Case 3-10 亜里沙ノ真実①

「記憶は、南部君と……私の二人で確認しにいく」


 そう言って、望はテーブルの上にそっと両手を置いた。低く、慎重な口調だった。

 だが、その言葉を聞いた途端、亜里紗の表情が強張る。


 「それって……私抜きってこと?」


 「そうだ。確認するのは亜里沙の記憶だ。亜里沙が直接見る必要はない。

 もし、そこにお母さんが亡くなったときの記憶が残っていたら……私は、君にまた塞ぎ込んでほしくないんだ。

 亜里沙には元気でいてほしいんだ」


 望の言葉は父親としての優しさに満ちていた。

 だが、それがかえって亜里紗の胸をざわつかせた。


 「……お父さん、子供扱いしすぎだよ」


 亜里紗は拳をぎゅっと握る。


 「今、私、命狙われてるんだよ?

 自分の身に何が起きてるのか知らずに、誰かに守られてるだけなんて、もう耐えられない!

 自分のことは、自分で知りたい!」


 その一言に、部屋の空気が凍りついた。

 南部はわずかに目を見開き、心の中で思った――《父親に対して、こんなに真っ直ぐ、強く言えるんだな……》と。


 しばらく沈黙が流れたあと、望は顔を伏せ、小さく息を吐いた。


 「……わかったよ。全員で行こう。

 私が間違っていた。亜里沙にはもう、自分の道を選ぶ力がある」


 亜里紗は少し驚いた顔でそれを聞き、それから小さく、だが確かな声で「ありがとう」と呟いた。



 翌朝、望は早々に手続きを済ませ、亜里紗がいつも通っている大学病院から正式な許可を得た。

 記憶記録装置の回収済みデータを閲覧するには医師の同席と同意書の提出が必要だった。


 「……ロボットの同席は、規定上認められません」


 病院側の一言により、花丸は待合室に残ることとなった。肩を落とした彼は、溜め息をついた。けれども、亜里沙を励まして、元気付けた。


「師匠、ボク、入り口でお祈りしてますから……!」


 それを背に、望、南部、そして亜里紗の三人は、病院の地下奥にある専用記憶閲覧室へと案内された。

 白い無機質な部屋。壁には防音処理がされ、中央には三人分の椅子が並んでいた。


 医師は一枚の書類を三人に差し出した。


 「ご本人の記憶再生に際し、体調などに異変があった場合は、こちらの判断で中止する可能性があります。その点、ご了承いただけますか?」


 三人は無言でうなずき、慎重にペンを走らせた。


 「それでは……まずは、負担の少ないデータから再生いたします」


 医師が棚から銀色の小さなカセットを取り出し、端末のスロットに差し込んだ。

機械が低く唸り、数秒後、壁に備え付けられたスクリーンがゆっくりと映像を投影し始めた。


 静かな部屋に、記憶の映像が――浮かび上がった。


 再生が始まった映像の冒頭、スクリーンに広がったのは、夕陽が河原に沈もうとしている情景だった。


 オレンジ色に染まる空。川面に反射する光の筋。風にそよぐ草むら。

 一見して、穏やかで美しい、どこか懐かしさを覚える風景だった。


 だが、その中に、明らかに異質なものがあった。


 川岸の一角に、無造作に打ち込まれた鉄格子。

 その内側はまるで即席の檻のようであり、戦闘の舞台を意図して作られたものに思えた。


 そして、画面の端、橋の下から姿を現したのは――ボロボロになったロボットだった。


 「もう……5番勝負で、師匠のほうが4回も勝っているので……勝敗、ついてますよ……」


 それは紛れもなく、花丸だった。

 関節部からは火花が散り、片目は潰れ、表面装甲には裂けた金属の断片が無数に走っていた。

 けれど、その口調はやはり、丁寧で、どこか人間らしく、そして哀願めいていた。


 しかし、そんな花丸の訴えに応じる様子はなかった。


 「なに言ってんだ!まだまだ勝負は決まってないぞ!」


 声とともに画面に飛び込んできたのは――まだ年若い亜里紗だった。

 しかし、その表情は、現在の物静かな彼女とはまるで違っていた。

 鋭く光る眼。挑戦者の笑み。泥だらけのジャージ。両拳には、擦り傷ができていた。


 彼女はそのまま、拳を振り上げ、鉄格子のなかに飛び込んでいった。

 躊躇もなく、まるで勝負に命を懸けるかのように――。


 そこまで映ったところで、映像はぷつりと途切れた。


 室内には、重い沈黙が落ちた。


 最初に声を発したのは、他でもない、亜里紗だった。

 だが、その声は、驚きと混乱が入り混じり、かすれていた。


 「……私……いまの私じゃない……なに、あれ……?」


 思わず自分の胸に手を当て、息を整えた。どこか滑稽にも見える映像だったのに、そこには確かに、彼女自身の声と姿があった。

 けれど、それは記憶の中の自分ではなかった。完全に知らない他人を見るような違和感――それこそが、何よりの恐怖だった。


 望は、花丸の言葉を思い出すように、ぽつりとつぶやいた。


 「……本当だったんだ。花丸君の言っていたことは……すべて……」


 花丸の忠誠も、師弟関係も、奇妙な過去の記憶も――それはバグなどではなかった。

 亜里紗が確かに体験した現実の一部だったのだ。


「まだ大丈夫ですか?」


 沈黙を割ったのは医師の声だった。

「次の記憶を流しますね」


 そう言って、彼はゆっくりと別のカセットを端末に差し込んだ。


 「これは……いまの映像よりも、1年ほど前のものです。場所は……研究室のようですね」


 静かに動き出す再生機構。

 スクリーンがまた、新たな過去を映し出していった。


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