Case 1-3 未遂者

 鈍い蛍光灯の明かりの下、空き倉庫の一角で突然起きた出来事は、あまりにも一瞬だった。


「――ッ!」


 亜里紗の首に手をかけた少女。その細い腕が首を締めつけようとするより早く、亜里紗が動いていた。


「止まりなさい!」


 彼女は瞬時に少女の両手首を左手で掴み、力づくで頭上へと押し上げた。骨が軋む音がしたが、ためらわなかった。次の瞬間には右手で腰のホルスターから拳銃を引き抜き、少女の額にぴたりと突きつけていた。


 少女は固まった。わずかな時の狭間に起こった強制的な制圧に、驚きと恐怖が一気に噴き出した。


「あ、あああ……!」


 震えが全身を走った。少女の瞳に涙が浮かび、唇が引きつった。


 亜里紗はその光景を見つめながら、ようやく呼吸を整えた。数秒前までの締め付けの感触がまだ喉元に残っていた。


 亜里紗はしゃがみ込み、改めて少女を観察した。


「おかしい。首に装置が刺さっていない……」


 彼女の襟元に脳内干渉装置はなかった。だが、ふと目を凝らすと、少女が不自然な姿勢で両足を閉じていることに気づいた。わずかに露出したスカートのすそ。その太ももの間――わずかに覗く異物。


「……見つけた。」


 それはピンク色に装飾された小型の不正脳内干渉装置だった。まるで玩具のように“かわいらしく”、使用者の警戒心を和らげる意図が込められていた。


 亜里紗は静かに言った。


「私は、脳干渉犯罪捜査課の金城です。不正脳内干渉装置保持の容疑で、あなたを逮捕します。」


 少女はその言葉を聞いて、突如として全身の力を抜いた。


「……よかった。」


 震える声で、しかしどこか安堵したように少女はつぶやいた。


「管理者様が、私を閉じ込めに来たんじゃなくてよかった……」


 亜里紗はその言葉に眉をひそめた。“管理者様”――それは誰だ?

 だが今は問い詰める時ではない。


 亜里紗は少女の手首に手錠をかけ、太ももから装置を丁寧に回収した。そして、騒ぎを聞きつけ駆けつけてきた南部警部と共に、彼女をパトカーへと移送した。



 警視庁の脳干渉犯罪捜査課の取調室。

 亜里紗がドアを開けた時、中にはすでに少女が座っていた。


 彼女は制服姿のまま、背筋を伸ばして椅子に座り、視線を伏せていた。倉庫で見せた恐怖の面影はなく、ただ緊張の色だけがかすかに見えた。


 亜里紗は一呼吸置き、表情を整えてから部屋に入った。冷静で、厳格な表情を作る。だが、内心では緊張を抱えていた。


(取り調べは、やっぱり苦手……)


 事件の情報を引き出し、相手の感情を読み、真実を浮き彫りにしていく。それは理論ではなく、人間の深層に踏み込む仕事だ。

 亜里紗は人に感謝を伝えることは得意だったが、追い詰める言葉を紡ぐのは苦手だった。


(でも、今回の彼女は――加害者というより、むしろ被害者。話を聞き出すことさえできれば……)


 亜里紗は自分にそう言い聞かせながら、記録用の端末を起動した。


「……では、まずは確認から。あなたの名前と年齢を教えてください。」


 少女は静かに顔を上げた。大きな瞳には、まだ幼さが残っていた。


「名前は、菊池 南海きくち なみです。年齢は15歳。」


 震えることなく、明瞭な声だった。ただ、目の奥には言い知れぬ緊張と――それとは別の、深い“諦め”のようなものが感じられた。


「――なぜ、不正脳内干渉装置を使おうとしたか、教えてください。」


 亜里紗の問いは、取調室の沈黙を静かに切り裂いた。


 その声は強くもなく、優しすぎることもなく、ただ真実を求める者としてのまっすぐな響きを持っていた。


 向かいの席に座る菊池南海は、その問いを受けて、しばし沈黙した。


 呼吸がひとつ、深く落ちて、やがて彼女は、言葉を慎重に選びながら、語り出した。


「私、ネットで管理者様に出会って、管理者様は、逃げたい記憶にはそれから逃げて幸せになった夢を――

 うまくいかなかった記憶には、それがうまくいって幸せになった夢を、与えてくださるんです」


 淡々と語られる言葉。だがその中には、確かな憧れと信仰に近い感情が滲んでいた。


「私が、管理者様に……相談したとき、

 管理者様は私に、母と一緒に過ごした幸せな日々の夢を与えてくれるって、約束してくれました」


 その言葉のあと、彼女のまぶたが一瞬伏せられた。


「あなたと、お母さんの間に、なにがあったの?」


 金城は黙ってペンを止め、菊池の表情をじっと見つめ、そして、質問をした。彼女の動機を知るために。


 菊池は一度下を向いて、考え込んだが、やがて顔を上げ、そして、再び話はじめた。

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