黒き刃に祝福を~暗殺者の私でも、英雄になっていいですか?~

布里翼

その刃に、祈りはなく

 ヴァルメギア

 

 世界各地から富や名声、栄光を求めて力、叡智ある者

 または命知らずな者が集まる、通称『傭兵都市』。

 

 血腥く、しかし輝かしいその場所だが、光あるところには当然闇がある。


 ここは、ヴァルメギアのその外れのさらに裏路地。霧と煤けた灯りの隙間。


 夜の帳はすでに降りていた。


 「ったく、今日の仕事で剣がやられちまった。安くねぇのに」


 「ひゃはは!俺たちにとっては、な。いいさ、情報を売ればこっちの懐も温まる。上のやつらはどぉも最近、目が血走ってる」


 「へへっ、『修道院』だなんだか知らねえが、連中が消えりゃこの辺も俺たちのもんよ」


 酔いと油の混じる錆びた笑い。

 あるいは――血の匂い。


 二人の男がいた。ひとりは鋲付きの革鎧、ひとりは短剣を腰に。鼻の潰れた顔、腫れた頬。かつて何者かに殴られた跡。今は、自分が殴る側だと信じている男たち。

 

 その背後に──影。


 音もなく、冷たく、沈みこむように。


 「……誰だ」


 問いをすれども応えはなく。


 振り返ると代わりに、刃があった。


 黒い髪。赤紫の目。ひどく幼い輪郭。小さな手には、濡れたような光沢を纏う刀身。


 「子供? なに冗談──」

 

 その続きが発せられる間もなく。

 男の頸動脈から血が吹き上がっていた。


 言葉は未完のまま。


 男は音を立てて崩れた。手が空を掴む。掴めるものなど、何もないのに。


 「はっ、おい、ふざけ──あっ……が、が……っ!」


 もう一人。逃げる暇すらない。喉に刃を滑らされ、心臓を貫かれる。


 あまりにも鮮やかで、目撃者がいればため息をついていただろう。


 夜風が吹き、静寂が戻る。


 黒い少女は刀を戻す。血がついたまま、拭う動作さえない。必要ないのだろうか。


 「……抵抗、なし。予想通り」


 抑揚のない呟きをこぼす。


 足元には血が広がる。小さな靴のつま先に、それが触れる。


 「弱者。警戒心、皆無。任務に影響、なし」


 自問。記録。訓練通り。


 彼女は懐から、羊皮紙を取り出す──改めて対象確認。


 「標的、処理完了。作戦終了……これより『ノワール』帰還する」


 誰に伝えるでもない、報告の呟き。


 背を向ける。死体の方を見ない。感情の欠片すら、残さない。


 ただ任務をこなす。マシーンのように、ただ殺す。祈りも、後悔も、安堵もなく。


 「……」


 足音。石畳を、ゆっくりと。


 けれど、ふと。その場に残るものが、あった。


 光。


 男の血だまりに、落ちたもの。


 小さなペンダント。ロケットが開かれていて、子供がひとりの写真があった。裏には、子供の名前だろうか──“ユリエル”。


 どうしてだろう。少女の優れた目にそれが止まってしまった。


 ──無表情。


 ……だが、その指先が、ほんのわずかに、止まった。


 風。微かに髪が揺れる。頬にかかる。


 「名前……」


 囁き。感情か、反応か。己にもわからない。


 だが、その瞬間だけ、その瞳に映ったものがあった。


 血の海。死者。自分の影。


 ――リシア

 ──誰にも呼ばれなかった、わたしの名。


 すぐに顔を上げる。目を閉じ、呼吸を整える。


 ――迷いは無用。


 掟に従い。刃は、感情を捨てる。


 足を踏み出す。闇へと戻る。背には、何も残らない。


 夜の帳はまだ降りたまま。

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