重要用語
◤ 概要 ◢
この資料は「異能情報生命体仮説」シリーズの世界観を説明するものです。
ご興味がありましたら
同作者の「統合異能捜査局の日々について」をお読みいただければ大変嬉しく思います。
https://kakuyomu.jp/works/16818622176388744296
※ 異能モノなのに全く戦闘しません。異能が存在する社会をリアル重視で描いています。
あらかじめご了承ください。
◤ 認知的排他性 ◢
認知的排他性とは、一人の人間に複数の異能が同時に宿らない理由を説明する原則である。異能は「力」ではなく、「世界の読み方」を内包した情報構造体とされ、それぞれ異なる認知体系を持つ。
一方で、人間の人格もまた一つの「認知体系」であるため、異なる異能を同時に受容することはできない。
一度異能が定着した人格には“情報的免疫”が作用し、他の異能の侵入を拒む「排他機構」が形成される。別の異能と接触した場合、それは排除されるか、あるいは主異能に“副次的機能”として吸収され、構造の一部として再編される。
このように、異能は宿主の精神と一体化して発現するため、原則として一人の人間に一つしか宿らないのである。
◤ 致死的淘汰 ◢
致死的淘汰とは、異能が強大すぎるがゆえに、発現した宿主自身が生存できず死亡に至る現象を指す。このような異能は発現と同時に宿主へ深刻なダメージを与えるため、他者へ感染する前に自然に消滅する。
たとえば「身体を10G以上の急加速で移動させる能力」や「広範囲を無差別に燃焼させる能力」などがその例である。これらは宿主の肉体が耐えられず、自滅的に終わるため、生存に不適な「失敗した異能」と見なされる。
異能は本来、宿主と共に進化し、社会に適応することで生き延びようとする情報生命体である。しかし致死的淘汰型異能は、自らの力によって宿主を破壊してしまうため、進化に失敗した存在とされる。
すなわち「強すぎる異能」が必ずしも優れているわけではなく、「制御不能の異能」や「宿主を生かせない異能」は、情報的にも社会的にも淘汰されるのである。
この致死的淘汰型異能は、作中22世紀の段階ではすでに絶滅しており、統計上出現しなくなっている。
都市部で危険視・抑制されほぼ絶滅した、出火のリスクがある機能を有する異能も、寒冷地や極地のように生命維持やインフラ補助として社会的役割を持つ環境では、淘汰圧が緩み、局所的に存続する。
これは“環境依存的適応進化”の一形態であり、異能が文化や気候条件に合わせて多様化する過程の一例とされる。
◤ 飽和異能 ◢
飽和異能とは、異能が進化のある段階で到達する「情報的な終着点」とされる状態を指す。
これは、異能が宿主となる人間の情報処理能力や精神構造の限界にまで発達し、それ以上の機能追加や変異、他異能の吸収(副次異能)を行えなくなった状態である。言い換えれば「これ以上変化し得ないほど完成された異能」である。
飽和異能は非常に高い精度と安定性を備え、構造的には徹底的に洗練された形を取る。その一方で、新たな形態変化や多様化の柔軟性を喪失し、自己改変の進化プロセスを停止する。進化的観点から見れば、異能の成長が止まり停滞した状態と捉えることができる。
ただし飽和異能が完全に“死んだ”わけではない。その高度に最適化された情報構造は、極めて限られた条件──具体的には、認知構造や遺伝的特性が非常に近い宿主(とくに近親者)に対してのみ感染・定着が可能とされる。
すなわち感染力は著しく低下しているが、ゼロではなく、細く長く残存し続ける可能性を持つ。この性質から飽和異能は適応範囲が狭く、特定の環境や一族・系譜内でのみ存続し得る存在であり、広範に社会へ拡散する異能とは大きく異なる。
また飽和異能は、「異能が自らのコードを削ぎ落とし、必要最小限の機能だけを残して極限まで軽量化した結果」として生まれるものであり、自己最適化の到達点とも言える。
冗長性を排除し、限定的な機能に特化することで構造的な美と効率を獲得した一方、もはや変化を拒む“完成体”となる。
このような異能は文化的・遺伝的に継承されやすく、「名家の異能」や「象徴的能力」として特別視される場合も多い。しかし閉鎖性のゆえに「情報的孤島」となりやすく、外界との接触や拡張が困難となる側面も併せ持つ。
すなわち飽和異能とは「進化の果てに到達した強さと脆さを併せ持つ完成形」であり、異能という情報生命体が辿り得る極限の一形態である。進化は停止しても、その価値が消滅するわけではない──これこそが飽和異能の本質である。
◤ 科学的解釈不能性 ◢
「異能」という構造は、いかなる科学技術や理論をもってしても完全には理解・再現できないという問題を指す。このため、現実的に「異能研究」は応用領域や形態調査の範囲に限定されている。
科学者たちは異能の仕組みを解析し、再現・制御を試みてきたが、その成果は限定的である。その理由は、異能が宿主と密接に結びついているためである。
異能の構造は人格・記憶・感情・経験など、その人固有の情報と深く結合しており、同じ系統の異能であっても宿主によって異なる形態で現れる。このため、他者に移植して比較することや条件を変えて再現することは不可能である。
さらに、異能は「感染して生き延びること」を目的に最適化された情報体であるため、意図的な編集や制御には不向きである。その構造は過剰に冗長かつ複雑であり、重要要素を特定することは困難である。DNAのように明確な一方向的伝達構造を持たず、可塑性と曖昧性に満ちている。
また、異能成立の基盤となる「人間の精神」自体が定量化できない。異能は宿主の世界観、感情反応、記憶の組成様式に依存しており、研究のためには人格そのものを再現しなければならないが、これは現代科学の限界を超える要求である。
つまり脳というハードウェア、および人格というOSの理解なしに、異能というソフトウェアを理解することは不可能である。
一例として「青いバラ」を人工的に生成する場合、単に青色の色素を加えるだけではなく、植物全体の代謝・環境応答・成長プロセスをすべて再設計する必要があった。異能の解析はそれ以上に困難であり、一部の構造を把握できても、それだけでは再現不可能である。
したがって異能は、その本質が“個人ごとにしか存在し得ない現象”であり、科学的アプローチは全体像を把握できぬまま断片に翻弄される。異能構造の解析は“知の地平線”の彼方にあり、現代科学では超え得ない壁として存在している。
◤ 能力ではなく機能 ◢
異能共生圏の人々は異能の発現によって生じる事象を「能力」とは呼ばず、「機能」として認識している。これは、異能が人間というハードウェアに寄生・共生するソフトウェアであり、個人の「力」ではなく社会的資源として扱われるべきものだからである。
異能は保有者の記憶・感情・世界観と結びつき、社会における適応や記録を通じてのみ存続するため、その成果を「機能」として記録し共有することが、制度と文化の双方で不可欠となっている。
◤ 異能定着の決定要素 ◢
異能による現象を視認し感染したとしても、必ずしも類似の異能が定着するわけではない。定着には宿主の遺伝的・人格的近縁性が必要とされ、単なる偶然の模倣では成立しない。
感染した異能が、宿主の神経系や認知枠組みに書き込まれ定着するかは、それを「自分も行える」と受け入れられる世界観、すなわち模倣欲と自己投影が前提条件となる。異能は個人の記憶・感情・価値観と不可分であり、行使の仕組みをイメージ出来るかが定着の可否を左右する。
したがって異能は単なる力ではなく、認識と適応の産物であるとされる。感染しても「自分には扱えない」と感じる者には定着せず、逆に強い模倣欲と自己イメージを持つ者は定着に至りやすい。この傾向は高度な機能を持つ異能ほど顕著である。
こうして異能は、遺伝的背景・人格的傾向・世界観的受容の3要素の交差点において成立するのである。同時に、異能そのものが“見られ、模倣され、発現される”ことを望む情報生命体であるがゆえに、宿主との適応が成否を分けるのである。
これらの性質を応用すれば、同系統の異能を有する血族の子どもを集め、互いに視認と模倣を促す環境を設計することで、情報的共鳴を通じた極めて安定的な異能継承が可能となる。
◤ 可塑性と複雑性のトレードオフ ◢
異能は単なる力ではなく、情報生命体としての生態系を形成している。その存続は強さではなく社会的適応度に左右されるが、構造の可塑性と複雑性の間には明確なトレードオフが存在する。
異能パンデミックで広がった異能は、いずれも単純で可塑性が高く、多様な宿主に定着しやすかった。そのため多様性は爆発的に拡散したが、制御困難なものや社会的に不適応なものは急速に淘汰された。
時代が進むにつれ、社会的淘汰圧に晒された異能は、より高度かつ有用な形態へと最適化されていった。しかし高度化するほど構造は固定化され、遺伝的・人格的に適応可能な条件は狭まり、その上、感染に発現の直接的視認または長時間の間接的視認を要求するようになる。結果として近縁者内での類似異能の濃縮や飽和へ収束し「異能群体」を形成する。
すなわち単純な異能は「拡散力」によって生き残り、複雑な異能は「有用性」と「集団化」によって固定化する。情報生命体としての異能は、この二律背反を繰り返しながら社会全体を覆う生態系を築いてきたのである。
◤ 異能名 ◢
異能名とは、保有者が自らの異能につける呼称であり、行政システムにも登録される「責任のラベル」である。その名は単なる愛称ではなく、総合市民記録台帳(CSC:Comprehensive System of Citizen Records)に記録される社会的刻印として扱われ、過去の異能名も履歴として残り、変更には煩雑な手続きを伴う。
命名には個々のセンスが反映され、漢字のみの威厳ある名から、カタカナ、工学的な比喩、文学的なニュアンスまで幅広い。黒歴史的な命名はいわゆるキラキラネーム以上に、自ら付けた分だけ羞恥心を伴うもののようだ。
命名に相当悩む者も多いが、異能の定着(初の発現)を観測してから、入院等の特段の理由が無い限り2週間以内に申請が義務づけられており、遅延は金銭的処罰対象となる。この需要を狙って「命名料」を取る商売すら存在する。
濃縮家系においては早々に命名案が枯渇し、むしろ異能名を共有することで「一体感」や「連帯責任」を象徴する伝統が生まれている。
こうして異能名は、個人のアイデンティティであると同時に、共同体における責任の可視化でもある。
◤ 異能系統樹(Exo-ability Phylogenetic Tree) ◢
中央異能生態研究所(CEIB)が保有するデータアーカイブ 《EXIA》を基盤として構築された、異能の機能に基づく巨大な系統分類図である。
異能は情報生命体(Infozoa)として多様化し、変異・統合・淘汰といった進化過程を経るため、その全体像は生物学的な系統樹に近い「情報生態系」を形成している。
異能パンデミック直後に爆発的多様化を遂げた変異系統、特定地域で残存した環境依存的系統、飽和異能として閉じた系譜を保つ濃縮系統、社会的に淘汰され確認されなくなった途絶系統など、観測されたすべての異能は EXIA 上でその“起源・分岐・変容・淘汰”を追跡されている。
現在までに確認された枝葉は数万を超え、そのうち一般公開されているのは一部に限られ、特に軍事転用リスクの高い系統は各国の安全保障上、非公開領域とされている。
公開された部分は市民教育にも利用され、異能を個人の力ではなく“社会的資源”として理解するための基礎資料として扱われている。
個々の系統はEXIAでは「カテゴリ・機能または対象物・確認地域・地域内初出保有者姓」のラテン語四語式で学名管理される。これは生物分類学を拡張した形式で、異能の系統を国際的に共有するための標準規則である。
例として星宮家のガラス操作系異能は、構造操作系・ガラス・日本・星宮家を示す“Structura Vitrea Japonicum Hoshinomiya”と系統樹上に記述されている。
◤ B群(ブラックボックス群) ◢
CEIB異能分類体系における「B群」は、“予約された分類領域”として存在するが、その具体的用途は一切公表されていない。分類表には確かにBの枠が刻まれているにもかかわらず、記載は公布以来空欄のままである。
もっとも一般的な解釈では、B群は物質操作(A群)とエネルギー変換(C群)の両方に跨り、いずれにも帰属しにくい複合機能の異能を収めるための保留枠、あるいは設計段階で想定されたものの最終的に使用されなかった廃止枠とされる。
しかしCEIBは、B群の意義を問われるたびに「予約済みである」とだけ回答し、理由や背景には一切触れようとしない。この沈黙がかえって想像を呼び、“ブラックボックス群”を主として“禁則領域”、“分類不能の箱”といった俗称がオカルト界隈で定着している。
◤ 思春期と異能の固定化 ◢
思春期は人格が最も可塑的な発達段階であり、異能もこの時期に急速な変容を経験する。だが多くの場合、思春期の終わりとともに認知枠組みが安定し、異能の構造も固定化に向かう。
この現象は、異能が個々人の「世界の読み方」に依存するという学説を強く裏付けるものである。
◤ 異能の収斂進化 ◢
同様の機能を持つ異能であっても、遺伝的条件や文化的背景が異なれば、その内部構造は全く異なる形で成立する。たとえば日系と北欧系では構造記述が異なり、情報的整合性を欠くために濃縮が起こりにくい。
これは、異能が情報構造として進化している証拠とされ、いわば「情報生命体としての収斂進化」である。機能的には似通っても、構造的には全く異なる経路で到達しており、異能の多様性と文化的独立性を示す代表的な事例とされる。
ただし、例外的に“軽量化”という進化方針を選び、極めて単純な機能を持つことで国際的な伝播を可能にした異能も確認されている。これらは複雑な文化適応や宿主条件を必要とせず、視認感染しやすい。
◤ 対象認知動作仮説 ◢
異能の発現には多くの場合、目と手の意識的動作が伴う。目の役割は明確で、注視点として異能の焦点を定める機能を持つが、手は物理的接触を必要としないにもかかわらず、しばしば発現時に動作を伴う。
この「触れずに指す」や「手をかざす」行為は、把持のためではなく、空間的方向や対象物を確定するための補助動作と考えられている。
異能は対象を正確に認識・指定できなければ安定して行使できないため、保有者は手の運動を通じて自身の空間認知を補正しているという仮説が有力である。
これは神経科学でいう「センサリーモーター・カップリング(感覚運動連関)」――見る・指す・触れるといった感覚と運動の統合が、空間把握の精度を高める仕組み――と一致する。
すなわち、手の動作は単なる力の媒介ではなく、感覚情報を自己の運動系へと結びつける“方向の言語”として機能している。
CEIBの研究では、視線のみで異能を制御しようとする訓練よりも、手の微細運動を伴う操作の方が発現の精度と安定度が高いことが報告されており、これは人間の神経系が方向認知と運動知覚を強く結びつけていることを裏づけている。
すなわち、異能発現における手の動作とは、対象への“接続の模倣”であり、人が「世界に触れている」と感じる感覚そのものが、異能を方向づける認知の基盤となっているのである。
◤ 世界解釈分化仮説 ◢
遺伝的・人格的差異によってどのような異能が定着するかが分かれるが、その根底にあるのは観測者の「世界解釈」の差異であるという。
人は同じ現象を見ても、その背景にある原理をどう理解するかは一致しない。異能は単なる映像的刺激ではなく、観測者の知覚体系に“意味”として読み取られたときにのみ定着する。
異能は人間の世界解釈そのものを資源として進化し、異なる遺伝的条件・文化・教育・経験を通じて多様な「理解の系統」を生み出す。
つまり、異能の多様化とは、世界の読み方そのものの分化を示す生態的現象なのである。
◤ 異能継承 ◢
濃縮家系の子や同系統異能同士の子は、多くの場合、親世代と同一の異能を継承する。もはや異能の定着は偶発的現象ではなく、遺伝的・情報的両面で“再生産される構造”となっている。
濃縮家系間の異系統は社会的協力関係を築くことはあっても、婚姻関係には至らない。これは単なる文化的慣習ではなく、異系統間での構造干渉による適応不全を避けるための情報的合理性に基づく選択であると考えられる。
異能の生存戦略という観点から見ると、異能継承の成立は、異能という情報生命体が“安定的な宿主環境”を選び取った結果といえる。
異能は感染によって拡散できるが、無秩序な拡散は淘汰リスクを高める。ゆえに異能は進化の過程で、「確実に理解してもらえる宿主」「同系統の世界解釈を共有する集団」を優先的に選ぶようになった。
この傾向は《異能近縁選択理論》として整理されており、異能が自己の存続を賭けて“理解の近縁性”を媒介にした進化を遂げていることを示している。
そして興味深いのは、異能群体自体もまた、他の群体なしには生存し得ないことを理解しているかのように振る舞う点である。
異能は孤立的に進化せず、異なる群体との接触や相互観測を通じて自らの情報構造を維持している。群体間の“理解の交差”こそが、異能社会全体の自己保存を支える生態的循環なのである。
◤ 補足:異能に対する科学哲学 ◢
「異能情報生命体仮説」の世界において、科学はもはや「真理の発見装置」ではなく、「理解の枠組み=パラダイム」を更新し続ける営みとして描かれる。
トーマス・クーンが指摘したように、科学とは累積的な進歩ではなく、ある認識体系が限界に達したときに別の枠組みへと“断絶的転換”するプロセスである。
異能の出現はまさにその典型であり、旧来の自然科学が前提としていた「観測者は対象に干渉しない」という信念を根底から覆した。
異能は観測によって感染し、理解そのものが現象を生成する。観測者と対象の区別が崩壊したこの現象に直面して、科学は新たなパラダイムを必要とした。それは科学が自己の方法論をも内省しながら進化する段階へ移行したことを意味する。
ここで科学は、もはや自然の法則を発見する営みではなく、「人間が世界をどう記述し、どのように倫理的に関わるか」という構造の探求へと変質した。
クーン的視点から見れば、異能の登場は“科学革命”の到来であり、科学の限界が露呈した瞬間こそが次の理解の始まりである。
異能共生社会における科学とは、世界を統御する手段ではなく、世界と共に在るための記述法――観測と倫理のあいだに立つ「自己修正する理解体系」として機能している。
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