第10話
志伊良タスクの命を狙う犯人を見つけて捕まえてやる、と息巻いていた俺だったが、
――だめだ、さっぱり分からん。
早くも行き詰っていた。
これがドラマや映画の中なら、早々に犯人に繋がる手がかりを見つけ、それを元に捜査したり推理したりするのだろうが、現時点で手がかりなんてものはなく――そういえば以前、通学カバンの中に女性ものの下着が突っ込まれていたが、もしやあれが手がかりか? 気味が悪くてすぐに捨ててしまったが――俺は刑事でも名探偵高校生でもない。いうなればただのモブだ。
怪しいと思えばクラスメイト全員が怪しく見えるし、高齢の男子教師にすら疑いの目を向けてしまう。
そして次第に、
――俺の考えすぎかもしれない。
という気がしてきた。
警察に通報した時、まともに取り合ってもらえなかったせいもある。
てっきり監視カメラの映像を見て捜査してくれるのかと思いきや、話を聞くだけ聞いて終わり、である。
その後の進展も連絡もまるでなし。
たまらずクラスメイトに愚痴ると、
「そういや、俺の姉貴も似たようなこと言ってたな」
「お前の姉貴って、女子大生の?」
「エスカレーターで盗撮されたらしくてさ。けど警察署へ行っても、なんもしてくれなかったんだって。そこはよく盗撮される場所なんで気を付けてください、で終わり。だったら監視カメラくらいつけろやっ、て姉貴がキレてた」
「うわっ、税金泥棒じゃん」
そこで警察官の父を持つクラスメイトが、
「抱えてる仕事が多すぎて、小さな案件にまで手が回らないんだよ。人手が足りないって父さんがよくぼやいてる」
すかさずフォローを入れる。
「小さな案件じゃない。俺は殺されかけたんだぞ」
「でも、押されたっていう証拠はないんだろ?」
「被害妄想じゃね?」
というわけで、俺は早々に犯人捜しをやめてしまった。
彼らの言う通りかもしれないと思ったからだ。
このところ色々なことがありすぎて、過剰反応を起しているだけかもしれないと。
「志伊良さん、最近御伽さんのお見舞いに来ていないようですが、どうしてですか?」
帰り道、ふらりと立ち寄った公園で、地域猫を撫でている甘神に出くわした。
「もしかして私のこと、避けてます?」
今まさに回れ右して逃げようとした俺だったが、その言葉で足を止めてしまう。
あらためて甘神の顔を見ると、目に生気がない。
珍しく落ち込んでいるようだ。
何かあったのだろうか。
「どうしてそう思うんだ?」
「御伽さんが私のことを好きだから。恋敵のことを憎いと思うのは当然でしょう」
どうやら例の勘違いは絶賛継続中らしい。
「何度も言うようだけど、俺、御伽のことなんてなんとも思っていないから……」
勘違いしないでよねっ、と古いアニメのツンデレキャラみたいな台詞を吐いてしまう自分が嫌だ。
「分かりました、そいうことにしておいてあげます」
相変わらずな甘神の対応に涙が出てくる。
元から人懐こいのか、地域猫はニャーと鳴きながら甘神の足もとにまとわりついている。三毛猫だから、おそらくメスだろう。毛並みも艶やかで、健康そうだ。猫を見たのは久しぶりで、俺の手は中毒患者のように震え始めた。どうやら禁断症状が出始めたらしい。
――もうひと月も猫に触っていない。
いい加減、限界だ。
数秒間、俺は我を忘れていたのだと思う。
気づけば甘神の隣にしゃがみこみ、猫を撫でまわしていた。
その様子を、信じられないとばかりに甘神が凝視している。
「志伊良さん、貴方……猫アレルギーのはずでは?」
そういえばそうだった。
自覚した途端、鼻がムズムズして、くしゃみが止まらなくなってしまう。
一方の猫は、リラックスした体勢で地面に寝転がっていた。もっと撫ぜろと言わんばかりに「ニャー」と鳴かれて、俺の手が勝手に動いてしまう。涙と鼻水が垂れ流しの状態になっても、俺はその手を止めることができなかった。
「その手つき……まるで御伽さんみたい」
ポツリと呟いた甘神の言葉に、思わず手が止まってしまう。
今こそ、秘密を打ち明けるチャンスかもしれないと思ったからだ。
――問題は、どう切り出すか。
近くを通りかかった車のクラクションに驚いて猫が逃げ出してしまうと、その場に俺と甘神だけが残された。
「拭いてください、ひどい顔ですよ」
川で溺れた猫が死んだ時の、甘神の顔に比べたらまだマシだろうと思いつつも、
「……どうも」
差し出されたハンカチを、俺はありがたく受け取った。
涙を拭いて、盛大に鼻をかむと、「ああ」と甘神の嘆く声が聞こえた。
「ちゃんと洗って返すから」
「いいえ、結構です。差し上げます」
答えながら、不思議そうに
「もしかして猫、おうちで飼ってらっしゃるんですか?」
いいやとかぶりを振ると、「そうですか」と気の抜けた声を出す。
なんだかこのやりとり、デジャブだ。
「ずいぶんと猫ちゃんの扱いに慣れているようでしたので」
「それはイメージトレーニングとキングのおかげ」
胸を張って答えれば、甘神はハッとしたように息を飲む。
「……キング……って」
「ベンガルのキング。もうひと月も会ってないから、たぶん俺のこと忘れてるだろうな」
今なら、彼女に気づいてもらえるかもしれない。
俺が御伽草子だと理解してもらえるかもしれない。
そんな期待をこめてキングの名前を出したのだが、
「信じられない」
甘神は怒ったように立ち上がると、
「御伽さんから聞いたんですね? そうでしょ?」
俺も立ち上がって、正面から甘神の怒りを受け止める。
「一度もお店に来たことがない志伊良さんが、キングのことを知っているはずがありませんから」
「甘神、聞いてくれ。記憶喪失っていうのは嘘で、本当は……」
「御伽さんのふりをするのはやめてくださいっ」
甘神が大きな声を出すの、久しぶりに聞いた気がする。
「不謹慎にもほどがあります。御伽さんは事故に遭って……いつ目を覚ますか、分からないのに」
「ああ、そうだよ。たぶんそのせいで、タスクと入れ替わったんだ」
まだ言うか、とばかりに甘神は俺を睨みつける。
「ふりなんかしていない。俺が御伽草士なんだよ。どういう理屈が分からないけど、目覚めたらタスクの中にいたんだ」
「信じられません」
それはそうだろう。
俺だって悪夢にうなされてる気分だ。
「去年、川で猫を助けたの覚えてるか? 俺はその場にいただけだけど、甘神、すげぇカッコよかったよ。川の水、結構冷たかったのにさ。あれ、絶対にあとで風邪引いただろ?」
「……危うく肺炎で死にかけました」
答えたあとで甘神はハッとしたように下唇を噛む。
「それも御伽さんから聞いたんですね」
「誰にも話していない、信じてくれよ、俺が御伽草士なんだ」
「うそ。おかしいとは思っていたんです。私、志伊良さんとは一度もお話したことがないのに、いきなり呼び出されて、告白されて、どうしてだろうってずっと不思議だった」
一目惚れだと言われても、甘神は信じなかったらしい。
謙虚な彼女らしいと俺が感心していると、
「恋敵である私を御伽さんに近づけたくなかった。遠ざけたかったんですよね。けど、御伽さんがあんなことになってしまったから……私に用はなくなった。だから突然別れを切り出したのでしょう? そして今は私のことを恨んでる。避けているのもそれが理由なんですよね」
「恨むって……なんで?」
頑なに俺を睨みつけてくる甘神だったが、
「貴方が本当に御伽さんだというのなら、教えてください。御伽さんはどうして車の前に飛び出したりしたのですか?」
その視線がわずかに緩んだのを、俺は見逃さなかった。
「病院で聞きました。御伽さんが車に轢かれたのは事故ではなく、自分から車の前に飛び出した……自殺を図ろうとしていたせいだと。それは本当ですか? もしもそれが事実なら、原因は、私が御伽さんのことを振ったから……?」
甘神がやけに落ち込んでいる理由がようやく分かった。
大きな瞳から涙が零れ落ちる前に、「違う」と声を被せる。
「車道に子猫がいたんだ。で、考える間もなく身体が動いた。川に飛び込んだ甘神と同じだよ」
「……私のせいにするんですか?」
「ごめん、そんなつもりじゃ……」
甘神はふうと息を吐くと、涙をぬぐって笑う。
「志伊良さん、びっくりするほど演技がお上手ですね。本当に御伽さんと会話しているみたいでした」
「甘神が信じてくれるまで何度だって言うよ、俺が御伽草士だって」
「もう、いい加減にしてくださいっ」
追い詰められた小動物のように甘神は怯えていた。
「二度とこんなことしないでっ」
走り去る彼女を俺は黙って見送ることしかできなかった。
彼女を怒らせるつもりも、怖がらせるつもりもなかった。
ただ信じてもらいたかっただけなのに。
――なんか焦ってんのかなぁ、俺。
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