第2話 ”聖女”ジュリア
”聖女”ジュリア様には、苗字がない。
親が誰か分からないからだ。
十数年前に教会の前に捨てられた孤児で、かなり過酷な生い立ちを送って来たらしい。
物心ついたころには小間使いのように扱われ、朝早くから夜遅くまで働いて、気絶するように眠る日々。食事は薄いスープと硬いパンばかりで、幼い頃から栄養状態は悪く、背は低く華奢なままだった。身体には、過去の折檻の傷がいくつも残っている。
待遇がましになったのは、ジュリア様に”聖女”としての能力が発見されてからだそうな。
ある日、魔物に襲われた男がジュリア様のいる教会へ担ぎ込まれ、手の施しようがないような大怪我だったのに命を取り留めた。
傷ついた身体を清めるのに使った水が、女神の加護がたっぷりと込められた聖水だったのだ。聖水は人間の治癒能力を高め、病気の感染を防ぐことができる。
誰がその聖水を作ったのか?
教会にいる全ての修道女が調べられたが該当者はおらず、さらに徹底的に調べたところ捨て子であり小間使いとしてこき使われていたジュリア様だった。
誰もが驚いたことに、ジュリア様には100年に一度出るか出ないかというレベルの”聖女”としての適性があった。
六歳の頃の話だったという。
それからは小間使い改め修道女として教会に在籍することとなった。”特級品質の聖水製造機”としてこき使われるのだが、お仕着せの臭いにおいを放つぼろ服からそれなりに清潔なシスター服に変わっただけでも嬉しかったとジュリア様は言っていた。何と健気な御方だろう。
それからいろいろあってユリウス殿下がジュリア様が在籍していた地方教会の実態を調べられ、神官達にはきついお灸をすえられた上、ジュリア様は”聖女”として王宮に召し抱えられることになった。
『殿下にしては珍しく強引な手段で身請けしましたね。それほどの才能だったのですか?』
『いや。ジュリアに一目ぼれしたんだ……。聖女としての能力については、あってもなくてもどうでもよかった』
幼なじみのわたくしだけに、こっそりと教えてくれたユリウス殿下の本音。
いつも覇気に満ちた殿下の凛々しいお顔が、ジュリア様の事になると途端に可愛らしくなる。恥ずかし気に目を伏せ、頬を染めながらも慎重に言葉を選ぶ。その姿を間近で見て、わたくしは――
(ドドドドドドドド ======┌(┌ ^o^)┐デュフ、コポォ、コポォ)
『まあ……それはそれは』
とびきりに腐った笑みを浮かべていたと思う。
***
”聖女”ジュリア様は、一言で言えば可憐だった。
柔らかな白の法衣に薄青の縁取りが差され、光を受けて微かに透ける袖が、まるで天の羽衣のように腕を包む。
菫色の長い髪は丁寧に揃えられ、肩から背にかけて静かに波を描いている。
首元には、淡いラベンダー色の絹のスカーフがふんわりと結ばれている。聖水で清められた代物で、邪な魔物から身を守る効果があるのだという。
儚く、華奢で、少女のように可愛らしい。しかしその眼差しは穏やかでありながら、何物にも屈しないという芯の強さを奥底に宿していた。
この方と相対するとき、わたくしはいつもこう思う。
(攻めに回った時は意地悪になるタイプだわ)
根拠はない。ただの勘……というよりも、わたくしの中の腐っ魔物が紡いだ妄想なのだろう。
それはとても失礼な感想なので、声にも態度にも出さないように気を付けている。
「ユリウス……殿下から話は伺いました」
愁いを帯びた顔。無意識の動作なのだろう。ジュリア様の細い指と指が組まれ、祈る形となる。
夕方の、人払いを済ませた上での面会。
婚約を発表し既成事実を作った後――前では確実にジュリア様が止めに来るから――に、ユリウス殿下はジュリア様にわたくしと交わした約束の内容を全て語っていた。
それを受けて、ジュリア様はわたくしの下へ来た。
こうなることを予想していたわたくしは予定を開け、人払いを済ませ、ジュリア様と相対している。
「分かりません。あれが白い結婚で、偽装結婚での冷えた夫婦関係を送るのなら、カトレア様はお辛い思いをするだけではないですか。あなたがそんな犠牲を払ってまで、この国の王妃という地位を欲する方だとは私にはとても思えません」
「そうね。不気味に思うのも当然ですわね。確かにわたくしは王妃としての地位には興味はありません。
そして正妻でありながら夫には指一本触れる事も無く、その一方で側妾が夫の寵愛を受けるのを間近で見ることになるなんて……ああ」
(ドドドドドドドド ======┌(┌ ^o^)┐デュポヌプゥ)
腐った魔物が蠢く。
胸に熱いものが押し寄せて、身震いがした。
「カトレア様!?」
膝をおり、うずくまりそうになったわたくしに、ジュリア様が慌てて駆け寄る。
大丈夫、とわたくしは”聖女”として回復魔法をかけようとする彼女を手で制した。
「実はわたくし、不治の病を患っているの。心の中におかしな魔物が巣食っていて、どんどんと腐っていく病気よ。どんな名医にも、治癒術師にも、聖女ですらも治せない。今もそう。腐臭をまき散らしながら這いずり回っているわ」
(ドドドドドドドド ======┌(┌ ^o^)┐)
「でもね。……ああ、大丈夫よ。この魔物は少し時間が経てば収まるから」
再び回復魔法をかけてくださろうとするジュリア様を、わたくしは手で制した。
「殿下の高貴さとジュリア様の可憐さ、二つが合わさった時に摂取できる養分があるの。殿下とジュリア様が絆を深めれば深めるほど、わたくしの中に巣食うおぞましくも腐った部分が満たされて癒されるの……信じてもらえないかも知れないけれど」
「つまり、”聖女”としての私の力が必要だと?」
「……そうね。でも、ジュリア様一人だけではだめなの。ジュリア様と殿下が仲睦まじくしているという状況がわたくしにはどうしても必要なの。だから、あなたには殿下とくっついてもらわなきゃ。でも、さすがにあなたが正妻だと何かと面倒くさい人たちが面倒くさいせんさくをしてくるでしょう?
”聖女”であらせられるジュリア様の出自とか、身分とか、その他のことを調べ上げてケチをつける無粋な馬鹿がごまんと出てくるわ。
だから、わたくしが名目上の正妻になって、ジュリア様は側妾になる形が一番収まりがいいのよ」
めちゃくちゃな理屈だった。
論理性がない。合理性がない。
ただ、『ユリウス王子と”聖女”ジュリアの仲を取り持ちたい』という結論だけがある。
ユリウス殿下にとってもジュリア様にとっても、得るものだけしかない提案だ。
その一方で、わたくしには何の得もない――表面上は。
実はこの取引で一番得をするのはわたくしであるのだが、それは今は口にすることではない。無粋にすぎる。
ジュリア「………そういうことなら」
小さく目を伏せて言ったその声には、わたくしに対する疑いの色と、そして愛する人と結ばれるかもしれないという喜びに滲んでいた。
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