第3話
彼女を見た時に思い出した。
俺はあの日、仲間と一緒にガルムの森へと入って行った。ギルドでの依頼は、ガルムの森で採取できる薬草、『月の吐息』を三株。魔物が多く出る危険な森ということで、できれば冒険者ランクAの人間が推奨だったが、どうしても俺は挑戦したかった。
俺は冒険者ランクBのまま三年が経とうとしていたが、剣の腕には自信があった。防具と魔道具は質のいいものを準備し、Aランクの友人と一緒に森の中で出てきた巨大な蛇の魔物と戦った。
多分、そこで俺は死んだんだろう。
魔物が吐き出した毒液を浴びた瞬間の、凄まじい熱を感じた後からの記憶がない。
いや、違う。
気が付いたら、何もかも忘れていた。俺の名前、過去、どうしてここにいるのか。どうしてこうなっているのか。誰も俺の存在に気が付かず、俺は森の外に出て空気のように漂っていた。
でも、思い出したんだ。
俺は金が必要だった。彼女に結婚を申し込むつもりだった。彼女が昔、手放してしまったという母親の形見の指輪を質屋で見つけたから、それを買い戻してプレゼントにすると決めていた。
しかし――失敗したんだろう。
それで……どうしたらいい?
俺は、このまま見守ることしかできないんだろうか?
※※※
「あら、混んでらっしゃいますわね」
アリーシャは口元に白い手を当てて、のんびりとした口調で声を上げた。
今日のアリーシャは、シンプルな緑色のワンピースに身を包み、髪の毛も後頭部で結い上げているもののアクセサリーは何もつけていない。いわゆる貴族のお忍びデートという感じで、町娘を演じているが――もちろん、隠しきれているはずがない。どこからどう見ても、高貴な身分の少女である。
それに比べて、私は街並みに馴染んでいる。
我が家が経営している商会では、私も定期的に顔を出して一緒に働くこともある。魔道具制作の現場や、店頭に立つ時に貴族らしい格好をしているのも馬鹿らしい。くたびれたシャツやズボン、もしくは接客のための制服。口調さえも雑になることがある。
こんな状態だから、おそらく我々二人の様子は、お忍びで街に出た貴族の令嬢と使用人、程度に見えているだろう。
「人気店だから仕方ないのかもしれないな」
私の声は、僅かに落胆していただろう。
アリーシャの希望で、王都で人気のパンケーキを出す店に来たのだが、大通り沿いにあるその店は大盛況で、数十人が並んでいるのが遠目でもしっかり見えた。
行き交う魔導馬車、足早に歩く人々。賑やかな話し声と、客を呼び込む大声。
『並びたい。並ぼうよ』
そして、相変わらずアリーシャの足元に纏わりつく透き通った少女。その声はアリーシャには聞こえていないようだが、アリーシャの視線も「レックス様……」と言下に並びたいと伝えてくる。私としても、さすがに二人のキラキラした瞳に逆らえるはずもない。
「じゃあ、並ぼうか。アリーシャ……じゃなかった、アリー」
「はい」
町娘らしい名前、アリーと呼んでくださいませ、と言われたのでその通りにすると、彼女はぱっと頬を赤く染めて恥じらった。何だこの生き物は。女の子というのはこういうものなのか。
しかし、その店に近づくにつれて、店の前で並ぶ人たちが日差しを避けることもできずにいることに気づくと、私は僅かに悩むことになる。さすがにこの状態でアリーシャを並ばせるのは――。
『ねえねえ、あっちにもお店あるよ』
マーガレットがアリーシャのドレスを掴むような仕草を見せる。アリーシャもマーガレットと同じように辺りを見回していて、同じ店に気づいたらしかった。
「あら、レックス様、あちらにも」
と、私の手を引いてアリーシャが歩きだす。
大人気の店は建物も新しく、大きな窓からは可愛らしい店内が見え、甘い香りが大通りの方にまで漂っている。
そして我々が見つけたその店は、大通りから路地裏に一歩入ったところにある小さな店で、店構えも年季が入っている小さな建物だ。古びた看板、若い人ではなく年配の人たちが好むような、静けさを纏っていた。
だが、店の前に置かれた看板には、おすすめのメニューとしてパンケーキ、フルーツタルト、サンドイッチのセット、の文字が並んでいる。
「あの、レックス様」
アリーシャが眉間に皺を寄せて何事か考えこんだ後、ぽん、と手を叩いて微笑んだ。「混みすぎて落ち着かないお店より、こういう落ち着いたお店の方が……デートにはちょうどいいのかもしれませんわ」
「そ、そうだな」
私は思わず自分の胸に手を置いて、乱れた鼓動と緩む表情を引き締めようと努力した。おそらく、それは失敗している。これは何の試練なんだ。
カランカラン、とドアにつけられたベルが鳴る。
我々がその店――月の宿り木亭、と書かれた看板の下を通って店内に入ると、予想していた通りの落ち着いた空気が出迎えてくれた。
カウンター席とテーブル席を合わせても、二十人も入れない小さな店だ。アンティークと呼んでもいいテーブルランプが置かれた席、ウサギや猫といった木彫りの置物が床にはあり、可愛らしい花が飾られた花瓶。カウンターの中には二十代と思われる女性が立っており、柔和な笑顔をこちらに向けてきた。
「いらっしゃいませ。空いている席にどうぞ」
私は狭い店内を見回し、奥の小さなテーブル席にアリーシャを促し、椅子を引いて彼女を座らせた。
周りには裕福そうな服に身を包んだ男性客、老夫婦、悩みの相談でもしているのか深刻そうな表情の女の子たち――という客の姿。だからなのか、彼らは我々のことなど気にせず自分たちの時間に集中している。それがありがたく、むしろいい店を見つけたと嬉しく思った。
「パンケーキはトッピングが選べます。黄金桃とクリーム、焼きバナナとクリーム、男性ならベーコンと卵焼きトッピングのお食事系も人気ですね」
カウンターから出てきた女性は、果実水の入ったコップを私たちの前に出しながら説明してくれた。
宝石のような光を宿した瞳のアリーシャが、どうしよう、どうしようと呟きながら悩み、その肩に背後から抱き着いたマーガレットが『全部食べたい、全部!』と無茶なことを言っているのを聞きながら、私はベーコンと卵焼きのパンケーキを選んだ。
「コーヒーもいかがです?」
とその女性――どうやら店主らしい彼女のおすすめを受け入れ、コーヒーを頼む。
アリーシャは結局、黄金桃を選んだようで、フルーツティーを一緒に注文した。
「小さいけれど素敵なお店ですね。女性一人で営業しているのでしょうか」
アリーシャは果実水のコップに手を伸ばし、その格好のまま首を傾げる。
「そうだな。一人では大変そうだが」
私はカウンターの中に入り、手際よくパンケーキの生地を混ぜ、魔道コンロの上に置いたフライパンに流し込んでいく様子を見守ったが、若い女性にしては渋い店内だな、と考えた。
しかし、小さい店だからか調理スペースも限られており、結構大変そうだ、と思ってしまう。
魔道コンロはうちの商会でも作っているが、こういった飲食店向けのものは少なかった。
大きいコンロと大きな鉄板を造るなら――と、仕事のことを考えてしまいそうな自分に気づいて、軽く頭を振った。アリーシャと一緒にいるのに、今だけは商品開発のことはどこかに置いておくべきだ。
我々のテーブルにパンケーキが並んだのは、アリーシャが私が通う学園のことを色々訊いていた時だった。早く一緒に通いたいのです、と微笑む彼女は、やはり可愛い。
肩に抱き着くマーガレットも、『わたしも行くぅ』と言っているのが気になるところだが。というか、この少女はいつ消えてくれるのか。アリーシャに懐きすぎだろう。アリーシャは彼女の声が聞こえないというのに。
もちろん、私もずっと聞こえないふりをしている。まあ、視線が合うことが多いので少女は私が『視えている』ことには気づいているようだが。
「ミリアムちゃん、彼氏は帰ってこないのかい」
その時、カウンター席に座っていた四十代くらいの男性が店主の女性に声をかけた。
「……ええ、そうですね」
「心配だね。彼は依頼を受けて森に向かったんだろう? 何か事故にあったのかもしれないし、それで、ギルドに捜索依頼は出したのかな?」
「はい……」
眉尻を下げた彼女の名前は、どうやらミリアムというらしい。そして客の男性もミリアムも、気まずそうに黙り込んだのを横目に、何となく――そういうことなのか、と察してしまった。
王都の外に出れば、深い森や山がある。そしてそこには、色々な魔物が生息している。
魔物は人間を襲い、殺す。
だが、ギルドに登録している人間たちは金を手に入れるために、色々な依頼を受けて森や山に魔道具の素材になるものや薬草、さらには魔物を倒してその躰に埋まっている魔石を手に入れる。
当然ながら、そこで命を落とす人間もいる。
だからおそらく――と思ったのだ。
やはり武器、防具、魔道具はもっと高品質なものを造らねば……と、また物思いにふけりそうな自分に気づき、慌てて目の前にいるアリーシャに意識を向けた。
「美味しいです、レックス様」
小さく囁く彼女の声は、相変わらず穏やかだ。だが。
「アリー。ここでは、私のこともレックスと呼び捨てで」
「え」
「誰が聞いているか解らないし、その様子だと我々が貴族だとバレてしまうよ」
「う」
アリーシャは目を白黒させた後、顔全体を赤く染めて小さく言った。
「れ、れっくす……」
と、俯いて照れている彼女を見て、何だかよく解らないけれど『勝ったな』と思った。自分でもよく解らないが。
そう言えば、以前彼女が言っていたこと――小説、ヒロイン、悪役令嬢についてももっと聞きたいところだ、と悩む。噂のヒロインとやらが彼女の傍から離れないのも、どうしたらいいのか解らない。
彼女は私が知らないことを知っている。死者の心臓についても情報を持っているかもしれない。
どう聞き出すか……とタイミングを計っていると、カランカラン、とドアベルが鳴った。
「こんにちは、ミリアムさん」
カウンターにまっすぐ向かってきた女性は、背中に長剣を背負っていた。背が高く、しっかりと鍛えているらしい体躯。短めのマントとロングブーツ、動きやすそうな革の鎧。左腕は怪我をしているようで、包帯が巻かれている。
筋力を上げるための魔道具が両手首に付けられている。ということは、両足、ブーツの下に同じような魔道具が装着されているだろう。
長い髪の毛は後頭部で縛ってポニーテールにしていて、話し方もどことなく女性らしさがないというか……険のある鋭いものだった。
「いらっしゃいませ」
と、笑顔を向けたミリアム嬢に、その女性は冷ややかに続けた。
「わたしは客じゃない。オーエンのことで話がある」
「オーエン?」
その名前を聞いて、ミリアム嬢の声に緊張が走る。そして、すぐ傍のカウンター席にいた男性が顔を顰めて女剣士を見やる。
「ああ。悪いが、オーエンはもうここには帰ってこない」
「……それって」
さっと顔色を失ったミリアム嬢に向かって、女剣士がポケットから取り出した何かを差し出した。
「オーエンからの預かり物だ。確かに返した」
彼女はそう言ってくるりと踵を返すが、ミリアムは手の中に押し付けられたそれを見てくしゃりと顔を歪め、必死に剣士の背中を呼び止める。
「待ってください! あなたは誰!? どうしてあなたがこれを持ってるの? この指輪は、去年の豊穣祭でわたしとお揃いで買ったもので……」
「察しが悪いね」
女剣士はため息交じりに笑う。「君は捨てられたんだよ。もう、あいつのことは忘れて他の男を探した方がいい」
「どうして!?」
もうここまで騒いでいると、狭い店内にいる数少ない客の視線は彼女たちに向けられていて、固唾を飲んでいる状況だった。
「オーエンの傍にはわたしがいる。君はわたしの名前を聞いたことがあるかい? わたしはダーシー・ウォルト。オーエンの幼馴染で、君よりもずっと付き合いが長い。気まぐれに君と付き合ったみたいだけどね、結局はわたしから離れることができないらしい。君は捨てられたんだ」
「嘘でしょ」
ミリアム嬢が茫然と女剣士の背中を見つめている間に、話は終わったと言いたげに軽く右手を上げ、剣士はドアベルを鳴らして外へと出て行った。
「……力を落とさないようにな」
カウンター席から男性の声が小さく響く。
しかしミリアム嬢は、ずっと俯いたまま肩を震わせていて――やがて、小さく呟いた。
「ごめんなさい、今日はもう店を閉めます」
できるだけ静かに、店内の客はそれぞれテーブルやカウンターの上にお金を置いて出て行く。
アリーシャも痛ましげに店主の方を見つめていたが、わたしの腕をそっと掴み、外に出ようと促してくる。
だが。
どうしたらいいだろうか。
ミリアム嬢が肩を震わせて俯いているその横で、透き通った身体を持つ男性が、茫然と立ち尽くしているのが見えたからだ。
マーガレットが心配そうな視線を彼に向けたかと思えば、氷の上を滑るかのような動きでその男性のところへ進んで行った。
その男性は細身ではあるが背が高く、鍛えているのが一目で解るような体つきをしている。茶髪に優し気な顔立ちだったが、苦し気に顔を歪めながら、カウンターの中をウロウロと動き回っていた。
『お兄さん、この人の恋人?』
マーガレットが無邪気な笑顔を向けてそう訊くと、男性が眉尻を下げて苦笑した。
『そうだった』
『そうだった?』
『ああ。彼女を見て思い出した。自分が誰だったのか、自分が死んだらしいってことも』
彼らの会話は聞こえてきたが、アリーシャが私の手を引くので、そのまま店を出ようと足を踏み出した。
『うん、死んだってのはわたしとお揃い』
マーガレットのお気楽な声に、相手の男性の纏う空気がふわりと緩んだ。
『そうだな。君も死んでるんだな』
『うん。でもお兄さん、どうして死んじゃったの?』
『どうしてって……』
それまで、私は彼らを放置して店外に出るつもりだった。他の客も全員出て行ってしまっていたし、最後が我々だったのだ。
だが。
『今、思い出したんだけどな、魔物が襲ってきた時、装備していた魔道具が発動しなかったんだ』
そこで、私の足が止まる。手をつないでいたアリーシャも怪訝そうな目で私を振り返り、小首を傾げる。
悩んだの一瞬で、その場でカウンターの方に顔を向けて、必死に言葉を探した。
「すみません」
どうしようか。
透き通った人間が見えるとか、そんなことを言えば頭がおかしいと思われるのは当然だし、ショックを受けている女性に不必要な言葉を投げたら、それこそ殴られても文句は言えない。
マーガレットとその脇に立つ男性の視線を感じながらも、私は何も見えてないぞ、と自分に言い聞かせてミリアム嬢に言った。
「余計なお節介かもしれませんが、その……。ギルドに問い合わせをしたらどうでしょうか。ギルドに登録している人なら、生死が、つまり、本当のことが解るかもしれませんし」
「生死」
それまで、迷惑そうに私を見つめていたミリアム嬢が息を呑んだ。「彼が……オーエンがもしかしたら」
「あの、勝手な想像で言って申し訳ないのですが……さっきの女性、あなたを悲しませたくなかったんじゃないですか? いや、どっちが悲しいかというのは人それぞれですが、あなたの待ち人が亡くなったと伝えるよりも、心変わりして消えた、とした方が……あなたが別の男性を探す活力になったと考えて、それであんなことを言った可能性もあるかと考えまして」
「あら」
私の横で、アリーシャが小さく吐息を漏らした。何だか意外だ、と考えているような響きであり、そしてそれは私も自覚していた。私は元々、他人に興味を持つ性格をしていない。こうして、進んで他人に関わることなどこれまでしてこなかった。
「確かめてみます」
ミリアム嬢が口元をきゅっと引き締め、私に頭を下げる。
それを複雑そうな視線で見つめる男性を視界の隅に入れながら、僅かな違和感を覚えた。
でも、それより気になるのは――。
「こんな時に訊くのはどうかと思うんですが」
私は言葉を続けた。「その人が使っていた魔道具……どこの商会の物かご存知でしたら教えていただきたいのですが」
「魔道具ですか? 確か……」
『俺が使っていたのは、ほとんどがクインズロード商会のやつだ』
普通は見えない存在である男性が、そこで口を挟んできた。
なるほど。私の――メイトランド商会の商売敵の商品か。
――少し、調べる必要があるな。
そんなことを考えながら、私はアリーシャの手を取って店外へ出た。アリーシャとのデートは、雑貨屋、本屋と続いたが――少しだけ、マーガレットの姿は消えたままだった。
どうやら、彼女は透き通った仲間と何か話をしていたらしい。それが解ったのは、翌週、私がアリーシャの屋敷を訪ねた時だった。
『ねえねえ。見えてるんでしょ? 聞こえてるんでしょ? あの後、何があったか知りたい?』
アリーシャの屋敷の応接室で、いつものように使用人を除けば二人きりでお茶の時間を楽しもうとしていた時、マーガレットは私の顔を見上げて言ってきた。
確かに気になるのは事実だが、今は――。
「アリーシャ、入学の準備は進んでる?」
私は紅茶の香りを楽しむ彼女にそう訊いた。
「進んでますわ。でも、今、心配なのは魔法の訓練ですわね。入学前の試験で、わたしの魔力量は多いのですが、安定していないと言われまして。必須科目に魔道具制作もありますよね? あれこそ、繊細な魔力操作が必要だと言われてますし……」
「それなら、私が力になるよ」
「本当ですか? 嬉しいですわ!」
アリーシャがソファから立ち上がると私の手を取り、その目を輝かせた。可愛い。やはりこの破壊力は強烈だ。
「私も、君の力になれたら嬉しいよ」
私は自分の声に熱がこもったのを自覚しつつ、横目でマーガレットの姿も確認していた。彼女は私の横で、話を聞いてくれないと知って唇を尖らせている。不満げな表情のままソファのひじ掛けに顎を乗せ、私を見上げてくるのは……少し怖い。
まあ、そんな感じでいつも通りアリーシャとの時間を過ごした後、私は自分の屋敷に戻ったのだが――マーガレットが私の後をついて魔導馬車に乗り込んできた。
そしてその夜、マーガレットがあの彼――オーエンという男性から聞いたことを説明してくれた。
※※※
こんなことを君のような子供に言うのもどうかと思うんだが、俺の話を聞いてくれるのは誰もいないしな。解らなくてもいい、少しだけ付き合ってくれ。
俺は正直、女心ってものを理解してなかったんだと思う。まさか、こんなことになるなんて思ってもみなかったんだ。
ダーシー・ウォルトは俺の幼馴染で、確かに付き合いは長い。でも、彼女はただの友人で、女性として見たことがなかった。彼女もまた、いつも言ってたんだ。
「わたしより弱い男なんて認めないよ」
ってね。
彼女は女性だったけど剣の腕は一流で、俺よりもずっと早くギルドランクAに上がってた。俺は彼女のことは魔物を倒す仲間として尊敬していたし、俺にとっては女友達というより男友達に近かった。俺がミリアムに一目惚れした時も、ダーシーに相談したしな。
彼女はミリアムを口説いている時だって、もっと頑張れとも言ってくれた。だから純粋に、この恋を応援してくれているんだって思ってた。
でも。
俺がこの姿になってそれまでの記憶を全部失っていた時、彼女は言ったんだ。
魔物に襲われて死んだ俺の手を握りながら、笑って言ったんだよ。
「これで君はわたしのものだ」
って。
その後、俺の死体を抱きしめて、狂ったように笑ったんだよ。
あれほど怖かったことはない。俺は何があったのか解らなかったから、最初は彼女が俺を殺したんじゃないかって思ってた。
だから、あの森から出ても彼女の後をついていった。俺の死体をどうするのかも不安だったし、行く当てもなかったしな。
結局、彼女はギルドに行って俺の死を報告した。この王都の外れにある共同墓地に俺を埋葬して、上機嫌でミリアムの店に向かったよ。彼女の目的が何なのか解らなくて、最初は困惑してただけだったけど。
そして、俺はミリアムを見て思い出したんだ。
俺が誰だったのか、何があったのか。
そして、ダーシーがヤバい奴だったって知った。何だよあれ、ミリアムに何てことを言うんだ? 俺とダーシーはただの魔物を狩るだけの仲間であって、男女関係だったことは一度もない。あれじゃミリアムが誤解をするだろうが。ずっと前から俺がダーシーとミリアムを天秤にかけて、二股かけてたと思われたらどうしてくれる、って焦った。
でもな、それでもいいのか、と少しだけ思ったんだ。
俺が酷い奴だとミリアムが思ってくれたら、俺のことを早く忘れて幸せになってくれるかもしれないじゃないか。
ミリアムは凄く強い一面もあるけど、やっぱり弱いところもあるんだ。
両親を亡くして、あの店を一人で切り盛りして、近くに商売敵の人気店もあるのに凄く頑張ってる。本当は俺も彼女を手伝いたかった。でも、死んでしまったらそれもできない。
俺は何もできない。
何で俺は死んだんだろう、って少しだけ神様を恨むよ。
死んですぐに神様のところに行くんじゃなく、こうして彷徨っているのもどうしてなのか解らないしな。
でも、ミリアムだけは幸せになって欲しいと思ってる。
神様だって、あれほど頑張って生きてるミリアムのことは、見捨てないでくれると期待してる。
それから、ダーシーが早くミリアムの存在を忘れてくれることも期待してる。
ミリアムを傷つける存在はいらない。
俺の心はダーシーにはやれないけど、死体くらいだったらくれてやるよ。あの墓には俺はいない。でも、ダーシーはそれで満足なんだから。俺には理解できないけどな。
……友情って難しいよな。
いや、元々友情なんて存在していなかったのか。
ダーシーはきっと以前から、俺のことを異性として見ていたのか。言ってくれれば、何らかの話し合いができた。俺が彼女の想いに応えられないことも、ちゃんと言葉にできた。
……でも多分、それを予想できていたからダーシーも言えなかったのか?
本当に難しいな。
※※※
『っていうことらしいんだけどね、うーん、わたしにはよく解らないんだよね』
何故か、マーガレットが俺の部屋――それも寝室の俺のベッドの上に座って足を揺らしながら唸っている。
「降りてくれないか」
俺は目を細め、軽く右手を振って彼女がベッドから降りるのを待った。「俺のベッドに座っていいのは、俺以外にはアリーシャしかいないんだから」
『わーお』
マーガレットはにやにや笑いつつベッドから飛び降り、近くにあった椅子に腰を下ろす。彼女の手は壁などもすり抜けてしまうらしいのに、こうしてベッドや椅子に座ったりできるのが不思議だ。
俺は彼女と入れ替わりにベッドに腰を下ろし、軽くため息をこぼす。
『それであのお兄さん、オーエンさんだっけ、あのお店でミリアムお姉さんを見守ることにしたんだよ。わたしたち、何もできずに見守ることしかできないけど、お兄さんはそれでもいいんだって』
「へえ」
『ミリアムお姉さんもね、ギルドでお兄さんのことを教えてもらって、お墓参りに行ったんだって。オーエンさん、焦ってた』
「焦ってた?」
『お墓の前で二人が鉢合わせしちゃったんだって。オーエンさんが二人が合わないように邪魔をしようとしてたみたいだけど、やっぱり何もできなくて、ばったりと』
――それはつまり。
修羅場?
私が予想した通り、どうやらダーシーという女剣士はオーエンの墓守でもするつもりだったのか、頻繁に彼の墓に通っていたらしい。そこで、花束を手にしているミリアム嬢と会ってしまう。
ダーシーは明らかに敵意を抱いて彼女と向き合ったみたいだったけれど。
『ありがとうございます、って言ったんだって』
「ん?」
『ミリアムお姉さんがね、あなたに言われたことを信じてたみたいで』
「私が言ったこと……」
『わたしを悲しませないように、わざとあんなことを言ってくださったんですね、って。でも、わたしは大丈夫ですから、って。誰よりも大切な人の死を知らない方が辛いから、こうしてお墓参りできてよかった、って。ちょっと泣いてたけど、それでも笑って見せたんだって』
そしてどうやら、ミリアム嬢は目の前の女剣士の心の内を知らぬまま、深く頭を下げたのだとか。
ダーシーは何も言うことができず、そしてそれを見守ってたオーエンもおろおろするだけだったらしいが、ミリアム嬢だけが現実と向き合ってしっかりと歩いていたんだそうだ。
『わたしも、あんなお姉さんになりたかったな。強くて、カッコいい』
マーガレットはソファの上に寝ころんで唇を尖らせてから、がばりと上半身を起こした。『ねえねえ。わたし、たまにここに遊びに来ていい? アリーお姉さんのところも凄く楽しいけど、雑談できないのが寂しいし』
「断る」
というか、勝手に愛称で呼ぶな。
私が苦々しい思いを抱えつつ深いため息をこぼすと、少女はにやりと唇を歪めた。
『アリーお姉さん、あの日、立ち寄った雑貨屋さんでレックスお兄さんの買ってくれたガラスペン、大切にしてるよ。壊したら厭だから、使わずにしまっておくんだって。こういう情報、レックスお兄さんには必要じゃない?』
「お前」
私は軽く頭痛を覚え、額に手を置いた。
確かに必要かもしれない。プレゼントを使ってもらえないのは少し寂しいから、もう一本買うべきか。
今後も、何かの役に立つ情報をこうしてもらえるのかもしれないと思うと――。
「……人前で話しかけるなよ? 私が頭がおかしいと思われるんだからな」
そう俺が折れると、少女はソファから降りて背筋を伸ばした。
『了解!』
そして、この少女みたいに誰も見えない存在なら、色々な情報収集をしてもらうのも簡単じゃないだろうか、と考えてしまう。しかも、その辺の情報屋に声をかけると結構な金額が要求されるが、彼女ならタダだ。いや、この考えは危険か。もう少しよく考えよう。
だがその後、マーガレットのような死霊と話をしていれば――それは、隣国で悪役みたいに言われている『死霊使い』だと思われるのでは? と危険に感じた。
やはり、自分の行動、言動には気を付けねばならない。
マーガレットのことも、必要以上に関わらないように――と決めたのだが。
まあ、そう上手くいくはずもなく。
その後も色々と事件は起こって頭を抱えることになるのだが、この時の自分はそれを知るよしもなかった。
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