Case 2-12 開戦

 秋の陽射しが金色に輝く銀杏並木を照らしていた。

 街路樹の葉は艶やかに色づき、車窓からの景色はまるで絵画のように美しかった。

 けれども、その景色とは裏腹に、車内に漂う空気は張りつめていた。


 亜里紗は、窓越しの紅葉に目を向けながら、無意識に手を握り締めていた。

 隣に座る南部もまた、無言のまま地図と配置図を確認していた。


 彼女の心は、不安と決意の間で揺れていた。

 多くの命を救うために、自分が立ち上がると決めていたが、壱との再会が恐ろしかった。

 彼の叫び、彼の暴走、そして、その根底にある絶望の深さを思うと、胸が締めつけられた。


「……着いたぞ」


 南部の低い声とともに、車が停まった。

 窓の向こう、警視庁の巨大な建物が、今は傷ついた獣のように静かにそびえていた。

 かつて法と秩序の象徴であったその庁舎は、今や、覚醒者・菅原 壱の暴力に蹂躙され、内部は崩壊と死の気配に包まれていた。


 建物の外には、黒ずくめの特殊武装警官たちが何重にも取り囲んでいた。

 彼らの手には銃器、肩には盾、目は緊張と恐怖に満ちていた。


 そして、亜里紗が車から降りた瞬間、その緊張は一気にざわめきに変わった。


「……あれが金城か?」


「……中のバケモノと同じ“覚醒者”だろ?なんで連れてきたんだよ……」


「ひょっとして、こいつが共犯なんじゃ……」


 視線。言葉。息遣い。

 すべてが突き刺さるように亜里紗を囲んだ。

 ほんの数日前まで「金城さん」と声をかけてくれていた警察官たちが、一様に恐怖と不信のまなざしを向けていた。


 彼らの中には、壱によって同僚を失った者もいた。

 仲間の死を悼む想いが、怒りや拒絶に変わるのも無理はなかった。

 だが、その冷たい視線は、亜里紗の心を確実に傷つけていた。


(私は……もう、仲間じゃないの?)


 その思考に、揺らぎが生まれかけた、その瞬間。


「――やめろ!!!」


 雷鳴のような南部の声が、隊列の中心から響き渡った。


 彼は一歩前に出て、亜里紗の肩に手を置くと、鋭く全員を睨みつけた。


「何をしている、貴様らッ!金城は俺たちの仲間だ!」


 その声に、ざわつきがぴたりと止まった。


「たしかに、彼女は“覚醒者”だ。

 だがその力で、これまで何人の命を救ってきたと思っている。

 いま、この状況で疑ってどうする。力があるからこそ、彼女はここに来たんだ!」


 言葉に力がこもった。

 南部の声は、怒りと共に、信頼と誇りで満ちていた。


「――いいか、今からこの壁を吹き飛ばす。

 金城が囮となって、壱を地下の振動波生成室に誘導する。

 それが唯一の希望だ!お前たちの任務は、仲間の救出と、犯人の足止め。コンマ一秒でもいい、時間を稼げ!」


 一同が言葉を呑む中、南部はひとりの隊員の肩からミサイル砲を奪い取った。


「下がれ!」


 瞬間、轟音とともに閃光が走った。


 爆風が舞い、警視庁の外壁が円形に砕けた。

 瓦礫の向こう、血に染まった床の上に、菅原 壱が立っていた。


 その姿は人の形を保ちながらも、髪も耳もなく、眼窩すらないその顔に、ただ異様な“気配”だけが滲んでいた。


 彼は音もなく立ち尽くしていた。

 だが、次の瞬間、その気配が確かに“金城亜里紗”を認識した。


 彼女の体温、空気を震わせる細かな振動、そして何より、覚醒者として持つ“存在感”が、菅原の触覚世界に鮮烈な印を刻んだ。


「……グガガガガガガガ……!」


 口腔の構造も破壊された菅原の咽から漏れたのは、もはや言葉とは呼べぬ叫びだった。


 その不気味な咆哮が警視庁前の空気を震わせた。

 瞬間、武装警官たちの身体がこわばった。

 声を上げる者もいた。顔を青ざめさせ、逃げ腰になる者もいた。


 だが、その空気を切り裂くように、南部が一歩前に出た。


「全員聞けッ!!」


 突き出した右腕とともに、南部の怒号が響いた。


「建物内の者は全員右へ走れ! 外部の者は全員、左から銃口を向けろ!!」


 鋭く、明確な指示だった。

 その言葉に警官たちの足が動いた。

 錯乱し、恐怖に縛られていた彼らの意識が、戦うべき現実に戻っていた。


 建物内部の警官たちは右へと、瓦礫を越え、倒れた仲間の脇を通り抜け、道を開けた。

 外にいた部隊は、南部の指示どおり左へ展開し、一斉に銃口を構えた。


 その刹那。


 菅原は僅かに首を傾けた。

 無数の足音と、銃口の先にある金属の密度を、肌で感じたのだろう。

 触覚世界の情報の奔流に、菅原の意識が一瞬だけ右に向けられた。


 その瞬間を――亜里紗は逃さなかった。


(いま……!)


 彼女は菅原の触覚が集中していない左前方の影のラインに沿いながら、気付かれずに建物の中へと滑り込んだ。

 音を立てず、呼吸すら押し殺して、彼女の体は薄闇へと溶け込んでいった。

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