Case 3-12 亜里沙ノ真実③

 手元の紙を見つめるうちに、亜里紗の指先がかすかに震え始めた。

 視界が紙面の文字に吸い込まれていった。名前、日付、判決――すべてが自分に向けられた現実の記録だった。


「……これ……私が……死刑囚……?」


 かすれた声がこぼれた。震える唇から漏れたその言葉は、自分自身への問いかけでもあり、許しがたい現実の確認でもあった。


 隣で読み終えた南部は、信じられないという表情で顔を上げた。

 口を開こうとしたが、言葉は見つからなかった。ただ、亜里紗を見守ることしかできなかった。


 その瞬間、椅子が音を立てて引かれた。

 望が立ち上がり、書類を睨みつけるようにして声を上げた。


「こんなこと、あったはずがない……! 亜里紗は……うちの娘は、犯罪なんて犯したことない……!」


 その声は怒りではなく、必死に現実を否定しようとする、痛切な父の叫びだった。


 しかし、その言葉に対して、医師は静かに首を横に振った。

 表情は沈痛だったが、迷いはなかった。


「落ち着いて、座ってください、望さん」


 その声音は、これまでに数多くの患者と家族の悲しみを見届けてきた医師の、それでも変わらぬ冷静さをまとっていた。


「あなたは……娘さんが犯罪を犯してしまった記憶に耐えられず、ご自身の判断で、脳内干渉装置を導入し、その記憶を――取り除いていたのです」


 望の目から光が失われていくのが、誰の目にもはっきりと分かった。

 そのまま、崩れるようにして椅子へと腰を落とした。


 肩が小さく震えていた。

 父親としての記憶、誇り、そして願い――それらが、いま崩れ去ろうとしていた。


 そんな二人の姿を見て、南部はゆっくりと立ち上がり、口を開いた。


「……今日は、これで終わりにしませんか?」


 それは、思いやりであり、そして必要な判断だった。

 これ以上の事実は、いまの三人には重すぎた。


 誰も反対しなかった。


 医師の案内で、三人はゆっくりと部屋を出た。

 記憶と現実の狭間で揺れる彼らの背中を、白く冷たい病院の蛍光灯が無言で照らしていた。



 病院の白い廊下を抜けてエントランスを出た瞬間、花丸が駆け寄ってきた。

 金属の身体がきしむ音と共に、興奮を隠しきれない声を上げた。


「どうでしたか? 私が言っていたことは本当だったでしょ? 師匠!」


 大きな目を輝かせながら花丸は亜里紗の顔を覗き込んだ。

 しかし、亜里紗は何も返さなかった。目は虚空をさまよい、唇はわずかに震えていた。


 その沈黙に気づいた南部が、花丸に片手をかざして制した。


「あとで詳しく話す。いまは……そっとしてやれ」


 花丸もそんな二人の様子を見て察したのだろう。花丸は一歩下がり、小さくうなずいた。


 金城家に戻った四人は、それぞれ無言のまま玄関をくぐった。

 望は無言のまま自室に消え、亜里紗もただうつむいたまま階段を上っていった。


 リビングには、南部と花丸のふたりが残された。


 ソファに腰掛けた南部は、ゆっくりと息を吐いてから、ことの顛末を語り始めた。

 南部はこの話をしていいのか、一瞬迷った。

 

 けれども、もともと花丸も記憶閲覧に立ち会う予定だった。なにより今は、プライバシーなどと言っていられる状況ではなかった。


 淡々と語られる真実に、花丸はじっと耳を傾けていた。

 そして、話が終わったあと、金属の身体を小さく震わせながらつぶやいた。


「まさか……師匠が死刑囚だったなんて……。あるときから連絡がまったく取れなくなって……でも、こんな理由だったなんて……」


 花丸の目には、機械とは思えぬ悲哀が滲んでいた。


 南部は、テーブルの上に指を組んで静かに語った。


「あぁ。そして……おそらく望さんのクローンは、お前を奪って殴りまくっていた過去の亜里紗さんに私怨を持ち、それで彼女を殺すためにロボットを差し向けたんだろう」


 花丸の顔が強張った。


「でも、今の師匠は……私が知っている師匠とは違ってて……」


 南部はうなずきながら、重い声で続けた。


「その今の彼女が、生きてここにいると知ったら……クローンはまた、次の刺客を送ってくる可能性が高い。

 だが、いまの状態の望さんも、亜里紗さんも……戦える状態じゃない」


 その言葉に、花丸の拳が握られた。ぎり、と関節の金属が擦れる音がした。


「南部さんは……冷静ですね」


 花丸の声には、わずかな尊敬が滲んでいた。


 南部は、立ち上がりながら言った。


「こういうときだからこそ、冷静でいなければならん。誰も守れなくなるからな」


 その言葉に、花丸は胸を張り直した。背筋を伸ばし、再びその瞳に決意の光を宿した。


「そうですね! 私も気を取り直して、師匠を守ります!」


 南部は花丸の決意を見届けると、黙ってうなずき、スーツのポケットから携帯を取り出した。

 そして、番号を押した。画面に表示された名前――それは、


 銀野元警視長。


 着信音が鳴る中、南部の瞳は、次の戦いの火蓋が切られる音を確かに聞いていた。

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