ボーカル少女よ幸あれ

北園れら

第1話 ソラニン

「じゃあ今日の練習はここまで!」


 5ピースガールズバンド“ブロークンレッグス”のボーカル・星木瀬名はメンバーに向けてそう言う。


「この後どうしよっか? 久しぶりにカラオケとか」

「悪い、アタシはパス」


 真っ先に言葉を返したのはギターの京本玲音。


「新曲が煮詰まっててさ。スタジオの時間まだあるよな? ギリギリまで残るわ」

「そっか。じゃあ他のみんなは」

「私も……今日はいいかな」


 ドラム・時枝葉月は振り乱れた前髪のヘアピンを付け直して静かにそう言って、ベース担当の東條霧香をちらりとのぞいた。


「今日は霧香と用事があるから」

「……そ、そう」

「霧香、行こっか」

「はい、センパイ! んじゃ瀬名っち、お先」


 気まずい。瀬名は最後に残ったキーボード・咲島乙羽を見やる。


「……お、乙羽は?」

「わたしも今日は」

「わかった、もうわかった。今日は解散!」

「ご、ごめんね……? 瀬名ちゃん」


 続々とメンバーが部屋を抜け、玲音が愛機のチューニングをするくぐもった音だけがスタジオに寂しく響く。


「……なんかさ」

「お前は帰らねえの?」

「帰らない。なんか今帰ったら負けな気がする」

「誰と何の勝負してんだよ……」

「ブロクレの全員。厳密には玲音以外と」


 ブロークン・レッグス──ブロクレは瀬名が玲音と一緒に作ったバンドだ。いくつもの出会いと別れを繰り返し、やっと落ち着いたのが今の五人組。


「まあいいや。ちょっと歌のことで相談したかったんだよ。ボーカルのお前がいなきゃ解決しないっていうか」

「みんな最近付き合い悪くない?」

「聞けよ」


 ぼーん、と気の抜けた音が弾かれる。


「バンドの絆っていうかさ、色々足りない気がする」

「みんなでカラオケ行って馬鹿騒ぎするのがお前の言うバンドの絆の育て方なのか?」

「そういうことじゃなくて……特に葉月」

「葉月?」


 ブロクレでドラムとサブボーカルを担当する時枝葉月。誰よりもクールだけど低身長と童顔のせいで成人した今も高校生扱いされている彼女は、ライブシーンでは独特なアレンジと正確なコーラスでブロクレを支える縁の下の力持ちだ。


「今日なんてずっと上の空だった」

「あいつにもそんな日があるんだろ。知らねえけど」

「玲央はいいわけ? バンドメンバーに関心なさすぎない?」

「アタシはアタシの曲を書いて、お前が歌えれば何でもいいんだよ。メンバーだってお前以外は実力と意志がありゃ誰でもいい」


 玲音は金髪の根元、プリンになった黒髪を爪の切り揃えた白くて長い指で掻いた。背が高く粗暴で誤解されやすい彼女とバンドメンバーの仲を取り持っていたのは他でもない瀬名自身だという自負があった。


「……ふ、ふーん」

「でさ、新譜の歌詞まだ? もう次の曲出来上がっちまうぞ」

「いっつも早すぎるの、玲音は。この絶対音感」

「それ悪口でも何でもねえからな」


 歌詞、歌詞か。瀬名は高校軽音部時代から愛用しているボロボロのサブバッグからノートを取り出す。


「歌詞ってもなー。なんか最近行き詰まってるんだよね」

「……ふーん」

「玲音はさ、今どんな風に曲作ってるの?」


 作詞担当の瀬名と作曲担当の玲音。初めから二人で一つのバンドだったのがブロクレだ。

 玲音が作った音に瀬名が名前を付ける。あるいはその逆。ずっとそうやって歌を作ってきた。


「今、今ねえ」

「そう」

「なんだろな……月並みだけど、刺激とか閃きに頼ってんのかな」

「ほうほう」


 椅子を逆向きにして座って玲音のギターをじっと聴く時間は高校時代を思い起こさせた。北海道から上京して二年、どれだけ環境が変わっても二人だけは変わらない。

 玲音と二人で一緒にいること。瀬名にとってはそれがバンドを続けていく理由の一つだ。


「街歩いてて『あ、あの音hiAだな』って気がついたら頭ん中で続きの音を想像して、みたいな」

「ふーん……ふーん……?」

「そろそろ音名くらい読めるようになってくれよ……『ラ』だよ。これ」


 対応する音を玲音が弾く。


「そうやって地道にやってくしかねえよ、結局。アタシたちは天才の集まりじゃないから」

「ねね、じゃあこの音は? 〜♪」

「遊んでないかお前……」


 玲音は呆れたようにため息を吐く。


「……『mid2G♯』」

「みどに……」

「ミドニジーシャープ。『リライト』の最高音が確かこれ」

「おお、アジカン。玲音好きだもんね」

「兄貴の趣味だったんだけどな。いつの間にかアタシと瀬名の共通の話題になって」

「それで、二人でロックやろうよって。ブロークンレッグスはそこから始まった」


 もう何年も前の話なのに、瀬名と玲音は昨日のことのように言葉を重ねる。


「……じゃあさ、今度の曲は昔をイメージして作ろっかな」

「昔?」

「そう。変わった環境と変わらない私たち。そういうテーマ、良くない?」


 玲音は少し間を置いてから「そうか」とだけ返した。


「まあ、お前らしくて良いよ」

「え、何? なんか変だった?」

「いや別に。変わらないってのは、まあ、うん」


 くぐもった返事だけが帰ってくる。瀬名はふと一つ思い立って、がたんと椅子を揺らした。


「まさか……」

「な、なんだよ」

「もしかして玲音、彼氏とかできたの?」


 ただでさえ顔ファンの多くてライブハウスでキャーキャー言わせてる玲音だ。当たり前のように誰かと付き合ってても不思議じゃない。

 瀬名は咄嗟に、しかし確信と勇気を持って玲音に尋ねた。


「……は?」


 その思いとは裏腹に、玲音はあっさりとそれを否定した。


「んなわけねえだろ。バカか」

「そ、そうだよねー! 何言ってんだだろ、私」

「だってアタシ今乙羽と付き合ってるし」


 ライブハウスのエアコンが凍りつくような息を吐いて瀬名の黒髪を揺らした。


「……ふぁ?」

「あ、今の『ソ』な」


 玲音は小さく「ミドニジー」と音名を付け足した。

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