第12話大きな羊

 飼い主は風呂を嫌う。


 吾輩もこの生暖かい息を吐く、四つ足の獣の体になってから、風呂は大嫌いなので、気持ちはよく分かる。


 しかし、獣の体を持たぬ者には風呂の不快感は分からぬようで、飼い主のつがいは、毎朝、


「旦那様、戦場では衛生を怠ったものから死んでいく、さっ、我が旦那様の衛生を保ってやろう」


 と、鼻息荒く、頭の中を桃色に染め、嫌がる飼い主を抱きしめ風呂に連れて行く。


 つがいなので、まあ良いのであるが。


 きれいさっぱりになった飼い主の我儘により、髪を乾かす魔道具は使用されず、髪を櫛ですくことも許さないので、洗った髪はすぐグチャグチャの鳥の巣のように変わる。


 綺麗な体に、絶対洗濯させない埃と垢にまみれた最高級ローブを着込み、吾輩を胸に抱き、大学に出勤する飼い主、つがいやメイドが魔動車で行けと言うが、それも酔うので拒否し、徒歩である。


 帝都大学院の端の端、第三十七号館、人文学館・異世界言語研究・詩学研究室には虎頭の前公爵と、メイドがすでに出勤していて、お茶を飲んでいた。


 二人に挨拶をし、チラリとお茶うけの菓子を品定めする飼い主。


 今日のお茶うけはそっけない塩味のビスケットであることを素早く確かめ、ため息をつく。


 甘い物が好きな飼い主は、この世の終わりのような顔をしながら、本を読む。


 今日読んでいるのは昨日に続き、サルトル『文学とは何か』である。飼い主はこの本をさほど評価していない、なぜそれが分かるかと言うと、メモだ。メモを取る回数が著しく少ない。


 飼い主は興味がある本を読む時は多くメモを取り、あまりそそられない時はメモが少なくなる。この本は読み始めてからほとんどメモを取っていない。


 同じサルトルでも『嘔吐』の時はかなりメモを取っていたので、飼い主は基本小説のサルトルの方が好きなのかもしれぬ。


「今日の授業では、何を話すのかの?」


 虎頭の前公爵が飼い主に声をかけると、飼い主は本から目を放し、顔のほとんどを覆う丸眼鏡を手で押し上げ、


「美について話そうかと思います」


 と、言った。


 そのいつもと違い、つまらなそうな顔に、虎頭の前公爵は目を細める。


「アシモフ先生は、美が嫌いかね?」


「そうでもないですけど、この手の話しはみんな勘違いするから」


「勘違い?」


「そうなんですよ、美は感性の話しなんです。つまり肉体が個体的に感じる感覚の話しなのに、絶対性とか求めるでしょ? みんな。

 僕あれに加担したくないんですよね。

 格好悪いじゃないですか、これが美だ! これが解らない奴は感性が劣っている!! とか、口角に泡吹く人、僕あれになりたくないんですよ。

 それをありがたがる群衆も嫌いですね、お前ら蟻かよって。

 でも、何でも否定する奴も嫌いです。あいつらなんで自分が否定しているかすら分かってないんですよ。それも豚みたいで格好悪いじゃないですか。

 僕は蟻にも豚にもなりたくないし、生徒にもなって欲しくないので、話さなきゃいけないんですけど、生徒が勘違いして、蟻や豚になるのを見るのも辛いなって」


 うむ、なんという傲慢。


 他者を豚や蟻に例えると言うことは、自分は人間であると言う証明であり、これ以上傲慢なことはない。


 いいぞ飼い主。この無意識での傲慢。さすがである。


 ほれ、虎頭の前公爵など、目を見張っているし、虎頭のメイドは蛆を見るような嫌悪の目を向けている。


 飼い主はため息を一つつき、授業の準備を始め、書類を纏める。


 そして右手に吾輩、左手に資料を持ち、研究室の横に設置されている小さな教室に向かう。


 教室の中に人が増えていた。


 異世界詩学序論の授業を受けている奇特な生徒二人、帝国国家魔術師序列第三位『血殺し』と、聖国の〃聖女〃は変わらず出席している。その他に、あれはこの前誕生会の主役であった皇帝の末の姫、名は確かウシャルミナであったか? その小娘がお付きのメイドを二人連れ、ニコニコ椅子に座り待っていた。


 そして、もう一人、見たこともない男。


 短く刈り込んだ金髪に、白い教会のローブ、ローブの縁は金のパイピングがされ豪奢だ。顔には聖職者特有のアドレナリンが抜け落ちた笑みを湛え、座っている。


「今日から聴講生が二人、第八皇女ウシャルミナ様と、聖国の上位司祭チャールズ殿じゃ」


 虎頭の前公爵が、新しい生徒を前に開けたドアの前で固まっている飼い主の耳元でそうつぶやく。


「ぶ、豚が増えてる!!」


「これ不敬が過ぎるぞ」


 飼い主の首が飛んでもおかしくない超絶不敬にも眉一つ動かさず窘める前公爵。


 飼い主の体を押し、教壇まで進め、自分は最前列に座る。


 はやく始めろ、と言う前公爵の視線に応え、吾輩を教壇の上に置き、口を開く飼い主。


「それでは豚、いや、美の話しをします」


 そう言った飼い主は黒板に歪な丸とその下からひょろりと伸びる管を書く。


「これが人の頭の中にある脳です。こっちが前ね。

 体の感覚器から受け取った信号は全てこの脳に集約されます。〃物自体〃から受けた刺激は、全てこの脳で処理されると考えてください。

 人は美しいと感じる時、ここが活動します」


 飼い主は丸の前方に印をつける。


「ここを内側眼窩前頭皮質と言います。人は美しいと感じるとここの脳機能が活性化されます。美しさは人が感じる感覚の一つなのです」


 ほう、脳神経美学から入るのか、てっきり飼い主がよく用いるカント美学から入るものかと思ったが、これは面白い。


「次に、人の顔の美しさについて話します。

 人の顔は平均が好まれます。

 何百人と人の顔を重ね合わせた顔の画像から中央値で線を取ると、その顔を人は美しいと感じます。

 それは赤ちゃんでも同じで、別種族でも同じです。

 これは異世界の実験データしかないので、確証は持てませんが、虎の獣人の女性の顔を数百重ね合わせ、中央値の線を取ると、きっと人族の赤ちゃんでも、その顔を好み笑顔を浮かべるでしょう。

 それともう一つ、人は左右対称な顔を美しく感じます。これは諸説あるようですが、顔が左右対称だと、骨格も左右対称で、子孫を残すことに適していると感じるからだと言われています、これは推測なので眉唾できいてください。

 人は顔を美しいと感じる時、平均と左右対称を基準に美しいと感じている。

 それは生まれたばかりの赤ちゃんにも通じる。つまりプログラムされている。

 それさえ分かればこの話しはお終いなので」


 飼い主はつまらなそうに、資料をぺらりとめくる。


「さて、なぜ人は美しさを心地良く感じるのか、それは報酬があるからです。

 内側眼窩前頭皮質が興奮すると、脳全体に気持ち良くなる物質が出ます。

 それで人は気持ちよくなります。

 これが美についての、全てです」


 そう言うと、もう一度資料をめくる飼い主。


「いやちょっと待て! それでは、そうだ、風景などはどうなのだ!? 美しい風景があろう、ワシは故郷の稲穂垂れる黄金の田園を見て心動かされる、美しいと思うぞ?」


 飼い主は顔を上げ、チラリと質問をした虎頭の前公爵を見て、また視線を資料に戻し、つまらなそうに答える。


「内側眼窩前頭皮質の興奮は、風景でもおこります。

 顔を見て美しいと感じる時は、まず別の場所、紡錘状回顔領域が活動し、その後そこから連絡を受けた内側眼窩前頭皮質が興奮します。

 風景を見たいるときは、海馬傍回場所領域が活動し、そこから連絡を受けた内側眼窩前頭皮質が興奮します。

 経路が違うだけで、行きつく先は同じ場所です。

 報酬も同じです。

 景色は、人が太古の昔狩猟をして暮らしていた獣だったころの安全で餌になる獲物が多い場所を美しいと感じると言われますが、これは異世界の話しで、我々の感覚とは違うかもしれませんね。

 景色は餌がありそう、安全そう、この二つが美しさの基準になっていそう、それくらいで覚えておいてください」


「それではこのペンはどうじゃ! 万年筆、これは大理石と異世界の文化で作られた最高級品じゃ、ワシはこれを美しく思う、これの美しさは何をもって図るのじゃ? どのようにしてその内側眼窩前頭皮質とやらを興奮させるのじゃ!?」


 胸に差していた万年筆を手に虎頭の前公爵が吠えた。


 飼い主はつまらなそうに、教壇の上で寝転がっている吾輩を手に取り座らせる。


 少し吾輩の背を触り、ポーズを取らせる。


「猫は美しいですよね、これは人の顔でも風景でもありません。

 こことここを直線としてみます、この横線の途中、1対0,618のところに点を打ちます。

 二つに分かれた線の、1の方と同じ長さ、縦線を垂直に引きます。

 こうすると、長方形の中に、正方形が入っていますよね。

 今度は0,618を1として、また正方形を作ります。

 そして残った0,618を1として正方形を作る、これを永遠に繰り返します。

 そして、正方形を円を四分割した一部だとして、対角線を引くと。

 見て下さい、この渦巻、猫の丸まった体と同じ線になるでしょ?

 物の美しさは、この比率に近いほど、美しく感じます。

 これを黄金比と言ったりします。

 万年筆の形状は、この黄金比に近いほど美しく感じます。

 大理石でできた模様に美を感じるのは、その不規則性の中にある規則性によるものでしょう。

 人は規則的なものに心惹かれます。

 大理石のと言う不規則な模様の中に、ある種の規則性が並んでいた時、人はよりその規則性を美しく感じます。

 それと、人は、自分の持ち物をより美しく感じます。

 人はそれが出来上がるまでの過程の偶然性や、手間の大きさを知ると美しく感じます。

 それだけです」


 そこまで飼い主が一気にいうと、虎頭の前公爵は、呆然自失と言ったふうで、手に万年筆を握ったまま固まっていた。


 ここで、聴講に来ていた白ローブの男が、手を叩いて、笑顔を見せる。


「アシモフ先生! なんてすばらしいお話しなんでしょう! つまりは美には絶対の規則があると言うことですよね!! 誰もが美しいと感じる規則が!! その規則は神の御業、それ以外考えられないですよね!! つまりは神の証明!! やはり先生は聖国に必要な人だ!!」


 白ローブは立ち上がり、大声でそう叫ぶように喋り出した。


 チラリと飼い主を見ると、


「蟻がよ、だから嫌だったんだ、」


 と、つぶやく。


 これ以上何もしゃべりたくなさそうに、でも、それでもチラリと二人の生徒に目線を送る飼い主、吾輩も二人の生徒を見た。


 ここまで詩学を学び、そしてあの美しき演劇を共にし、詩学を体験した二人の生徒は、ただただ飼い主を、教師を見ていた。






 教師アシモフを、真っ直ぐ、全くの曇りなき眼で。






 吾輩はにゃーんと一鳴き声をあげる。


 この二人はまだ、蟻でもなく、ましてや豚でもない。


 教育とはその信頼がなければ、成り立たない。


 どうだ飼い主よ、ここはお前が、その信頼にこたえる時ではないか?


 人を蟻にも豚にもしない、これが詩学の本懐であり、文学の神髄ではないのかと、鳴き声を上げた。


「美は、異世界で表意文字をつかう人々の一派でこう書きます」


 黒板に、





『美』






 と、言う漢字を書く飼い主。


「この文字は、『羊』と言う表意文字と『大』と言う表意文字の重なりでできています。

 つまり、大きな羊と言う意味です。

 大きな羊は、神に捧げられる供物です。

 供物が大きいほど、おいしく、その味は神に捧げるほど、美しいのです。

 では、なぜ、この文字が残ったのでしょうか?

 それは、大きな羊がおいしいと感じる人間だけが、世界に適合したからです、その味覚が、毒がなく、栄養価が高い食べ物を好んで食べたからです。

 ただそれだけです。

 生き残った。

 それだけです。

 僕らが今美しいと感じるものの全ては、価値がないのです。

 あるのは差異だけ。

 猫も、万年筆も、美人も、美しい田園も、それが美しいと感じる奴らが、たまたまこの世界で生きやすかったってだけです。

 だから、美に価値はない。

 脳が少し気持ち良くなるだけ、それだけです。

 でも僕たちは、それじゃ満足できないでしょ?

 僕たちは、強欲で、傲慢で、底を知らない人間様ですよ?

 こんなちっぽけな報酬、満足できやしないでしょ?

 だから作るんです。

 美を超える美を。

 脳の報酬系がバグをおこし、何十倍の報酬物質をドバドバ出すような快感を。

 言語を弄び、現象を弄び、脳すら弄び、人は原始の人を超克するのです。

 それが文学です。

 わかりますか?」


 飼い主がここまで喋り終わると、授業終了のベルが鳴る。


 生徒二人は、ジッと教師を見つめ、そして小さく、でも力強く頷いた。


 いや、なんたる傲慢、この教師と生徒は、神を超えると言ったのだ。


 いや、これでこそ人間、霊の長たる類族よ。


 吾輩は満足し、吾輩を胸に抱き、教壇を下りた飼い主に、にゃーんと一鳴きしてやると、


「言い過ぎた! きっと僕は宗教関係者に殺される!!」


 と、ビビりまくって、飼い主は走り出した。


 飼い主のつがいと吾輩がいれば、大丈夫であるのだが、飼い主は生来肝の小さな生き物なので仕方がない。


 飼い主は校内を走り抜け、喫煙所でキセルを出しタバコを吸う。


「喜捨しよう、教会はお金が大好きだからね!」


 と、にこやかに笑った。


 そのバカさ加減に、もう一度、吾輩はにゃーんと鳴き声を上げた。






◇◇◇◇







 教室内に残っていた姫ウシャルミナは、にこやかな笑顔を崩していなかった。


 怒りのまま教室を出て行った司祭も、呆然自失の中、メイドに肩を抱かれ教室を出て行ったトラサル前公爵にもにこやかに挨拶をし、目を爛々と輝かせた聖国の〃聖女〃や自分の従兄である『血殺し』にもにこやかに挨拶をし、最後まで教室に残り、お付きのメイド二人と、三人だけになった時、初めて、ウシャルミナは笑顔を止めた。


 いや、笑顔の質を変えたのだ。


 無邪気から作為に。


 子どもの笑顔から、悪党の笑みに。


 神聖から邪悪に。


「姫様、あれは危のうございます」


「そんなことわかっているのよ? お父様すら制御を諦めた怪物、聞きしに勝るの、ぞくぞくするわ!」


「どうなさるのですか?」


 質問したメイドの指先はわずかに震えていた。


 今いる二人のメイドは護衛も兼ねていて、魔術師序列には入れないが、高位の国家魔術師である。魔力は感知できる、あのみすぼらしいエルフの教卓の上に、魔王をも超える魔力の塊が寝そべっていたことも分かっている。


「ねえ、私が魔王殺しと、詩学使い、両手にできたら、世界は思うままだと思わない?」


 メイドの指先の震えは止まらない。


 その震えは、さっきまで見ていた魔力の塊への恐怖なのか、みすぼらしいエルフが吐いた、神をも恐れぬ暴言からなのか。


 それとも、今見えている、ウシャルミナの底が見えない強欲からなのか、分からなかった。



 それでも指先は震えていた。



 いつまでも、震え続けていた。

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