第17章『背伸び』

第49話

「あんたが大西ね」


 敦子がオフィスに戻ると、ひとりの女性が待ち構えていた。

 白石雪乃しらいしゆきの。かつて、芽依と一彩のマネージャーを務めていた――敦子の前任者だ。

 本社に転勤したが、どうしてか今はこの事業所に居た。


「白石さんが、大西さんに話があるみたいで……」


 辰巳悠が苦笑する。

 現在はどうなのか、敦子は知らない。少なくとも雪乃の転勤前は、役職のある悠の方が立場は上だった。

 それでも悠の頭が上がらないのは、雪乃の方が年上だからだろう。そして、雪乃が腕を組んで高圧的な態度を取っているからだと、敦子は察する。

 この事業所の営業部には悠をはじめ、敦子にとって優しい上司や同僚ばかりだった。だから敦子には雪乃が新鮮であり――怒っている様子が、素直に怖かった。


「は、はい……」


 敦子は足がすくみそうになっていた。挨拶や自己紹介が無いまま、ただ頷いた。


「会議室に行きましょう」


 それだけを告げ、雪乃がオフィスを出ていく。元々ここで働いていた人間のため、慣れた様子だった。

 敦子は荷物を自分の机に一旦置き、ノートパソコンと筆記具を持って後を追った。

 これから年齢も職歴も『先輩』の人間から叱責を受けることは明白だった。そして、何についての話であるのかも、およそ見当がついていた。

 不思議と憂鬱な気分にならないまま、小さい会議室に入った。


「失礼します」


 やはり腕を組んだままの雪乃と、敦子は向かい合って座る。

 年齢は四十前後だろうか。高圧的な態度が様になっていると感じた。中野一彩が雪乃を『いけ好かない』と言っていたが、とても納得した。

 敦子はかつて、この人物を憎んだ。彼女の転勤が無ければ、穴埋めの異動は無かった。

 だが今は、別の意味で憎んでいた。美澄芽依があのような人間になったことに、何らかの原因があるはずだ。事の真相を問い詰めたいと思う。


「私に話をするために、わざわざ本社からいらしたんですか?」


 敦子に恐怖心が全く無いわけではない。『後任』や『新人』として舐められたくないため、敢えて煽るように訊ねた。


「そんなわけないでしょ。仕事でこっちの方に来たから、寄っただけよ。あんたには言いたいことが以前まえからあったの」


 事業所が違うとはいえ、芽依や一彩の活動状況を確認することは可能だ。

 しかし、遠くから眺めていたことに、敦子はストーカーのような不快感があった。


「とりあえず――なんで芽依にSNSやらせてるわけ?」

「芽依ちゃんにはやらせてません。あくまでも私が運営しているアカウントです」

「一緒でしょ!? そんな屁理屈いらないの!」


 頭越しに否定する姿に、敦子は『年配』や『更年期障害』といった言葉が浮かんだ。いくら憎いとはいえ失礼にあたるため、とても口には出せないが。


「あの子は硬派な女優として育てるべきだったし、それだけのスペックは充分にあった。SNSだけじゃなくて、今日のインタビューもそう――イメージをキープするために余計な露出は極力避けるべきだって、わからない!?」


 雪乃の主張を、敦子は古臭い考えだと思うものの、まだ理解できた。しかし『硬派な女優』として伸ばすためには、事務所の規模や宣伝方法等、より良い環境が必要だと考える。

 いや、雪乃もまた芽依の『俳優としての可能性』に気づいていたのだと、理解する。そのうえで、芽依にSNSを禁じていた。芽依がSNSに乗り気でなかったのは、強く言い聞かされていたのだろうと思った。


「そうかもしれませんけど、私のやり方は間違ってません。現に、SNSの反響から頂いた案件もあります」

「それぐらいの案件いくらこなしたって、意味無いわ。むしろ、あの子をくだらないことで無闇に消費する点では、マイナスね」


 知った口を叩かれて、敦子は内心で少し苛立った。テーブルの下、膝に置いている手を強く握る。

 芽依の成長を振り返ると、案件には『縁』が絡むことが多かった。些細な案件でも全力でこなして良かったと、後悔は無い。


「それじゃあ、芽依ちゃんはどんな案件を受けるべきだとお考えなんですか?」

「決まってるでしょ。ドラマや映画に出演させるのよ――オーディションで勝ち取って」


 敦子はその主張が間違っていない、むしろ正しいと思うが、すぐさまおかしな点に気づいた。

 果たして、芽依がオーディションで勝ち取った実績はあるのだろうか。


「ずばり訊きますけど、貴方は芽依ちゃんにオーディションを受けさせたんですか?」

「ええ、受けさせたわ。でも、落ちた。いえ、たぶんわざと落ちたのよ――私の言うことを聞かなかったから」


 やはりそうだったと、敦子は確かめた。

 テレビCM撮影の際に美澄沙樹が言っていた過去は、雪乃とのことだ。

 そして、芽依が黙っていた過去でもある。雪乃の口振りからも、芽依にとって『触れたくない過去』だと察するが、詳しくはわからなかった。


「へー。芽依ちゃんから信用されてなかったんですね」


 深堀りするために、敦子は敢えて雪乃を逆撫でする言葉を選んだ。


「違う! 私の言う通り、大人びた演技をしていれば――今頃、もっと売れていた!」


 雪乃の口から語られた内容に、敦子は静かに驚いた。

 過去にどのような役のオーディションを受けたのかは、やはり不明だ。しかし、雪乃もまた敦子と同じ『売り方』を行っていた。その結果、芽依が反発したことになる。


「そうよ。あのCMは確かに素晴らしい出来だったけど――あの子はあんたにも、必ず楯突くわ」


 敦子は雪乃から、引きつった笑みを向けられた。

 即否定したかった。だが、動揺して出来なかった。

 テレビCMの撮影からインタビューを受けるまで、芽依におかしな点があった。今になれば――雪乃が語った内容に対し『思い当たる節』だった。


「そんなことありません。私と芽依ちゃんは……とっても仲良しです」


 実に情けない反論だと、敦子自身思った。社会に於いて何の説得力も無いが、動揺した中、せめて雪乃に言い返したかった。


「何甘ったれたこと言ってるの? あんたマネージャーなんでしょ? タレントのこと、きっちり躾けなさいよ」


 躾。あり得ない言葉が飛び出してきたと、敦子は驚いた。

 否、この女性は芽依や一彩をそのように扱ってきたのだ。こうして対面した今、安易に想像できた。


「いい? 勘違いしないで。あんたのことはムカつくけど、同じ事務所の者同士、敵対してるわけじゃない。むしろ、買ってるところもある。だから舐められないよう、ちゃんとコントロールしなさい――先輩からのアドバイスよ」


 一応は、前任者からの助言という体裁なのだ。敦子はそう理解するが、到底受け入れられなかった。


「何がアドバイスですか! そういうことは、貴方自身が芽依ちゃんをコントロールしてから言ってください!」

「私は躾けようとしたわ! でも、言うことを聞かないワガママは――捨てるしかないじゃない!」


 これまでも敦子の中で、芽依と雪乃の関係については嫌な予感があった。

 実際は、考えられる最悪の結末を迎えていたようだ。悲しみ、虚しさ、呆れ――敦子は様々な感情が入り混じり、俯いた。


「……だから、本社に転勤したんですか?」

「そうよ。悪い?」

「だったら、口を挟まないでください!」


 敦子は顔を上げて拒否した。

 目の前の存在も、この場での会話も、最早わからない。ただ不快だが――一概に否定できない部分も確かにあることが、悔しかった。


「いいえ。あんたが嫌がっても、口を挟ませて貰うわ。あの子にはまだ、大きなチャンスがある」


 そう言いながら、雪乃はテーブルに一枚のレジュメを置いた。

 敦子はそれを取り、内容を確かめた。

 オーディションの案内だった。テレビドラマ『翳りの街』は、三十四歳の女性新聞記者がある企業の不祥事を追い詰める内容だ。作中の八年前、二十三歳で亡くなった主人公の妹役をオーディションで募る。回想シーンでの出番となるらしい。

 制作は、大手テレビ局だった。火曜日の午後十時に、全国区で放送される。

 さらに舞台がここから近い地方都市であるため、学校に支障なく撮影に参加可能だ。


「これは――」


 雪乃がどのように入手したのかはわからないが、まさに芽依にうってつけだと敦子は思った。

 以前受けた『月灯りのレコード』はローカル局が制作だ。それに比べれば、規模は遥かに大きくなる。それでも、芽依の知名度と、そして奇しくも雪乃が勧めたことから――敦子は、合格の可能性が充分にあると思った。


「いい? 絶対に受けさせなさいよ?」


 そう言い残し、苛立った様子の雪乃が会議室を出ていった。

 ひとり取り残され、敦子はレジュメに再度目を通した。芽依がこれを演じる姿が、すぐに浮かび上がった。

 嬉しいはずだ。これを別の機会で見つけていても、間違いなく受けていたはずだ。

 しかし、敦子は素直に喜べなかった。言い争いや口喧嘩ともいえる、雪乃とのやり取りが――自分の知らない芽依の一面が、尾を引いていた。

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