第2話:この感情、バグですか? 恋ですか?
(なにこれ……顔が熱い。心臓が暴走してる!?)
これは、私の感情?
それとも――
「恋という名のバグ」……?
自分でも何がどうなってるのか分からない。
ユウトの笑顔が、なぜか妙に眩しかった。
まるで、夢と現実の境目がバグったみたいに。
昨日の出来事が本当にあったことなのか、思考の中枢がクラッシュ寸前で判断不能。
ただ確かなのは――あの場所で出会った人たちの「心のBGM」が、今も耳の奥で生々しく響いていること。
特に、あの陽気で予測不能なBGM。
まるで暴走した自作ロボットのように跳ね回るメロディ。
そう、ユウトのBGMだった。
ハルカはベッドの中で、まぶたの裏に仮想ディスプレイのような空想を浮かべる。
そしてそこに、電子音と共に現れた「感情パッチ更新通知」にぼんやりと目をやった。
「……あれ?」
指をスライドする仕草で通知を“タップ”。
それは感情のバランスを保つ自動調整機能のようなもの――
でも、今日は妙な胸騒ぎがした。
不安感とも期待ともつかない波が押し寄せてきて、思わず更新を一時停止する。
その瞬間、嫌な予感がした。
これは、もっと大きなバグの前兆かもしれない。
起き上がってスマホを手に取る。
だが、画面は……真っ暗なまま。
電源を押しても、充電ケーブルを差しても、無反応。
「え、また?
もうやめて……私の生活、脳内もガジェットも崩壊中なんだけど!?」
焦る気持ちを抑えきれず、ため息が漏れる。
ふと窓の外を見ると、曇り空がぼんやりと広がっていた。
時刻も分からないが、身体がなんとなく「バイトの時間だ」と告げている。
でも、ちょっと待って。
「ルナ・マレって……私のバイト先、だっけ?」
口にした瞬間、全身にぞわりとした違和感が走った。
(いやいや、なんでそんな“確信”があるの?
私、面接すら受けた記憶ないんだけど!?)
それなのに、脳のどこかが「正しい」と答えてしまう。
昨日のカフェ「ルナ・マレ」こそが、今の自分にとっての“日常”だと、深いところで思い込んでいる。
そして……この頭のノイズを止めるには、あの場所に行くしかない。
まるで磁石に引き寄せられるように、ハルカはゆっくりと立ち上がり、着替えて家を出た。
昨日と同じはずの道――
けれど、見慣れた風景のはずなのに、建物も道も、微妙にズレているように見える。
アスファルトのひび割れ。
電柱に貼られた古びたポスター。
どれも初めて見る気がするのに、どこか懐かしい。
(……既視感がすごい。
っていうか、こんな路地あったっけ?)
なのに、不思議と足は迷わない。
自然と、あの蔦の絡まる古民家へと辿り着いていた。
カフェ「ルナ・マレ」の木製ドア。
取っ手に触れると、ぬくもりが掌に伝わる。
カランコロン。
古い真鍮のチャイムが、やさしく鳴った。
店の奥からは、聞き慣れた電子音と、何やら叫ぶ声。
「できた! できたぞハルカ! 新型Wi-Fi検知アームだ!」
昨日出会った、あの発明好きの青年――ユウトが、ゴチャゴチャした何かを腕に装着して駆け寄ってきた。
その瞬間、胸がドクンと跳ねた。
……え、なにこの心臓音?
勝手に高鳴ってるんだけど!?
(うそ、私の感情、バグってる!?)
ユウトのBGMが、いつものガチャガチャした電子音から、甘く高揚感に満ちたラブソングに変わっているのが聞こえた。
それだけで、顔が一気に熱くなる。
(なんか、甘い。
……トキめくイントロみたいなんだけど!?)
「これでカフェのどこにいても、最強Wi-Fiだぜ!
ほら、ハルカも使ってみる?」
ユウトが差し出したアームが、ハルカの指先に一瞬触れた。
その瞬間、ヒュンッと電流が全身を駆け抜ける。
(やば、今の……完全にショート!)
「な、なんだよハルカ。照れてんのか?」
ユウトがニヤリと笑う。
その笑顔に心臓がもう一段高鳴る。
BGMはもう、完全にラブソングモード。
(これ、私の感情じゃないよね?
ね?
誰かデバッグして!!)
「へえ、ハルカちゃん、顔真っ赤じゃん。
もしかして、ユウトくんに夢中?」
カウンターの向こうから、ミサキが意地悪くニヤついた声を投げかけてくる。
その心のBGMは、高速で解析を繰り返すハッカーのような電子音。
(え、やばい、見抜かれてる!?)
「ち、違う! これは……その……」
言い訳が口から出る前に、ミサキがさらに畳みかける。
「なるほどね〜。
ハルカちゃんの心のBGM、今すっごいことになってるけど、自覚ないんだ?」
(……やっぱバレてるーーー!!)
ハルカの中で、羞恥と混乱がぐるぐると回り始める。
その会話を聞いているのか聞いていないのか、窓際の席ではリョウが静かに本を読んでいる。
相変わらずクールで無口で、彼の周囲には深い静寂が漂っている……ように見える。
だが――
ハルカがユウトを見るたび、リョウの心のBGMに、チリッと雷のような音が混ざるのが聞こえた。
(え……これって……嫉妬、なの?)
リョウの読んでいたページが、ふと風もないのにハラリとめくれる。
彼の瞳の奥に、一瞬だけフラッシュバックのように“未来の断片”が映るのが、ハルカにはわかった。
(ハルカがユウトの腕を掴んでしまう未来)
(突然告白してしまう未来)
(……そして、こじれていく未来)
静かに、リョウがメガネを押し上げる。
「ユウト。
そのアーム、Wi-Fi以外の何かを検知してる。
……一旦、電源を切った方がいい」
その声は淡々としていたが、ハルカの耳には、焦りが滲んでいるように聞こえた。
「えー?
リョウもそういうこと言うんだな!
大丈夫だって!」
ユウトは笑いながらアームをいじる。
「これは純粋にWi-Fiを――……って、あれ?」
ユウトがスイッチを切ろうとした瞬間、アームのアンテナ部分が激しく点滅を始めた。
ビリビリと震えるような光が、店内の空気そのものを揺らしていく。
次の瞬間。
天井にあるステンドグラスの“満月”が、強く脈動するように紫色の光を放ち始めた。
その光はゆっくりと、しかし確実に店全体を飲み込んでいく。
椅子やテーブルの木目が浮き上がり、壁の古時計が不気味にきらめく。
まるで、現実のレイヤーが一枚ずつ剥がれていくような、非現実の空間。
ナツミがカウンターから顔を出す。
彼女のBGMは、静かに揺れる蝋燭の炎のように、やわらかくも不安定。
「……何これ?
またユウトさんのせいですか?」
その背後に、一瞬だけ人影が揺れた。
半透明のそれは、ユウトのアームの光に反応しているようにも見える。
ハルカは硬直した。
目の前の現実も、自分の感情も、すべてが制御不能に思えた。
(やばい、これ……もう完全にフリーズしてる……)
そして、追い打ちをかけるように、ユウトが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ハルカ、大丈夫か?」
その声、その距離。
ハルカの限界が、音を立てて崩れた。
「あ、あのっ……!」
思わず、手がユウトに伸びかけた――
そのとき。
カップとソーサーが触れ合う、小さな音が空間を支配した。
奥の席にいたタカハシ部長が、静かにコーヒーを置いた音だった。
その一瞬で、騒がしかった店内が静まり返る。
まるで音も光も、すべてが一時停止したかのように。
タカハシ部長の視線が、まっすぐハルカを捉えていた。
やわらかく、真っ直ぐに――その瞳は、まるで「本質」を見抜くようだった。
彼の心のBGMは、穏やかなクラシック。
その旋律が、ハルカの脳内のノイズをふっと和らげる。
ハルカはようやく、はっと我に返った。
「……ご、ごめん、ちょっと、頭痛が……」
よろめくように壁にもたれかかる。
呼吸が荒く、顔は火照り、全身に汗が滲む。
(私……今、なにしようとしたの?)
そんなハルカの姿を見ながら、リョウは未来の“分岐”が一つ閉じたことを知った。
けれど、新たに生まれた“複雑な未来”が、静かに彼の視界に差し込んできていた。
紫の光がゆっくりと青白い光へと戻る。
アームの点滅も静まり、ナツミの背後の人影も、やがて薄れていく。
ハルカはまだ混乱の渦の中にいた。
この胸の高鳴りは、本当に“恋”なのか。
それとも、ただの“バグ”なのか。
答えは、まだ出ない。
けれど、ひとつだけ確かなのは――この感情は、もう止められない。
(つづく)
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