第18話授業風景②



 帝都大学院の端の端、第三十七号館、人文学館・異世界言語研究・詩学研究室の中では、虎頭の前公爵が老眼鏡をかけ、書類仕事をし、虎頭のメイドがお茶を入れている。


 吾輩は虎頭のメイドが作ってくれた籠の中にクッションが敷かれた寝床で、真っ白な毛皮を身に纏ったベルフェゴールと共に丸まり、重ねり合うように惰眠を貪る。


 飼い主は椅子の上で両脚を折り曲げ、蓮の蕾のように丸まり、本を読む。


 顔のほとんどを覆いつくす丸眼鏡を時折ずり上げ、目が文字を追い、ゴリゴリ動いている。


「今日の授業の用意はいいのかの?」


 虎頭の前公爵に声をかけられ、壁にかかった時計に目を向ける飼い主は、呼んでいた本に栞を入れ、別の本を出し、メモを取り出す。


「今日は配置の話しかの?」


 飼い主は虎頭の前公爵掛けられた言葉に、本から目線を外さず答える。


「そうですね、この頃生徒たちの質問に答えるだけで、授業が終わってしまうことも多いですから、どうなるかは、始まってみないと分かりませんが」


 この頃飼い主の言う通り、『血殺し』も〃聖女〃も、助手として授業をきいている虎頭の前公爵からも質問が溢れて、それを懇切丁寧に答えていると授業が終わることが多い。


 良いことだし、飼い主自身も気にしていないのだが、生徒たちはカリキュラムが進んでいないことに少し焦りを持っているようだ。


 十の全てを知れるなんてことがあるはずもない。


 そのうち二でも三でも手にできれば儲けものだと吾輩は思うのだが、焦る気持ちも分からなくはない。


 もう季節は夏が終わりそうだ。


 来月には寒さを感じるような日があるかもしれぬ。


 季節は過ぎ、時間は過ぎている。木は急くのだろう。


 飼い主がチラリと時計を見て、お茶うけの菓子を口に放りこむ。


 虎頭のメイドが、お茶のおかわりをきき、飼い主は猫舌なので、お茶が冷めて自分が飲めるようになるまでの時間と、授業が始まるまでの時間を比べ、無理だと判断したのだろう、断りを入れる。


 資料を左手に抱え、右手で吾輩とベルフェゴールを抱きかかえ、研究室を出て併設されている教室に向かう飼い主。その後ろから虎頭の前公爵と虎頭のメイドが続く。


 教室の中には二人の生徒。


 異世界詩学序論を受講する物好きな生徒、『血殺し』と〃聖女〃が座って待っていた。


「それでは授業を始めます。今日は配置です」


 飼い主は資料を教卓の上で広げる。


 吾輩とベルフェゴールは教壇の上に寝転がり、重なり合う。


「まず、アリストテレスと言う古代異世界の学者が『詩学』と言う本を書きました。

 その中で、悲劇の構成要素は六つであると言います。

 ストーリー、性格、語法、思考、視覚効果、歌曲です。

 今日はこの中から、詩学の骨子の一つである配置について話したいと思います」


 飼い主はここまで言うと、水を一口、コップから飲む。


「アリストテレスの悲劇の構成要素六つの内、今日必要な、配置に使われるものは、ストーリー、性格、思考の三つです。

 登場人物が特定の性格を持ち、その正確に基づき思考し、行動するためにストーリーが生まれる。

 つまり、キャラクターが決まることにより、ストーリーが生まれると言うわけですね。

 ここには詩作において悲劇の登場人物は我々より優れている人物である。と、言う思考が影響します。

 人々より優れているキャラクターが進めるストーリーは悲劇となる。

 ならば人々より劣っているキャラクターが進めるストーリーは喜劇となります。

 ストーリーは、キャラクターと言う優れた人物が、何か出来事にぶつかり、そのキャラクター性からおのずと進む道が決まり、その経過を模写すること、と言うことですね。

 ここで覚えておかなければいけないのは、異世界では太古の昔から、キャラクターとストーリーと言う考え方が詩作の中にはあったと言うことです。

 そしてその二つは絡み合い、分かつことができないと言うことですね」


 飼い主は生徒を見て、質問がないかを確認し、また資料に目を落とす。


「物語の配置を考えるならば、物語の構成要素として最小単位を考える必要があります。

 一地域の昔話、つまり神話や伝説、子どもを寝かせるために紡がれる民話などですね。それを集め、その物語群の最小構成要素を研究した人がいます。

 プロップと言う人ですね。

 言語は単語と文法でできています。

 物語にも、文法があるのではないかと考えたわけですね。

 言語の文法を調べるには、文を単語に、分節できる最小単位に分けることから始めます。

 それと同じように、物語を最小単位に分けると、八種類のキャラクターと三十一種類の機能に分けられるとしました。

 それがこの一地域の民話群の文法であると。

 皆さんは覚えていると思いますが、単語は学習であり、文法はプログラムされている先天的なものです。

 つまり、この物語の文法は、その地域、その国、もしかしたらこの世界全ての物語の文法であるかもしれないと言うことです」


 飼い主はここまで話すと、ウラジミール・プロップから始まり、ロシアンフォルマリズム、エイゼンシュタインまで話すと、いきなりオットー・ラング、ジョセフ・キャンベル、クリフトファー・ボグラー、シド・フィードと、なんとも俗っぽい話しをつづけた。


 資本主義の話しだ。


 そしてついにレヴィ・ストロースが登場する。


 フーコー、バルト、ドゥルーズを挟んで、二項対立の話しに入る。


 構造主義の本丸である。


 資本主義の手垢にまみれた構造を見せ、その方法では絶対にたどり着けない構造主義を見せる。


 なぜたどり着けないかを、しっかり説明する。


 二項対立が存在しないからだ。


 二つのモノを横並びにしなければ、見えないものがあるのだ。


 見えない構造があるのだ。と、教え込む。


 そこで授業終了のベルが鳴る。


 いつもの飼い主なら、そこでサッと授業を終え、翌日に話しの内容を回してしまうのだが、今日は違った。


 教壇から下りず、最後に一つだけと、生徒たちを真剣に見つめ、言葉を紡ぐ。


「物語には文法があります。

 ですが、それは絶対ではないのです。

 その物語の文法すら、逆手に取り、惑わし、弄ぶのです。

 分かりますか?

 小金が欲しいだけなら、文法のまま書き、太った小器用な猿にってもいいでしょう。猿でいいのなら。人でなくてもいいのなら。

 ですが、人間様であるなら、僕らは言語の文法をバグらせたように、物語の文法もバグらせるのです。

 そして報酬系を混乱させ、大量の快感を得るのです。大量の快感を与えるのです。

 だから、こんな動物性がくれる、ちょっと脳が気持ち良くなるだけのモノに惑わされないでください。

 しかし無視もしないでください。

 僕が言いたいのはそれだけです」


 飼い主はそう言い、教壇を下りた。


 吾輩とベルフェゴールを抱き、芝生の上を走り、校舎の外に広がる中庭を走り、食堂の横を抜け、購買棟の裏を走り抜け、唯一研究室以外で飼い主が心を癒せる場所、禁煙禁煙で大学の敷地の中から追い出され、大学横の職員宿舎の裏にある喫煙所に飛び込む。


 キセルにタバコの葉を詰め、火をつける。


 飼い主は大きく吸い込み、鼻と口から紫煙をもくもくと吐き出した。


「異世界では、この手の物語の構造を話す本が多いんだ。

 きっと今この世界でおこっていることに似ているよね。科学である証明ってやつ。

 詩学を科学に、的な運動から、他の科学と同じように金儲けの道具になっていくわけ。

 人間はさ、美や感性と言い、言語や物語の文法と言い、元からプログラムされているものに弱いよね。

 そして少しそこが分かると、ちょつとの報酬欲しさに、プログラムに従い、脳の報酬系を回す。

 それは、人間の一生をかけてやることなの? 僕はそう思っちゃうんだ。

 世界を、現象を、プログラムを、そして脳をハックし、もっと大量の報酬を。

 もっと大量の快楽を。

 僕はそれを生徒たちに教えたいんだよね。

 それこそ、モノを新しく作るってことだと思うんだよ」


 飼い主はそう言いながら、口から紫煙をもくもく吐き出す。


 飼い主の思想をきいているのかいないのか、ベルフェゴールは大きくあくびをし、吾輩はにゃーんと一鳴きする。


 飼い主は立ち上がり、研究室にとぼとぼ、吾輩とベルフェゴールを抱きながら歩く。






「僕は、そろそろ、自分の本を書こうかと思うよ」






 飼い主はそう言う。


 いいではないか、楽しそうだ。


 これだけ研究してきたのだ。集大成があってもおかしくはない。


 飼い主の顔は、いつものような軽薄な少年の色を消し去り、幼くはあるが、まるで年相応の知性と威厳に溢れた、大人の顔をしているように見えた。



 吾輩は、にゃーんと一鳴きする。



 ベルフェゴールは寝ている。



 飼い主はただ前だけを見て、研究室に向かい、歩いて行った。

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