、照明が人の顔のように笑い出す。
「この世界が、美しいなんて、誰が決めたの? 美しい“フリ”をしているだけじゃない……あなたも、あの人たちも……」
ユズハはその言葉に耳を貸さない。
「あなたがどれだけ世界を否定しても、私が見てきたものは……人の“希望”だったわ」
双剣を構え、光の陣を踏みしめる。足元から広がる結の紋は、反転する世界を押し返すように脈打っていた。
「“希望”は幻想じゃない。願いを諦めない人がいる限り、何度でも、光は差し込むわ」
「じゃあ、証明してみせて?」
サクラの背後から、黒い花弁の嵐が舞い上がる。空間が暗転し、ユズハの足元までが黒に塗り潰されていく。
だが、ユズハはその中でも、一歩を踏み出した。
「ええ――断ち切ってみせる。あなたのその“歪んだ願い”を!」
蒼白の双剣が交差し、白光が空間を裂いた。
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