第03話
午前十時半、敦子は郊外にあるハウススタジオに到着した。
一目では、大きな一軒家だ。狭い駐車場には、既にいくつかの自動車があった。
敦子は、このような場所に来るのは初めてだった。少し緊張していると――落ち着いた様子の芽依が、建物のインターホンを押した。
「失礼します! 水澄です!」
『お待ちしていました』
芽依が名乗るとすぐ玄関の扉が開き、スタッフらしき女性が現れた。敦子は咄嗟に、彼女に頭を下げる。
「こちらへどうぞ」
挨拶だけでなく、玄関で靴を脱いで揃える所作からも、芽依が実に行儀良いと敦子は感じた。
そして、それに続くだけの自分が、なんとも情けなかった。到着後ここまで芽依が先導している。芽依から様子を伺われているのを感じる。いくら慣れているとはいえ、これではどちらがマネージャーなのか、敦子はわからなかった。
女性の案内で、敦子は芽依と共にリビングらしき空間へ通された。
ソファーとテレビが小さく感じるほど、広い。外のウッドデッキがよく見渡せるほど、ガラス窓も広く張られている。春の柔らかな日差しが、窓一面から入る。
気持ちの良い非日常的な空間だと、敦子は一瞬感じたが――所々に置かれている撮影機材からもまた、非日常的な印象を受けた。
「おはようございます! 本日は、よろしくお願いします!」
リビングには五人の女性が居た。彼女達を見渡し、芽依が頭を下げる。
敦子は芽依の、非の付け所がない態度に見惚れながら――彼女達がにこやかに迎えたのを感じた。すぐ我に返り、慌てて自分も頭を下げた。
「よ、よろしくお願いいたします!」
彼女達の雰囲気は変わらない。ひとまず出だしは問題無いと、敦子は心中で一息ついた。
「それでは水澄さん、準備を始めましょう」
ふたりの女性に、芽依が別室へと連れて行かれた。スタイリストとヘアメイクのふたりだと、敦子は後で知る。
残った三人のひとりが、敦子に近づいた。
「はじめまして、ですね。ペタルーンさんと真依ちゃんには、いつもお世話になっております」
「は、はじめまして! 水澄のマネージャーとなりました、大西です!」
名刺を渡され、敦子は慌てて自分のと交換した。そして、互いに自己紹介をした。
今回の依頼主は、インターネットでの通信販売を主としているアパレルブランドだ。彼女はそこに所属するこの撮影現場での責任者であり、かつ監督的立場の人間だった。
「白石さんの後任でしたっけ? 以前は何のお仕事をなされていたんですか?」
ただの興味本位であり他意は無いと、敦子は理解している。それでも、部署内の担当変更ではなく、マネージャー未経験だと見抜かれていることが恥ずかしかった。
「総務からの異動です。そうですね……契約書、私が作ってました」
「へぇ。環境がガラリと変わった感じなんですね。なんといいますか……お察しします」
取引先から同情され、敦子は少しだけ気が楽になった。
このような会話で緊張感が解けていることには、気づいていない。ただ、苦笑した。
「まあ、その……撮影自体は、今日もスムーズにいくと思います。いつでも休憩入れて頂いて構わないんで、真依ちゃんのサポートをよろしくお願いします」
「わかりました」
敦子は相槌を打ちながら、真依という名前に違和感を覚えた。
ああ、そうだ――芽依の芸名は『水澄真依』だと、思い出した。似たような響きであるため、慣れるまで時間を要するだろう。
「あ……。でも、すいません。午前中に撮りたいのがありますんで、そこはご協力頂けると幸いです」
女性が窓を指さした。
この時間に陽が入っていることから、窓は東向きなのだと敦子は察した。
「はい。たぶん、大丈夫だと思います」
反射的に頷いていた。
芽依がこの依頼主との撮影に慣れているだけでなく、そもそも取引先の要望に応えるのは当然のことだ。
だが、芽依自身はどうなのだろうと、敦子は後になって引っかかった。
本当に大丈夫だろうか? 芽依のことをまだ詳しく知らないからこそ、少し不安になる。そして、安直に返事をしたことが、後悔ではなく――芽依に対しての罪悪感が込み上げた。
「水澄さん、入ります」
芽依が姿を消して三十分近く経った頃、スタッフの声が聞こえた。
それに続いて現れたシルエットに、敦子は静かに驚いた。
ストレートロングの黒髪は若干巻かれ、整った顔は化粧が施されていた。ピンクのリップが印象的だった。さらに大人びて見えた。
アイボリーのリネンシャツワンピースを完璧に着こなしている――穏やかで淑やかな雰囲気の、大人の女性だ。
どう見ても十四歳の少女ではない。十四歳と言われても、到底信じられない。敦子の目には自分よりやや年下、二十代半ばぐらいに映っていた。
それでいて無理している様子は一切無く、ごく自然な姿だった。だからこそ、敦子は息を飲んだ。
「いやー、真依ちゃん凄いですよねぇ。中学生には絶対に見えませんよ」
敦子の隣に立つ責任者の女性が、感嘆の声を上げる。そのような感想は当然だと、敦子は思う。
「清楚で、明るくて……ウチのイメージにピッタリなんです」
フォトグラファーの指示に従い、芽依が窓際に立った。アイボリーが、窓から差し込む明るい日差しに映える。
自然な笑顔を浮かべながら、フォトグラファーの要望通りにポーズを取っていく。シャッター音が次々に鳴り響く。
芽依の動きはとても早く、それでいて一度で決めている。カメラアシスタントが遅れているほどだ。
そのような撮影風景を、敦子は眺めていた。
芽依に対し、ただ『プロ』だと感じていた。早さだけでなく――写真にはどう映っているのかわからないが、ポーズのひとつひとつが画になるのが安易に想像できた。
「スタイルの良い子なら、いっぱい居ます。でも、真依ちゃんは何ていうか……大人には無い、無邪気さがあるんですよね。そこが、とっても良いんです」
責任者の女性が漏らした感想に、敦子は数時間前に芽依と出会った時のことを思い出した。芽依から与えられた『好印象』から、若さを感じたのだった。
いくら着飾って大人ぶろうとも、芽依が持つ年相応のそれは消えない。むしろ、淑やかさの中にある明るさとして、良いアクセントとなっている。リネンシャツワンピースの柔らかい風合いを、最大限引き出している。おそらく、二十代のファッションモデルに、この雰囲気は出せないだろう。
これこそが芽依の持つ『強み』なのだと、敦子は自分が担当する『商品』を理解した。つまり、大人向けのキレイめファッションとは、限りなく相性が良いに違いない。
結果的には教わることになったが――その発見が、今の敦子にとっては確かな手応えだった。嬉しさを通り越し感極まり、勢いよく頭を下げた。
「ありがとうございます! これからも、水澄のことをよろしくお願いいたします!」
撮影は三十分ほどで一段落ついた。
次の商品に着替えるため離れる芽依に、敦子は近づいた――依頼主が用意したミネラルウォーターのペットボトルと、ストローを手に。
「お疲れさま。しっかり水分摂ってね」
「ありがとうございます! 助かります」
疲れを感じさせない笑顔を敦子に見せ、芽依はペットボトルの三分の一ほどを飲んだ。
今の自分にはこのように労るぐらいしか出来ないと、敦子は割り切っている。ただ、芽依を信じるしかなかった。
今回の撮影は、初夏向けの新商品であるリネンシャツワンピースだ。アイボリー、サックス、テラコッタ、グリーンの四色が用意されている。
二着目のサックスは、窓からの陽が直接あたらないリビングの中央で、インテリアを交えて撮られた。
この頃にはもう、敦子の緊張は和らいでいた。
ファッションモデルの撮影は、初めてだ。むしろ、これに近い雰囲気は過去に何度も体験しているため――なんだか懐かしさを覚えた。
あの時も、ステージの『彼女』を見守っていた。
切なさが込み上げようとするのを、敦子は慌てて止めた。今は芽依に集中しようと、切り替えた。
芽依は相変わらず、フォトグラファーの指示に素早く、そして正確に対応している。笑みの強弱も指示に従い、芽依独特の雰囲気は一切崩れない。疲れた様子も無い。
常に笑顔だからか――それでいて、謙虚に見えた。大人しすぎるというわけではないが、実に素直であり否定的な態度を全く見せない。
敦子はマネージャーとしてまだ素人だ。しかし、スタッフとの折衝も含め、芽依がモデルとして最高の仕事をしていると感じていた。これほど扱いやすい被写体は存在しないだろうと思った。
順調にサックスの撮影も終え、一時間の昼食休憩に入った。芽依は好き嫌いを言わず、用意された弁当を美味しそうに食べた。
休憩が終わろうとする午後一時半、責任者の女性がフォトグラファーと共に、窓から外の様子を伺っていた。
時間と共に陽は高くなっているが、晴れ空が続いている。天気に恵まれている日だと、敦子は思った。
「順番変えるよ。天気良いから、先にグリーンを撮っちゃおう――外で」
本来ならどこで撮るはずだったのか、敦子は知らない。何にせよ、色の順番だけでなく場所も変えるようだ。確かに、グリーンは緑のある屋外の方が映えると思った。
このような変更も、芽依には何ら支障が無いと――敦子は軽く流した。
休憩が終わり二十分ほどで、着替えと化粧を済ませた芽依が現れた。
全員でウッドデッキに出た。屋外だが、午前と同じくテンポの良いシャッター音が聞こえるだろうと、敦子は思っていた。
「ちょっと、ストップ! タグついてる」
ポーズを取った芽依に対し、責任者が口を挟んだ。
敦子は、芽依の着ているグリーンのリネンシャツワンピース――後ろの裾に、商品タグが揺れているのが見えた。いくらサンプルとはいえ、撮影には外して使用される。
誰かが気づいて良かった。すぐに外して撮影再開だと、敦子は思った。
「……え?」
しかし、芽依が唖然としていた。固まったと言ってもいい。
まるで何かが途切れたように、これまでの様子と明らかに違う。スタッフ全員が異変に気づき――なんだか嫌な空気が漂うのを、敦子は感じた。
「すいません! 外し忘れました!」
それを打ち破ったのは、スタイリストだった。慌てて芽依に近づき、素早くタグを外した。
後で敦子は知るが――色の順番変更で外し忘れたらしい。
些細なトラブルはすぐに解決した。しかし、芽依が依然固まったまま動かない。その様子に、敦子は焦燥した。
「ちょっとお水でも飲んで、一息入れましょう」
慌てて芽依に駆け寄り、ペットボトルの水をストローで飲ませた。
芽依の喉が動くのを、敦子は確かめる。それでも何かに怯えている様子のため、手を伸ばして背中を擦った。
「ありがとうございます、大西さん……。大丈夫です」
やがて、ストローから口を離し、芽依が敦子に微笑んだ。
一見、元に戻ったように感じた。しかし、敦子は安心するよりも――切り替えの早さに、恐怖に似た驚きを一瞬覚えた。
撮影が再開し、グリーンそして室内でテラコッタまでを終えた。
「いやー、助かりましたよ。真依ちゃんには本当に感謝しています」
「こちらこそ、本日はありがとうございました。これからも引き続き、よろしくお願いいたします」
敦子は、満足そうな責任者と別れの挨拶を交わした。
着替えに別室へ向かったため、芽依は今この場には居ない。
途中、依頼者側の都合でトラブルがあったものの――芽依はすぐに立ち直ったと敦子は思う。あれから芽依は、午前と同じように仕事をこなしていた。
結果として、マネージャーとしての初仕事を無事に終え、安心した。
敦子はリビングを離れ、芽依が着替えている部屋の前で一度立ち止まった。
「私、事務所に電話するんで……先に車に戻ってますね」
「わかりました」
扉越しにそのようなやり取りをし、敦子は建物を出た。
車内で辰巳悠に連絡を済ませ――さらに十分待つも、芽依は現れない。最後は元の格好にスタイリスト無しで着替えるにしても、遅すぎる。
スタッフと何か話しているのだろうかと思いながら、敦子は自動車を降りた。再びハウススタジオに戻ると、リビングでは五人のスタッフが片付けを行っていた。
敦子は、まだ芽依が着替えているであろう更衣室に向かった。
「あんなに頑張ったのに、失敗するなんて……」
ふと、扉越しに声が聞こえた。
震えたか細い声は一瞬、敦子の中で芽依と結びつかなかった。
「うう……もう死にたいよぉ」
さらに続く。
いや、これは間違いなく芽依の声――というより物騒な台詞に驚き、敦子は慌てて扉を開けた。
「美澄さん!? 何かあったんですか!?」
「……え?」
きょとんとした様子で、芽依が振り返る。
驚いた表情は――両目から大粒の涙を流していた。
悲しみに明け暮れた様子なら、まだ良かっただろう。
少女は陰鬱な雰囲気を放ちながらも、固まっていた。敦子の登場に困惑しているのは明らかだった。
「……え?」
目の前の光景に、敦子もまた困惑した。
嘘つきのわたしと、泣き虫のキミ
We lie to be ourselves.
(第01章『嘘つきのわたし』 完)
次回 第02章『メンヘラ少女』
敦子は芽依を自宅まで送る。
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